第九話 「公爵令嬢は通りすがりに助けられる」
ポツリと冷たい水滴が頬に当たり、私はゆっくりと覚醒した。
「う……。痛っ……」
目を覚ますと同時に全身に痛みが走る。ぼんやりと霞む目を凝らし、周囲を上の方を見上げると私が着ていた筈の白いコートが、泥に汚れ、ボロボロにながら、山の斜面から生えている樹木の枝に引っかかっていた。
確か、蛇に驚いた私は足を踏み外し、そのまま斜面を転げ落ちてしまった筈。しかし、どうやら一度、あの樹の枝にコートが引っかかった事がクッションとなり、手足を擦りむいているものの、軽傷で済んだようだ。
いつの間にか、空はどんよりとした雲に覆われており、ポツポツと周囲に雨粒が落ちる。このままでは、濡れてしまうと、痛む身体を起こしかけて驚愕する。
「嘘……」
私の視界の先には先ほど、私が斜面から足を踏み外す原因となった暗黄色の蛇が、しっかりと私を見据え、今にも飛び掛からんとしていた。
「一緒に落ちてたなんて……。痛っ!」
慌てて、蛇から距離を取ろうと、身じろいでみるが右脚を強打したらしく立ち上がることも出来そうに無い。蛇はゆっくりと蛇行しながら確実に私との距離を狭めてくる。
「そんな……」
絶望的な気持ちになりながら目を閉じた時、背後からぺった、ぺったと物音が徐々に近づいてくる。
まぶたを開けると目の前の蛇は動きを止めて、私のすぐ横を凝視している。何事かと視線を向けると、私の背後から、おもむろに大きな鳥が現れた。長く黄色いクチバシ、長い首。全身は美しい純白の羽毛。
「白鳥……」
そう。まごう事無き、白鳥だった。蛇は狙いを私から白鳥に変えたらしく突如、白鳥に飛び掛かった。
「!」
驚く私と裏腹に、冷静な目で完全に蛇の動きを捉えた白鳥は、飛び掛かってきた蛇を自身の大きな翼で容赦なく叩き落した。白鳥の翼による強打を頭部に食らい、地面に叩き落された蛇は脳震盪でも起こしたのか、ピクピクと痙攣し、白目をむいて虫の息といった様子だ。
「…………」
突然の出来事にポカンと口を開け、唖然としていたら「フンッ」と鼻息を吐いて、振り返った白鳥と視線が合った。
一瞬、息を飲んで今朝の会話を思い出す。大人の男性ですら、白鳥の翼による攻撃をまともに食らえば、骨が折れるほどの重傷を負う事があるから決して不用意に白鳥に近づいてはいけないとセバスティアンは言っていた。
強まってくる雨脚の所為でどんどん身体が濡れ、冷えてくる。それに加えて白鳥から危害を加えられるかも知れない恐怖で震えながら身体を固くしていると、大きな白鳥は目の前でじっと私の顔を見た後、興味が無くなったようで、再びぺった、ぺったと湖の方へ歩き出し、そのまま去っていった。
「…………」
呆然としながら白鳥の後姿を見送っていた時、不意に遠くから声が聞こえた。
「エリナー!」
「ミシェル!?」
よく知る、いとこの姿が見えて安堵していると、彼女は私を視認するや否や、急いで駆け寄った。
「エリナ? 無事か!?」
「ええ、私は大丈夫よ」
「エリナっ! 良かった!」
駆け寄ったミシェルに抱きしめられた。彼女の目に光る物を見て、申し訳ない気持ちでいっぱいになった。
「心配かけてごめんなさい……。幸い、かすり傷だけで済んだから、泣かないでミシェル」
「泣いてなどいないっ!」
そう反論しながら、さらにきつく私を抱きしめるミシェルの腕の力に全身、打ち身を負っている私の身体が悲鳴を上げた。
「い、痛いっ」
「! あ、済まない……! 大丈夫か? エリナ?」
「ええ、何とか……」
身体の痛みに若干、顔を引きつらせながら苦笑した私は雨の中、ミシェルに身体を支えられながら屋敷に戻った。