心を開いて受ける向かい傷は、明日への勲章よ
ブッタ斬り屋、という商売を思いついたのは、塾の夏期講習のチラシを見ていたときだった。
「塾でバイトでもしようかな」
そう思って、軽く手に取ったチラシだった。「とことん教育セミナー」。この町で一番大きな塾だ。なんだか過激な文章で、笑える。よその塾を「カルト集団」と決めつけ、受験指導を「洗脳」と書いてあった。
「おたくは、どうなの」
思わず、突っ込んでしまった。
最大手の塾が、そんな謎のチラシを出す時代である。塾業界の低迷ここに極まれり、という感じだ。
「やめた。いいことなさそう」
自分のことはさておき、他の塾をぶった斬って商売して、楽しいのかしら。でも、案外楽しいかも。いいえ、きっと楽しいに違いない。
「ブッタ斬り屋」
そんな言葉が、頭に浮かんだ。星阪すみれ、25歳。それなりに美女。あなたの悩みを、ものの見事にぶった斬ってみせましょう。
「いいかも」
この世の中、言いたいことがうまく言えずに、心の中で抱えている人がたくさんいるはず。それを私に打ちあけてもらって、私が代わりにぶった斬る。打ちあけた人の心は軽くなり、私のぶった斬りスキルは、向上していく。
「でも、それがなんになるんだろう」
確かに。野党の政治家にでもならない限り、役に立ちそうにない。おばあちゃんなら、きっと言うはず。
「嫁の貰い手がなくなるから、やめなさい」
だけど、おばあちゃん。今は草食男子とオタクばかりで、女を嫁に貰おうなんて厄介なことを考える男は、減ってるの。私のような美女が、ほったらかしにされているんだから、間違いない。
「あなたの悩み、ぶった斬ります」
「開いた心で、まっすぐに受ける向かい傷」
「それは明日のあなたへの勲章」
落ち目の大手塾のチラシなんて、目じゃないわ。イケメンの繊細な男が、のこのこと恋の相談にやって来たら、逃さない。
星阪すみれの目が、鋭く光る。
その時、ベランダの鳩が、「クルッポー」と鳴いた。先日、狭い場所で羽を広げて、抜けなくなっていたマヌケな鳩だ。捕まえよう、としたのだが、うっかり鳩を逃がしてやる結果になってしまった。
以来、なぜか鳩がやって来るようになった。いつも、わらくずを置いていく。
「お礼のつもりなのかしら」
とことんマヌケな鳩だ。私は、そんなドジはしない。自分にふさわしい場所で、のびのびと羽を広げてみせる。その手始めが「ブッタ斬り屋」だ。おばあちゃんにも、ちゃんと言おう。
「これが私の花嫁修行なの。おばあちゃん」
さあ、どんな悩みを抱えたイケメンが来るのかしら。
「おこしやすー」
客を出迎える挨拶は、これにした。
「よう来たのう、われ」
第2候補に大差をつけて、にっこり笑って「おこしやすー」。これで決まり。
「星阪すみれのブッタ斬り屋さん」が、本日開店。ご近所さん限定のチラシを、ついさっき配ってきた。
借り手のない公民館の一室が、私のオフィス。とにかく安い。管理人のおじさんが、月1万円で内緒で貸してくれた部屋。ボロボロな心に似合う、壊れかけのオフィス。
ああ、私はここで、未来の旦那に出会うことになるだろう。友達がうらやむ、イケメンで少し内気な性格もサイコー。そんな男が、もうすぐきっとやって来る。
「すみません」
誰だろう。貴重な妄想タイムを妨げるのは。こんな時間でもない限り、今の世の中、やってられないじゃない。
「すみませーん」
えっ、もしかして。さっそく客が。まだ心の準備が出来ていないのに。
「おこしやすー、われ」
ちょっと失敗かな。なんだか変なあいさつになってしまった。でも、相手はなかなか渋い声の持ち主。さて、ご対面。
「ここって、どんなことを……」
「本日は閉店しました」
オッサンじゃないの。期待して、損した。いけてるのは、声だけね。子供がそのままオッサンにワープして、行き場を失って困っているような、変な男。金に縁がなさそう。
「それじゃあ」
「あっ、待って」
ドアを閉めようとすると、男の靴がはさまった。もしかして、こいつは刑事。まさか、管理人との間で結んだ闇協定がバレた。
開店初日に廃業なんて、いくらなんでも情けない。
「手帳を見せなさい」
本物かどうか確認してからでも遅くない。
「えっ、手帳。困ったな。でも、なんで」
いい年なんだから、もっと落ち着きなさい。ふと、お父さんのことを思い出した。生きていれば、ちょうどこれぐらいの年のはず。お父さん、天国でお母さんと仲良くしているかな。
「今、これしか持っていなくて」
ちょっぴりブルーな気分の私の前に、薄っぺらな手帳が突き出された。
とことん教育セミナー講師手帳、って、そんな物いらない。でも、どこかで見たことのある塾の名前。
「この塾、変なチラシを出してたでしょう」