(1)明日は雨
晴太と雨音が初めて言葉を交わしたのは、高校二年の五月、体育祭の前日のことだった。
晴太は放課後に残って準備に追われる生徒達を、誰もいない教室の窓から見下ろしていた。6月のグラウンドはとても蒸し暑そうに見えた。しかし、そこで作業をしている生徒達の顔はどれも、どことなく楽しそうだった。
イベントとはそういうものだ。晴太はそんな彼らの顔を見ながらそう思った。勉強は頑張らなくても、イベント事となれば頑張るし、普段どんなにつまらなそうにしていても、イベント事となれば多少なりともテンションが上がるものだ。
「はぁ………」
しかし晴太はひとつ、ため息を吐いた。正直に言ってあまり体育祭には興味がなかった。というか、晴太にとってイベントというもの自体がなくていいものだった。もともと積極的に何かをするような性格ではなかったし、いつもと違う特別なことに面倒くささを感じてしまう、いわゆる面倒くさがり屋でもあったのだ。そんなわけでここ数日の晴太はテンションが低めだった。
「…………」
風が吹いた、この時期らしい湿った風だ。
「久条晴太くん」
ふと、声をかけられた。その声は晴太のすぐ後ろから聞こえたが、このクラスの生徒はもう皆帰ったはずだ。おそらく他のクラスから来たか忘れ物でも取りに来たかのどちらかだろうが、晴太にはその声の主が誰であるかすぐに分かった。
「そう言う君は……傘咲雨音さん」
「よく分かったわね」
晴太が後ろを振り返ると、そこには小さな笑みを浮かべた雨音の姿があった。
「そりゃ有名人だからね」
傘咲雨音。おそらく、晴太の通う栄第一高校で一番の有名人だ。実践魔法の校内成績はダントツの一位で、その腕は教師をも凌ぐと言われている。おまけに座学の分野もほぼ全てにおいて一位、加えて容姿端麗で品行方正と全くもって非の打ち所がなく、同性だけでなく異性からも一目置かれている存在だ。晴太とはクラスが違うので特に話したことはなかったが、全校集会などでよくその声だけは聞いていたのだ。
「いよいよ明日ね」
「ああ」
雨音が窓の外を見ながらそう呟いた。晴太も小さく返した。
「楽しみね」
「そうだね」
そんなことは少しも思っていなかったが、あえて本音を言うこともないと晴太は雨音の言葉に合わせて頷いた。すると雨音は満足そうに頷くと、言った。
「でも、残念ながら明日は雨よ」
「そうだね」
「え?」
もっと他の答えが返ってくると思ったのか、雨音は驚いたように晴太を見る。
「えっ?って、自分で言ったんだろ?」
「でも、あなた晴れ男じゃ……」
雨音は言った。確かに、雨音の言うとおり晴太は晴れ男だった。しかも例外のない晴れ男だ。今までも、楽しみにしている日はいつも晴れだったし、雨音もそれを知っていたからこそあんなに驚いたんだろう。しかしそれは、あくまでも『楽しみにしている日は』の話だ。
「実は明日の体育祭をあんまり楽しみにしてないんだ。だから少なくとも明日晴れることはないよ」
晴太は笑って言った。雨音はまだ少し驚いているようだった。しかし、徐々に表情が崩はじめ、泣き笑いのような顔になると急に声を上げて笑い始めた。
「な、なんだよ…!?」
「ごめん…つい…。そっか、そうなんだ。ふふふ、なぁんだ。せっかくあなたの残念そうな顔が見られると思ったのに。計画が台無し」
可笑しそうに雨音は言う。今度は晴太が驚く番だ。
「そんな計画だったの!?なんか急に話しかけられたと思ったら…」
「そうなの、ごめんね?」
「いやまぁ、いいんだけどさ。じゃあ傘咲さんは体育祭楽しみなんだ」
明日雨が降る、ということはそういうことだろうと晴太は思った。理由は単純、傘咲雨音が例外無しの雨女だから。
「やっぱり知ってたのね。そう、私は明日の体育祭を楽しみにしてる。でも私が楽しみにしている日は必ず雨が降る」
「……………」
「なぜなら私は雨女だから」
「例外無しの」
晴太が最後に言葉を付け加えると、雨音は「そうよ」と頷いた。そして晴太の顔を見るとにやりと笑った。
「そしてあなたは晴れ男、例外無しの…ね」
雨音の言葉に晴太も黙って頷く。しばらく沈黙が流れた。晴太が再び窓の外を見ると、まだ何人かの生徒達が作業をしていた。彼らも、まさか明日雨が降るとは思っていないだろう。それぐらい空は晴れていたし、夕日はオレンジ色で町を染めていた。
「それにしても不思議ね……こうして晴れ男と雨女が同じ場所にいるなんて」
