第五話 「公爵令嬢は辺境へ行く」
こうして私は辺境の地へ赴く事となった。しかし、それを聞きつけて猛反対する者がいた。
「何で姉さんが辺境に行くんだよ! おかしいよ!」
「ルーベル……」
弟のルーベルは私が辺境に行くと聞くや否や、血相を変えた。
「あんな根も葉もない噂の所為で、姉さん一人が辺境に行くなんて、あんまりだよ!」
「別に牢獄に行く訳では無いし……。暫く田舎の空気を吸って、気分転換するような物よ……。そこまで目くじらを立てる事ではないわ」
「……どうしても姉さんが行かないといけないなら、僕も一緒に行く!」
「だめよ」
「何で!?」
「馬車に乗っての長旅になるのに、左腕を骨折してる身ではケガに障ってしまうわ……」
骨折なら通常、最低でも一ヶ月は充分、安静にしていないと完治が遅くなってしまうだろう。長時間、揺れる馬車旅を今の時期にさせる訳にはいかない。それでも弟は食い下がる。
「でも!」
「お願いだから、聞き分けてちょうだい……」
眉根を寄せ、悔しそうにしているルーベルの蜂蜜色の髪をなでて、私は諭した。
数日後、支度も無事に整った。辺境に赴く間、護衛を引き受けてくれる、いとこの到着に思わず笑みがこぼれる。ブレイズ侯爵家の令嬢でありながら剣の道を選んだ、ミシェル。肩までかかる、ゆるいウェーブがかかった金髪を揺らして、青い騎士服を身にまとった彼女が馬車から降り、私を迎えに来てくれた。
これから乗り込む馬車は黒色を基調とした箱型のタイプだ。客室の下部は曲線を帯びた外観をしている。その二頭立て馬車が馭者と共に、自宅の前で待機してくれているのだが、私の辺境行きを未だに承服しかねる弟は、菫色をした私のドレスの袖を掴んで離してくれない。
父と母もルーベルをなだめるが弟は涙目で、ぶんぶんと首を横に振る。その様子を見かねてミシェルが声をかける。
「ルーベル……。エリナの護衛は私が引き受けるから心配するな……。お前は自分のケガを完治させる事を最優先に考えるんだ」
「……分かったよ、ミシェル。……僕の代わりに姉さんのこと絶対、守ってね!」
「ああ」
無念そうに私のドレスの裾を離した弟に、護衛騎士は笑顔で約束し、弟の蜂蜜色をした髪をくしゃりと撫でた。その様子を見て私は弟に微笑みかける。
「ルーベルったら、大げさよ。しばらく離れるだけだし、別に危険など無い場所なんだから」
「……だって」
「貴方のケガが治る頃には戻って来るから……」
「本当? 絶対だよ!? 約束だからね?」
「ええ……。分かったわ」
私は弟を優しく抱きしめた後、父と母にも暫しの別れを告げ、馬車に乗り込んだ。ルーベルと両親は馬車の姿が見えなくなるまで、ずっと家の前で立ち尽くしていた。
ガタゴトと馬車に揺られ、王都の中心から郊外、そしてさらに流れゆく景色を横目にミシェルが口を開く。
「それにしても、お前たちは前々から仲の良い、姉弟だと思っていたが……」
「私も驚いてるわ……。今回、私が世間から悪く言われて、ルーベルがあんなケガを負ってしまったから余計に心配しているのだと思うのだけど……」
周囲の人間から直接、悪意ある言葉を投げかけられて危害まで加えられたのだから、噂の渦中にいる私は弟と同様。もしくは、あれ以上に危険な目に遭うかも知れないと、危機感をつのらせているのかも知れない。
「まぁ、王都ならいざ知らず……。辺境の地では、噂に振り回される事も無いだろう」
「だと良いのだけど……。それにしてもミシェル、王宮で近衛の任にあたっていたのでしょう? 私の護衛なんて、大丈夫なの?」
辺境へ向かう道中ばかりでなく、向こうに滞在している間はずっとミシェルが傍についてくれると父から聞いたが、私の為に無理をさせているなら申し訳ない。そう思ったのだが、ミシェルは軽く肩をすくめて笑う。
「全く問題ないさ。何しろ、エリナの護衛は上からの命令だからな」
「そうなの?」
