幕間 But Beautiful
大学卒業後、私は世間的に言うところの大手銀行に就職しました。その頃の日本は度重なる好景気で経済規模を急速に拡大していて、まさに飛ぶ鳥を落とすような勢いがありました。「いけいけどんどん」という言葉が溢れている、そんな熱狂と繁栄の時代を日本は謳歌していたのでした。
しかし、入社して間もなく、経済のバブルがはじけました。それは快晴の夏空から雪が降るように突然の出来事で、まるで不安定な元素が放射線をまき散らしながら崩壊するかのように、日本社会を、そして銀行を激変させました。私の銀行も例にもれず融資先の業績が劇的に悪化し、日に日に不良債権が増えていきました。
入社して一年が過ぎた頃、融資課に配属された仲の良かった同期入社の高橋が心の病になりました。業績悪化に焦った本社からのプレッシャーによるものなのは確実でした。高橋は既に結婚していて二児の父でしたから、病気になったことを家族にも会社にも打ち明けることが出来ず、その日たまたま帰りが一緒になった私にそのことを打ち明けてきたのでした。幼い子供と若い妻の写真を私に見せて弱々しく笑う高橋の顔には青白さと、同い年とは思えないほど深いしわが浮かんでいて、私はただただ「もうすぐ景気も良くなる。もう少しの辛抱だよ」と励ます事しか出来ませんでした。少しして、同期の友達から高橋が辞めたという話を聞きました。
半年後、私は融資課に異動しました。高橋を含め、多くの社員が退職して圧倒的な人手不足になっていたからです。異動を教えてくれた気さくな上司は辛そうな顔で私を送り出してきました。
異動先の歓迎会で聞いた噂で、高橋は最終的に自閉症になってしまって職務全うが出来ないとして、自己都合退社に追い込まれたということを知りました。それから彼がどうなったのか、私には分かりませんでした。幼い子供と若い妻がどうなったのかも、分かりませんでした。
その話を聞いた瞬間から私には宴会場が淀んだ水に沈んだ地獄に変わったように思えました。周りの同僚たちはそんなことを知りもしない、というような顔で高橋の悪口と汚い笑い声を垂れ流していて、ただただ醜かった。同僚たちは高橋のことも、彼の家族のことも知らずに無責任に笑っていました。周囲の雑音は本当に水の中にいるみたいに遠ざかって、どこか別の世界の出来事みたいに聞こえました。
人が積み上げてきた何十年という努力と時間とその家族が、何も知らない無責任な人間たちに無能と銘打たれて吐き捨てられていく社会に、私は恐怖しました。目に見えない無関心という暴力が吹き荒れている社会は地獄だと、震えました。
間もなく、私は銀行を辞めました。地獄のような水の中で生きていけるほど私は鰓呼吸の得意な人間ではありませんでした。でも、そのことに気が付くのは遅すぎたみたいで、辞職届を出した頃には私は少しおかしくなっていました。地獄の水は高橋の心を蝕んだように、私の耳を塞いでしまったのです。
それ以来、私はまるで水中を揺蕩っているような毎日を過ごしています。医者にはうつ病とストレス性の感覚障害だと診断され、効きもしない薬を与えられました。薬を飲み、職を変え、長い時間が経った後も、一度身体に染み込んだ地獄の水は抜けてなくなりはしないのでした。
水の中で過ごして何年か経った頃、電話で高橋の訃報を聞きました。電話をかけてきたのは彼の妻でした。写真で見た若かった女性の声は暗く冷たい響きを帯びていました。彼女もまた水の中にいることを私は悟りました。