雨音がぽつりと呟いた。晴太は黙って頷く。
「ねえ、今思ったんだけど、もし私たち二人が同じくらい強く楽しみにしているとしたら、その日はいったいどんな天気になるのかしらね」
「それは……どうだろ」
通常は二人の気持ちがぴったり同じ強さになる事はあり得ないので、晴太の気持ちが強ければ晴れに、雨音の気持ちが強ければ雨に、気持ちの程度が弱ければその時の気象条件に従った天気か、あるいは曇りになるはずだ。では仮に二人の気持ちがぴったり同じになったらどうなるのか。
「そもそも二人が同じくらい楽しみにしてる日ってどんな日なの?」
晴太があごに手をやりながら尋ねる。
「そうね……例えばデートとか」
「デート!?デートかぁ…うーん、ワンダーランド………とか?」
「ワンダーランド?何それ…ふふふ、ワンダーランドって。じゃあ何?『明日の天気はワンダーランドでしょう』とかいうわけ?」
「ワンダー確率100パーセントでしょう、とかね」
晴太は思いつきで言っただけだったが、それを聞いたとたん、雨音は火がついたように笑い出した。
「あははは!ワンダー確率って何よ?」
「え、そんなに面白かった?」
予想以上に雨音が笑うので、晴太は少したじろいだ。雨音は晴太の言葉に頷きつつ、なおも可笑しそうにしている。しばらくして一息ついた雨音はぽかんとしている晴太に向かって言った。
「じゃあ、いつにする?」
晴太は質問の意味が分からなかったので聞き返した。
「いつって?」
「デートよ」
さも当たり前のように言う雨音。
「え!?それ本気なの!?」
一方の晴太は予想外の言葉に目を丸くする。すると雨音は不満そうな顔で言った。
「だって、あんなこと言われたら見たくなっちゃうじゃない、ワンダーランド」
「そりゃ見たいけど……いきなりデートっていうのも………」
晴太は言葉を濁す。デートはおろか彼女すらいたことのない晴太にとっては、いきなりデートというのは少々難易度が高かった。そもそも、今の状態でデートなんてしても緊張が上回ってしまうはずだ。
「じゃあ恋人同士から始める?」
「それならまあ」
「決まりね」
「え!?ちょっと待って!ほんとに?」
予想以上に重要なことがあっさり決まった気がして、晴太は声を上げた。
「何?私じゃ不満なの?」
雨音に言われ晴太は慌てて首を振る。
「いやいや!そういうわけじゃないけどさ!その……傘咲さんはいいのかなって」
「私は別にかまわないわ。あ、でもこういうのはちゃんとしたいから」
そう言うと雨音は晴太の方に向き直って、真っ直ぐに晴太の瞳を見つめる。晴太は思わず目をそらしそうになったが、そうさせない力強さがその目にはあった。
「久条晴太くん、私の付き合ってくれる?」
雨音ははっきりとそう言った。とても今思いつきで言ったとは思えないしっかりとした言葉だった。潜在的に魔法の素養がある人は、言葉の一つ一つに言霊が宿ることがあると言う。彼らの言葉は言いしれぬ力強さを持ち、時に聞く人を圧倒すると。もしかすると雨音の言葉もそう言った類いのものなのかも知れない。晴太はそんなことも考えつつ、しかし返事をしなければと、一つ頷いて言った。
「僕でよければ」
それを聞くと、雨音はにっこりと笑った。途端にその場に張り詰めていたものがふっと消えて、まるでその時を待っていたかのように柔らかい風が吹き込む。相変わらずの湿った風だ。ふと窓の外を見ると、つい先程までは明るかった空がだんだんと暗くなり始めていた。
「そろそろ帰った方がいいわね」
雨音がぽつりと言う。
「そうだね。明日もあるし」
言ってから晴太はしまったと思った。だが、雨音は気にしていないようだった。ただ「そうね」とだけ言って歩き出した。しかし、ドアの前でふと立ち止まるとくるりと振り返った。
「じゃあ、また明日…………晴太君」
「あ……また明日」
晴太君。そう呼ばれるのは初めてかも知れない。徐々に薄暗くなる教室で、晴太は一人そわそわとしていた。
ジャンルは一応ローファンタジーってことにしてます。
イメージとしては魔法が存在する限りなく現実に近い世界って感じですかね。
恋愛*ファンタジーみたいなあれに応募しようと思って考えてたんですが、あまりにもファンタジー要素が薄すぎるのでやめました(笑)
それと、長いものは初めて書くので早速ですが〈タイトル詐欺注意報〉出しときますね。