第五十七話 「公爵令嬢は顔をうずめる」
マイペースに語り続けていた銀縁眼鏡の大公を睨んだ、黒衣の伯爵は顔を顰める。
「何故、貴様がこんな所にいる?」
「私が出て来る理由は、昔も今も一つですよ」
「本か……」
「ええ。その通りです」
とても良い笑みを浮かべる銀縁眼鏡の大公に、黒衣の伯爵の方は呆れ返った様子である。そんな中、一時的に弱くなっていた雨脚が再び強くなってきた。雷鳴も徐々に近くなっている。
「ともかく、こんな雨の中、立ち話もなんですから……。皆さま、屋敷の中へ入って下さい」
「それではお言葉に甘えて、お邪魔いたします。ご令嬢」
嬉しそうに微笑む銀縁眼鏡の大公に軽く頷いた後、ずっと黒衣の伯爵に剣を向け続けている、赤髪の料理人に視線を向けた。
「あと、ヴィクトル。……もういいわ。マリウス様から剣を下げて」
「えっ」
戸惑う赤髪の料理人から視線を外して、黒衣の伯爵に声をかける。
「マリウス様も屋敷にお入りください。私に話があっていらしたのでしょう?」
「ああ」
黒衣の伯爵はダークグレーの髪を揺らして無表情で頷いた。しかし、伯爵と私の会話を聞いていた金髪の麗人は血相を変える。
「ちょっと待て! こいつは……!」
「ミシェル……。大丈夫よ。マリウス様は、本当はお優しい方なのよ」
なにしろ初めて会った時、私が地面に落とした米粒を一緒に拾ってくれたような人だ。それに、初対面の時、湖畔で語ってくれたことを思い出せば、マリウス様の行動に関する私の疑問は、ほぼ氷解した。マリウス様は、あの時『弱みを握られて脅迫されている』というようなことを言っていた。
マリウス様が誰かに弱みを握られていたことで、自分の意に沿わない行動を強いられていたというなら、私の命を狙ったジュリアと共にいたことも納得できる。しかし、そんなことを知らないミシェルは柳眉を逆立てる。
「エリナ! こいつがフィリップに何をしたか忘れたのか!?」
「あの時、マリウス様は……。フィリップを昏倒させたけど、同時に応急処置として仰向けにして脚を上げた状態にしてたわよね」
「……」
「それに前の時も、さっきも……。マリウス様は、ミシェルを傷つけようとして剣を振るってる感じはしなかったわ」
「それは……」
ミシェルも思い当たる節があるのだろう。碧眼に戸惑いの色を浮かべて、やや視線を泳がせる。先ほどの討ちあいを見ていて、私は確信したのだ。マリウス様は、自分から危害を加える明確な意図を持って、ミシェルに剣を向けている雰囲気では無かった。
黒衣の伯爵は防戦一方だった。マリウス様が本気の一撃を繰り出したのは、ミシェルのレイピアを叩き折る、あの瞬間だけだった。
「マリウス様も今日、ここに来たのも私に話があるからだって、さっきおっしゃってたし……」
「エリナ……。はぁ……。おい貴様、本当に屋敷の中に入るなら、その大剣は預かる!」
「分かった」
渋々、私の意見を受け入れてくれたミシェルが最大限の譲歩とばかりに、所持している武器を預けろと手を出せば、黒衣の伯爵はあっさりと自らの武器を差し出した。
マリウス様が所持していた大剣をミシェルに手渡したのを、冷めた目で見届けたヴィクトルは軽く肩をすくめ、彼の咽喉元に突き付けていた長剣を降ろした。しかし、いまだに溜飲が下がらない様子のミシェルはアイスブルーの瞳に怒気を隠さない。
「あと、必要以上にエリナに近づくなよ……。少しでも怪しい素振りを見せたら、その場で叩き切るからな!」
「……好きにするがいい」
ミシェルは未だに警戒心を緩めないが、マリウス様は一向に意に介さない様子である。それにしても先ほど、マリウス様を追い詰めたミシェルとヴィクトルは、暗黙の了解とでも言おうか、片方が囮になっている間に、片方が相手の隙を突くという、見事な連携を見せてくれた。
もしかして、これを切っ掛けに二人の仲が良くなるんじゃ……。そんな淡い期待を胸に抱きながらミシェルとヴィクトルに視線を向ければ、料理人は雨に濡れた赤い髪を撫でつけ、厚い唇をとがらせていた。
「フン。こんなに雨に降られたんじゃ、俺の男前が上がっちまうじゃねーか」
「男前……? 下がることはあっても、上がることは無いから安心しろ」
「あ゛!? どこに目ぇ付けてんだ! この水も滴るイイ男が目に入らないのかよ!?」
「ハッ。節操無しの濡れネズミなら見えるがな」
「てめぇ……!」
以前と微塵も変わらない光景に、私はガックリと肩を落として、抱きかかえている白鳥の背中にモフッと顔をうずめた。
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