番外編⑩
「ところでさ」
晴太はおもむろに尋ねる。夏休み間近のとある放課後、晴太は水に呼び出されて彼女の理科室に来ていた。用件は前日、晴太が渚と街を歩いていたこと。だがそれも誤解が解け、そろそろ帰ろうかとしていたときだった。晴太の目に一枚の布が映り込んだのだ。それは水が晴太を連れてくるときに頭からかぶっていた『透明マント』なるものだった。
「これ、何?」
晴太はそれを掴んで持ち上げてみる。風呂敷のようなものかと思っていたが、もっと分厚い、マフラーのような質感だった。
「それはあれですよ、透明マントです」
「いや、それは分かるんだけど。これも水が作ったの?」
「ええ、そうですよ」
あっさりと水は言った。あまりにもあっさりと言うので、思わず晴太も「そうなんだ」とさも当然のように返してしまったが、透明マントなんて世紀の大発明ではないだろうか。ものを透明にする研究というのは大昔から行われてきたが、完璧に成功させた例はまだない。何かしらの痕跡が残ったり、方法によってはこの世界から消えてしまったりする。しかし水の透明マントは見た感じ完璧だった。そこにあるのに見えない、見えないけど触れることが出来る。おとぎ話に出てくる透明マントそのものだ。
「よく作ったね」
「まあ、製品化するならもっと改良が必要ですけど」
以前、魔法の杖の話をしたときにも水は、製品化するにあたり安全面を考慮したと言っていたため、透明マントに関しても、まだ安全性に問題があると言うことだろう。完璧に姿を消せると言うことは当然、悪用される危険性も生じる。
「でもさ、製品化してないのをあんなおおっぴらに使ってよかったの?学校って言っても誰が見てるか分からないし……。用があったなら普通に声かけてくれればよかったのに」
「逆に聞きますが晴太先輩、あなたは違う学年の教室に言って、目的の人が知らない女性と話していても声をかけられますか?例えばその辺にいる人を捕まえて、あの人に用があるんですけど……なんて言えるのですか?」
水は真面目な顔でずいと晴太に詰め寄る。晴太は思わず体を引いた。
「あー、もしかして……いったん取りに帰った?」
「ええ、取りに帰りましたよ、悪いですか」
「悪くない」と晴太が言うと、水は勢い込んで答える。
「そうですよ!あちきは全く悪くないのですよ!それなのに先輩ときたら、見知らぬ女とイチャコライチャコラ……」
「いや、イチャコラって。ちょっと喋ってただけじゃん」
あまりに大袈裟な表現に、晴太は苦笑いを浮かべる。だが、水の不満は収まらない。「これを見てもまだそんなことが言えるのですか」と言うと、先程の映写機に再び手をかざす。するとスクリーンにまた二人の画像が現れた。本屋で喋る二人、並んで歩く二人、一緒にアイスクリームを食べる二人。こうしてみると、まあそういう関係にも見える。それにしても、これらが全て水の記憶から抽出されたものだということは、つまり水はこの画像の間ずっと晴太と渚の後を付けていたことになる。
「わりとストーカーじゃん」
晴太がそう言うと、水は両手を上に上げて抗議の意を示す。その片腕が映写機とスクリーンの間に入り、スクリーンに手の影が出来た。
「何を言いますか!こっそりついて行っただけです!」
それをストーカーと言うのだと晴太が言おうとしたとき、スクリーンに映しだされていた画像が突然切り替わる。
「ッ!?」
一瞬だった。切り替わったと思った途端、水が映写機のスイッチを切ったのだ。しかしあまりに衝撃的な画像だったので、晴太の脳裏には映し出されたものがしっかりと焼き付いていた。
それはショートカットの女の子の下着姿。反射的に目を逸らしたが、晴太の脳裏には確実にその画像が焼き付いていた。白く透き通った肌、緩やかな体のラインから下着の色に至るまで、しっかりと記憶してしまっていた。なぜか手前にはぼやけた鉄格子が写っていたが、それ以上に衝撃的なことに晴太は気がついてしまっていた。
「今のって雨───」
「晴太先輩、あなたは見てはいけないものを見てしまった……」
神妙な面持ちで水は言った。見てはいけないものと言うより見られたらまずいものではないかと晴太は思った。
「非常に残念ですが、あなたには今見たものを忘れてもらわなければなりません」
水は落ち着いた声でそう言うと、いつの間に取り出したのか先端が丸くなっている杖のようなものを晴太の方に向けた。
「えっ、ちょっと待って」
「待ちません!!!」
ピカーッ
水の叫びと共に杖の先端が激しく光った。晴太は思わず目を瞑ったが、鋭い光は瞼をこじ開けるように晴太の瞳に刺さる。
「うっ……なんだ今の……」
閃光が収まってからも晴太はしばらく目を閉じていたが、やがて恐る恐る瞼を開く。
「晴太先輩、気分はどうですか?大丈夫ですか……?」
水が心配そうに晴太の顔を覗き込む。晴太はゆっくりと瞬きをしつつ「大丈夫……」と答えた。
「よかった……。初めて人に対して使ったので、若干心配だったのですよ」
ほっと胸をなで下ろす水。そんな危ないものを使われたのかと晴太は慌てて自分の体を確認するが、特に変わった点はない。意識もはっきりしている。
「ところで……何でここにいるか覚えてます?」
晴太はしばらく考えた後、首をかしげた。
「えっと…………何でだっけ……?」
「いえ、分からないのならいいのです、ハイ。今日はもうお帰りください」
「え?」
「大丈夫だとは思いますが、一応今日は過度な運動を控えてくださいね。ではお大事に」
そんな医者みたいなことを言いながら水はグイグイと晴太の背中を実験室の外まで押しやった。そしてぴしゃりと戸を閉める。
晴太は何となく左右を確認した。廊下には誰も歩いていない。水の実験室があるこの辺りは校舎の端っこの方にあるので、普段からあまり人通りは多くないのだ。
「っていうか……全部覚えてるんですけど」
水が使用した杖、おそらく記憶を消すためのものなのだろうが、晴太の脳内にはしっかりと先程までの記憶が残っていた。あの杖も水の発明品なのだろうが、どうやら失敗だったらしい。初めて人に対して使ったと言っていたので、まだ試作品だったのだろう。しかし幸か不幸か、そのおかげで晴太の記憶は残り、水はその事を知らない。そして雨音もこの事を知らないのだ。
「どうしようかな……」
そう呟きながらも、晴太の仲ではもう結論が出ていた。何も見なかったことにしようと。
ありがとうございます。違う学年の教室に行くってね。無理ですね。