「ああ。何故か、国王陛下から直々に『当面、公爵令嬢エリナ・アンジェリーヌ・ド・ブランシュフルールの護衛任務にあたるように』とのお達しがあったんだ」
「国王陛下から……」
ほぼ間違いなく、父が硝子製品を国王陛下に売りつけた時、ついでにミシェルを護衛として付けて欲しいと話をつけたに違いない。私は確信した。
「まぁ、私が日頃あたっているのは平和な王宮内の警護任務だ。私一人が抜けた所で痛くも、かゆくも無かろうよ」
「そ、そう」
「ああ……。それに自宅へ帰れば、父は早く結婚相手を見つけろと怒鳴るばかりだったからな。いい加減、うんざりしていた所だったんだ」
「…………」
「私にしてみれば当面、王都を離れる事が出来る今回の任務など、願っても無い事だ」
「ミシェルの迷惑で無かったなら良かったわ……。私も久しぶりにゆっくりミシェルと過ごせると聞いて嬉しかったし」
普通の貴族令嬢なら、とっくに結婚していておかしくない年齢であるだけに、ミシェルの父上が気をもむのも分かるが、どうやら逆効果になってるようで私は思わず苦笑した。
ミシェルは女性にしては長身な上、スレンダーな体系のおかげで、同性のファンは多いようだが、なぜか恋愛関係には縁が薄いようだ。
そういえば、ミシェル本人は自身の胸が控えめに言っても、あまり大きくないのがコンプレックスらしいのだが、まさかそれが原因で結婚しない訳でもないだろう。胸の大きさが女性の素晴らしさを計るバロメーターでは無いのだから……。
馬車での長時間の移動の末、ファムカ国の中でも最北端にある辺境の領地に辿り着き、自分が滞在する邸宅の前で私は唖然とした。屋敷の壁など周囲は所々ツタが生い茂り、王都の邸宅も老朽化が進んでいたが、ここはそれ以上。一見、幽霊屋敷に見紛うほどの状態だったからだ……。
「こ、これは……」
「おかしいな……。公爵はエリナが到着するまでに、屋敷を居住可能な状態にするよう、ここの管理者に手配したと聞いていたのだが……」
ミシェルも美しい眉根を寄せて困惑している。しばし呆然と立ち尽くす、私たちを視認した使用人らしき青年が近づいてきた。
「公爵令嬢、エリナ・アンジェリーヌ・ド・ブランシュフルール様でいらっしゃいますか?」
「ええ。そうだけど、貴方は?」
「初めてお目にかかります。僕は今日から庭師として雇われた、ラウルと申します。セバスティアンさんを呼んできますね」
やわらかなアッシュブラウンの髪に、エメラルドグリーンの瞳が印象的な青年は、穏やかに微笑んで挨拶をしてくれた。そしてラウルが屋敷の中に入ってほどなくしてから白い口髭をたくわえた老紳士が現れた。
「おお! これはこれは……。エリナ様! ミシェル様も! すっかり大きくなられて! お久しゅうございます……」
「久しぶりね。セバスティアン……。しばらく滞在する予定なのだけど、この屋敷で間違いないのよね?」
「はい。なにぶん、エリナお嬢様が滞在されると連絡があったのが、つい先日でしたので、屋敷の外部の清掃まで十分、手が回っていないのですが……」
「いえ、確かに連絡が突然で申し訳なかったわ……。それにしても、この屋敷は滞在可能なのかしら?」
最悪、今日の所は、他所で宿を取らなくてはならないのではと懸念したが、白い口髭をたくわえた老紳士は朗らかに笑う。
「内部は居住できるように整えております……。どうぞお入り下さい」
老紳士は先導し、厚い紫檀材製の扉を開けて、屋敷の中へと私達を招き入れた。屋敷の中に入ると広いエントランスは飴色に輝く木目細工の床が磨き上げられており、白銅色の壁と茶褐色をしたウォールナットの窓枠や黒檀材の階段、重厚なデザインの手すりとコントラストが美しい。
どうやらセバスティアンのいう通り、室内はしっかりと清掃されているようで、ほっと息を吐いた、その時、エントランスに大きな声が響いた。
「おお! 天使!」
「?」
