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プロヴィデンスは変わらない  作者: 野兎症候群
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プロローグ 一月のStreet ~Moon Beams~

 ある時、あたしは夢を見た。綺麗な月の夜の夢だ。今思えば、それは苦悩の始まりだったのだけど、その時は唯、魚眼レンズのような目を通して見えた月を単純に綺麗だと思った。

 あたしの目線は普段は見ない高度を彷徨っている。道端にある自販機の薄汚れた上面が見えるから、たぶん二メートルちょっとくらいの高さだ。地面に足を着いている感覚がないままに視界は夜の街並みを揺蕩っていく。まるで魚になって海に沈んだ街の中を泳いでいるような錯覚を覚える。気持ちが良い。

 ここはスクリーン越しに見る自分とは関係ない別の世界みたいだ。どこにでもある東京の風景なのに、ひどく他人行儀な感じを受ける。道路の近くにいるのにその騒音が聞こえないから、なおさらそう感じるのかもしれない。排気ガスの臭いもしない。一月の寒さもどこかに行ってしまっていた。大気をかき分ける感触もない。ただ、現実から遠く切り離された心の静寂があった。

 魚のような視界は色々な場所を揺蕩っていく。高速道路の街灯、交番の明かり、地下鉄の電子看板、交差点の信号、赤い自動車のテールランプ。夜の街は淵が丸く変形していて、ビー玉に閉じ込められた美しい芸術品みたいに見えた。

 しかし残念ながら、世界はそんなに綺麗なものばかりじゃなかった。通り過ぎる道々には卑猥な落書きがあったり、何を主張したいのか分からない政治家のカラフルなポスター、それにカラスの死骸。自己主張の激しい彼らは静かで華やかな夜景とは調和しない。あたしは真っ白なシーツに付いたシミを思い浮かべた。全体の美しさは部分の美しさの積算で表される。品質管理とはそういうことだと何かの本に書いてあった。世界には不純物が満ちていて、それを零にすることはどうしてもできない、とも。魚眼のように丸くゆがんだ視界はそのことを納得させてくれるのに十分な説得力があった。

 しばらくそうやって綺麗でもあり、ところどころ汚れている夜景を楽しんでいたが、視界が街角を曲がって路地に入ったとき、ふいにざわり、とした感覚が身体のどこかを駆け巡った。視界が路地を映す。

 その路地は薄暗くて細くて――そして二人の人間がいた。薄暗い闇の中、黒い影が動いているようにしか見えなかったけど、シルエットから何となく二人とも男だろうと思った。二人は少し距離を置いて歩いていた。先を歩く一人はランニングウェアを着た大柄でたくましい感じの男で、後を歩く一人は背の高いロングコートの男だった。あたしの視界もそれを追うように移動していく。

 視界が手前の男に近づく。真近で見ると髪が後ろで縛られていて肩まで伸びていることに気が付いた。黒いロングコートで体の線はよく分からないが、もしかしたらこちらは女性なのかもしれないと思った。視界が手前の彼(或いは彼女)を通り過ぎようとした。

 ――瞬間、視界の隅から何かが飛び出した。少しの間何が起こったのか分からなかったが、最初に気が付いたのは飛び出した何かが暗闇とは違う黒色であるということだった。そしてそのことに気が付いた頃には、視界に黒に近い赤が混じり始めていた。

 意識を向けると首から赤を噴き出した大柄な男が黒いコートの人と対峙しているのが見えた。痛み、恐怖、憤怒、戸惑い。色々な感情がごちゃ混ぜに表れた大柄な男の顔は壮絶な凄みがあって、血だらけの状況と相まって、まるでヤクザ映画のワンシーンのようだと思った。しかし、映画と違って大男は口を大きく開けて何かを言っているが、相変わらずオーディオの線が切れているみたいに何も聞こえなかった。

 黒いコートの裾が揺れた。二人の距離は一気に縮まり――フィルムが止まったみたいに少しの間すべてが静止した。何も動かない。

 世界が動き出すと同時に、大柄な男が後ろに倒れた。腹部から黒いシミがあふれ出してランニングウェアを染めていくのが見えた。

 黒いロングコートの人物はその姿をじっと見降ろしていたが、急に空を見上げた。あたしの視界もつられるように空を映す。そこには満月から少し欠けた楕円形の月が輝いていた。


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