第三十五話 「公爵令嬢は心配する」
熱心に女性を口説いているヴィクトルを遠目に皆、呆れながらその場を後にする。それにしても、アリアとかいう、黒いドレスを着た妖艶な美女は「私の素性を知っても、そんな事を言ってくれるのかしら?」などと意味深な事を言っていた。あんなにも美しいのに「そんな事を言ってもらったのは初めてだわ」とも……。
あれほどの美女が男性に口説かれた事が無いなんて、到底思えない。決まった婚約者が居る上級貴族の箱入り娘なのだろうか?
仮に王子の婚約者だったりしたら、ヴィクトルの首が飛んでしまう可能性すらある……。さすがに心配になってきて白鳥に尋ねる。
「ねぇ。ディートリヒ王子って婚約者がいるの?」
「!? いや、兄上に婚約者は居ないはずだが……」
「なんだ。エリナはディートリヒ王子が気になるのか?」
ミシェルが面白そうに口角を上げる。
「あ、そうじゃなくて……。さっきの黒いドレスの美女が、ディートリヒ王子の婚約者とかなら、ヴィクトルが不味い事になるなって思ったのよ」
「ああ……。確かに」
いつもヴィクトルに対して辛辣なミシェルも、その可能性を考えて流石に眉を顰めたが、白鳥は首を横に振る。
「いや、それは無いと思う。俺が居なくなる前、そんな話は無かったし……。勿論、兄上に近づく女性や、縁談を持ち込む貴族は多かったようだが、兄上はそういうのを忌避されていたからな……」
「忌避されていたって……。ご結婚されてもおかしくない年齢なのでしょう? 何か問題でも?」
「兄上は公妾の子供という微妙な立場であるし、王太子であるジークフリート兄上より先には、結婚しないと公言していたのだが……」
「他に理由が?」
「……兄上には好きな人がいるらしい」
その言葉に、私は思わず両手を合わせて提案する。
「まぁ! お相手がいるなら、話が早いわ! その方とご結婚されれば良いのに!」
「それが、どうも結婚できない相手らしくてな……」
「そんな……」
「結婚できないとなると、身分違いか……。王子の身分で、貴賤結婚はさすがに厳しいだろうからな」
ミシェルが腕を組みながら顔を曇らせた。普段、城の中で過ごしている王子が、日常で接している異性と言えば、城で仕事をしている女官、侍女、召使い。
女官や侍女は基本的に貴族がやっている事を考えれば、一番障害があるのは矢張り召使いか……。密かに平民の召使いとの結婚を望んでいるとしたら、相当難しいだろう。内心、そう思っていれば白鳥は視線を落とす。
「それが……。誰なのかは、全く分からないんだ。兄上は決して、相手の名前を言わないから……。分かれば、こちらとしても応援なり出来るんだが」
「あれほど見目麗しい王子でも、好意を持った相手が居ながら、結婚に踏み切れないなんて世の中、思うようにいかない物なのね……」
思わず遠い目になってしまう。ともあれ、ディートリヒ王子の美貌は想像以上で驚いたが、聞いていた通り、良識があって話の分かる方だった。
こちらの事情を理解してくれて協力的だし、王子が国王夫妻に話を通してジュリアを拘束してくれれば、一先ず安心できる。
王都からジュリアを拘束したと連絡が入り次第、面会に行って恩赦と引き換えに、白鳥の姿から人間の姿に戻す取引ができるかも知れない。もし、ジュリアが拒否したとしても、いったん拘束されれば、これ以上、私や他者を害するような凶行に及ぶ危険は無くなる筈だ。
当面の危険を遠ざけつつ、こちらも打開策を見つけられるよう、今後の対策をじっくり練ればいい。国王夫妻の協力が取り付けられれば、例えジュリアの協力が無くても、良い知恵を持った人物が見つかるかも知れない。事態が大きく好転しそうな予感がする。