第四話 「公爵令嬢は開いた口が塞がらない」
ドン! ドン! と頭が痛くなるくらい、大きな音がする。あれは敵国の兵が城門を破ろうと攻撃してる音だ。
「もう止めてっ!」
やがて門は破られ、城内に殺到した圧倒的多数の敵兵によって味方は虐殺されていく。私は侍女に手を取られながら逃げるが、彼女は私をかばって敵兵に切り殺され、私を守っていた近衛兵も次々と殺されていく。
「っ! 分かってるわ……!」
そう。これは前世での出来事……。夢だと分かっている。何度も何度も繰り返し、迫りくる死の恐怖に怯え、逃げまどい結局、絶望の中で殺されるのだ。
「はぁ……」
窓の外では、どんよりとした灰色の雲が青空を覆いつくかのように押し寄せている。昨晩は夢見が悪くて、ほとんど眠れなかったから自室のソファで、うたた寝をしていたのだが、まさか夜中だけでなく、昼間までこんな夢を見るなんて……。私は憂鬱な気分で、こめかみを押さえて立ち上がる。
冷たい水で顔を洗って、気だるさも洗い流してしまおうと考え階段を下りれば、今朝までは確かにエントランスに置いたままになっていた複数の木箱が忽然と消えていた。
婚約が解消されたとはいえ、仮にも王子からの贈り物をいつまでも放置しておけないとは思っていた。お父様がどこかに仕舞ったのかしらと首をかしげていると、ちょうど当の本人が、玄関の扉を開け帰宅してきた。
ブランシュフルール公爵家の当主である父は、深緑色の宮廷服を身にまとっている。国王陛下に謁見する際に着用する正式な格好だ。
「お父様、お帰りなさい」
「うむ」
父の足取りは軽く、表情もいつになく明るい。ホクホク顔である。
「お父様がそんな上機嫌なんて、久しぶりですわね。一体、何があったんですの?」
王子との婚約破棄以来、これと言って明るい話題も無かったのに、ニコニコしている父に違和感が拭えない。私はふと気づいた。
「そういえば、エントランスに置きっぱなしにしていた、王子からの贈り物がいつの間にか消えてますけど……?」
「…………」
「まさか……。アルヴィン殿下からの贈り物を、売り飛ば」
「ち、違う! 誤解だ、エリナっ!」
慌てふためく父に、私は腕を組んで冷ややかな目を向ける。
「何が誤解ですの?」
「いや、本当に誤解だ! 決して、金欲しさに売り飛ばした訳ではない!」
「ではガラス細工の品々がどこへ行ったのか、詳しく話をお聞かせ下さいませ。お父様」
「…………」
白状した父の話によると、隣国の王家との婚約話が破談になった以上、アルヴィン王子からの贈り物を全てグルーテンドルスト国側に返還すべきか、我がファムカ国の王宮に問い合わせた。
すると、高級なガラス細工コレクションを趣味としているファムカ国王が、グルーテンドルスト国から贈られた高級ガラスの品々と聞き、大変興味を持たれて贈り物の数々を一度、検分すると言い出した。
そして実際に、色被せガラスのグラスセット、美しいガラス花瓶、クリスタッロ製法ガラスの大皿、優美な吹きガラス製ランプ。銀薔薇の姿見鏡。豪奢なクリスタルガラスのシャンデリア。それらを目にした所、国王陛下はいたくお気に召した。
「グルーテンドルスト王家の面子もあろうから、贈り物を返還せよ。などとケチなことは、まず申さないであろう。しかし万が一、返還要求があった場合はこちらの王宮から速やかに返還するから安心せよ」
満面の笑みで、そう述べたファムカ国王の仰せに従い。硝子細工の贈り物は、そのまま国王陛下に引き渡される事となったという。
「……は? 全部、取り上げられたんですの!?」
「取り上げられたのでは無い。……お引き渡ししたのだ」
「同じことでしょう!?」
思わず声を荒らげる私に、父は反論する。
「いや、違うぞ! エリナ、考えてみなさい。婚約破棄になったとはいえ、隣国の王家から頂いた物を早々、処分する事は出来ない!」
「……」
「かと言って、我が家で使うには値が張りすぎる品々だし、このまま所持していては強盗に遭う危険性が高まるばかりだ!」
「……」