「こんな辺境に来る事になって我が身の不運を呪っていたが、今は神に感謝するしかない! こんな美しい天使と運命の出会いを用意してくれていたなんて!」
エントランスの奥から現れた、燃えるような赤髪の男が一直線に私に駆け寄ると、私の両手を握り、自身の緋色の瞳を輝かせ、何やら感激している。
突然出現した謎の男による、一人語りに戸惑っていると、私の横からスラリと伸びた輝く銀色の切っ先が男に向けられた。
「!?」
「離れろクズ」
いつの間にかレイピアを抜き、赤髪の男の咽喉元に切っ先を向けている護衛騎士、ミシェル・ド・ブレイズが地を這うような声で男を威嚇する。謎の男は握りしめていた私の手を、そっと放した。
「ブレイズ……!? な、何でお前がこんな所に……」
「私はエリナの護衛だ……。貴様こそ、何でこんな所にいる?」
「まぁ、二人は知り合いなの?」
私がミシェルに尋ねると、彼女は赤毛の男を睨みつけながらも私の問いに答える。
「ああ、確かに残念ながら知人だ……。説明するのも忌々しいが、コイツは学園時代の同期だ……」
「ヴィクトルと申します! 料理人としてこちらに雇われました。いや、こんな美しい天使にこれから毎日、手料理を食べて貰えるなんて、俺は本当に幸せ者だ!」
満面の笑みで自己紹介する料理人、ヴィクトルと対照的にミシェルは渋い顔だ。
「貴様……。学園を卒業した後、王都のレストランで料理人をしていると風の噂で聞いていたが?」
「いや~。俺にも色々、事情があってな」
「フン。大方、また不貞行為が露見して、そこに居られなくなったのだろう?」
「ギクッ」
どうも図星をさされたらしい料理人と、彼を冷ややかに見ている護衛騎士のやり取りを見守っていた、老紳士は朗らかに笑いながら頷く。
「ほっほっほっ。ミシェル様のお察しの通り、ヴィクトル殿は勤めていたレストランのオーナーの奥方との不貞行為が発覚して、そこをクビになったのです」
「ちょ!? セバスティアンさん!」
「やはりそうだったか……」
ミシェルは一先ずレイピアを鞘に収めながらも、汚い物でも見るかのような目で、料理人ヴィクトルに視線をやり、美しい眉を顰めた。
「『やはり』とは前にもそんな事があったの?」
「エリナ……。前にもなどと言う、生やさしい言い方では済まない複数の前科がコイツにはあるんだ……」
「?」
きょとんとする私に、ミシェルは諭すように語りかける。
「ヴィクトルは女と見れば、見境なしに誰でも口説く事で学園時代から有名でな……。常に複数の女性に手を出していたんだ……」
「え」
「私が在学時、どれだけの女生徒や女性職員がコイツの毒牙にかかったか……。コイツは真性のクズなんだ……」
「まぁ」
「私が知るだけでも、被害者は両手の指で数えきれない程だ……。エリナ。くれぐれも、こんな奴の口車に乗ってはいけないぞ?」
「……分かったわ。……教えてくれてありがとう、ミシェル」
信頼するミシェルが、そこまで言う程の人物なら、それなりの心構えをしておく必要がありそうだ。私を気遣ってくれた護衛騎士に心から感謝していると、料理人は口をとがらせて彼女に抗議する。
「ちょ!? 酷いぞ、ブレイズ! お前の所為で、天使の俺に対する好感度が、ガタ落ちじゃねーか!」
「私は事実しか話していない。……自業自得だ」
「女と見れば、見境なしに誰でも口説くってのは嘘だろ!? 俺はお前を口説かなかったぞ!」
「初対面で私を見た時『俺がホモならお前を口説いてた』と言った奴が、偉そうに何を言うかっ!?」
「なんだ? お前、俺に口説いて欲しかったのか?」
「ふざけるなっ! 寝言は寝てから言えっ!」
料理人と護衛が舌戦を繰り広げ出し、それを見守っていたセバスティアンは、にこにこと微笑みながら頷いた。
「ほっほっほっ。仲がおよろしい事で」
「「どこがだっ!」」
二人の声が屋敷のエントランスにこだまする中、私はやれやれと溜息を吐いた。