「そこに返還請求があった場合は王宮が応じると言って、引き取って頂けたのだから、願ってもない話だ。国王陛下からは相応の謝礼を頂いたしな!」
「相応の謝礼……?」
「隣国から硝子細工の返還要求が、ある無しに関わらず、王宮からの謝礼に関しては頂いたままで大丈夫だと言質も貰っている!」
「…………」
どうやら我が父は婚約破棄に便乗して、アルヴィン王子からの贈り物を相当高値で王宮に売りつけたようだ。確かに我が家に置いておいても宝の持ち腐れだし、それなりの場所にあった方が良い品々だろうが、手際が良すぎて、開いた口が塞がらない。
「いや、そもそも……。お前もこうなる事は承知していた筈だろう?」
「?」
「王宮に出向く前、お前の部屋のドアを叩いて声をかけたら、強くドアを叩くのは『もう止めて!』と返事をしただろう?」
「!?」
「お前に『王子からの贈り物を陛下がご覧になりたいと仰せだ』と声をかけた」
「え?」
「『国王陛下が高級ガラス細工を集めているのは有名だから、陛下があの品々をご所望になられるかも知れない』とドア越しに言ったら、エリナも『分かってるわ!』と返事をしただろう?」
「……」
「てっきり、お前は了承してくれた物だと思っていたのだが……」
父にそんな返事をした記憶は全く無い……。いや、夢の中で城門が攻撃されてた時の音……。やたらリアルで頭が痛くなると思っていたが、あれは父が部屋のドアを強く叩いていた音か……! 夢の中で、私は確か……。
「もう止めてっ!」
「分かってるわ……!」
そう叫んだ。恐らく、ソファでうたた寝しながら、寝言を叫んでしまっていたんだろう。私は深い溜息をついて脱力する。私の様子を見た父は何を思ったか、眉根を寄せて話題を変える。
「と、とにかく! お前が向かう、辺境の領地管理は我が公爵家で家令をしていた、セバスティアンがやってくれている」
「セバスティアン……」
その名を聞いて、私が幼い頃、この家で働いていた老紳士を思い出す。いつも笑顔を絶やさなかった優し気な白ヒゲの老紳士。
「お前が、まだ小さい頃には一緒に過ごしていたが、あまり覚えていないか……。信頼できる人物だ。お前が向こうに滞在中もセバスティアンが不自由ないよう取り計らってくれるから安心しなさい」
「一人で王都を出るのね……」
今までずっと家族と共に、この邸宅で暮らしてきただけに、召使いがいるとは言え、一人で辺境に赴くというのは何とも心細い。私が顔を曇らせていると父は頷いた。
「お前ひとりを辺境にやる訳にもいかぬから、ミシェルをお前の護衛に頼んだ」
「ミシェル……!? 道中はミシェルと過ごせるのね?」
「道中だけでなく、お前が辺境に滞在中はずっと護衛してもらう手筈を整えた」
私のいとこにあたるミシェル。女性の身ながら士官学校を卒業し、騎士となった。私にとって姉のような存在だ。幼い頃から私のことを妹のように可愛がってくれた彼女と過ごせるのは嬉しかった。
「あと運良く、王都で評判の料理人も格安で雇えた。その料理人を辺境に送るよう手配しておく。それと向こうの屋敷の庭園が荒れ果てているだろうから庭師と、セバスティアンも年だから召使いを……」
「私一人の為にそんなに雇用しなくても結構ですわよ……」
「安心しなさい。最低限しか雇わない」
「…………」
「それに、これは公爵家として最低限の面子を保つ為に必要な事なのだ。辺境の邸宅にある庭園は長年、手入れをしていなかったから、お前が好きなようにするといい」
私としては不必要な出費は控えて欲しいが、貴族として必要な最低限とあらば仕方ないと甘受する事にした。まぁ、相当な高値で国王陛下に高級な硝子細工の品々を売りつけたであろう事を考えれば、召使い数人を雇うのと、庭の手入れ程度の出費は痛くも痒くも無いに違いない。
とにかく、王都にいても居場所は無いし、自分が王都から出て行く事でブランシュフルール公爵家への風当たりが、これ以上強くなるのを避けられるならば、行くほか無いのだ。私は荷物をまとめ、辺境に行く準備を整えた。