第三話 「公爵令嬢は婚約破棄を言い渡される」
私の婚約者である、アルヴィン王子が失踪した。彼の妹であるジュリア姫が、わざわざ学園の教室にまで乗り込んで私を糾弾した為、アルヴィン王子の失踪はこの私、公爵令嬢エリナ・アンジェリーヌ・ド・ブランシュフルールが原因だと誰もが思い込んでいる。
最初の内は私を庇ってくれていた、侯爵令嬢イザベラと、伯爵令嬢メアリー、子爵令嬢ローザですら、本当にアルヴィン王子が行方不明だと判明してからは、私と距離を置くようになった。
私にとっては不幸中の幸いというべきか。卒業間近だったので学園内で陰口を叩かれ、孤立しても、あと僅かな期間の辛抱だと耐える事が出来た。
授業を終え、学園を出ようとした時。遠くから子供たちの言い争う声が聞こえた。嫌な胸騒ぎがして声の聞こえた方、人気のない倉庫裏へ向かえば、なんと弟のルーベルが他の子供たちから、突き飛ばされ一方的に殴る、蹴るの暴行を受けていた。
「何をしているの!?」
「ヤバっ!」
「逃げろ!」
思わず、声を上げれば弟を暴行していた子供たちは、蜘蛛の子を散らしたように慌てて逃げていった。急いで弟に駆け寄るが、弟は唇から血を滲ませぐったりしている。
「ルーベル!? 大丈夫? しっかりして」
「姉さん……」
頬をさすれば、弟はゆっくりと目を開けて、私を見つめた。意識はしっかりしているようで一先ず、ホッとする。
「何で、こんな事に……?」
「……みんな姉さんのこと、悪女だって言うんだ」
「!」
「婚約者の王子を、弄んで捨てた悪女だって言うんだ……」
「そんな……」
かなり噂が広まっているのは知っていたが、まさか下級生たちにまで、そのように言われていると考えていなかった私は絶句した。動揺を隠しきれない私の手を、ルーベルはやんわりと右手で握り、優しく微笑む。
「でも僕は、姉さんがそんな事してないって知ってる」
「ルーベル……」
「だから僕、姉さんは悪女なんかじゃないって言ったんだ。そしたら……」
私は悔しくて涙が滲んできた。どうして不当な濡れ衣で、こんなにも誹謗中傷されなければいけないのか。しかも私ばかりではなく、何の罪も無い弟まで、このような目に遭うなんて。
服の袖で悔し涙を拭った私は、弟を運んで医務室で手当てしてもらった。ほとんどのケガは軽い擦り傷ばかりだったが、左腕は突き飛ばされた時に骨折していた。弟を気遣いながら帰宅すれば、我が家の門の周囲には泥を投げつけた跡が、そこかしこに残っていた。
愕然としながら自宅に入り、弟の件を含めて両親と話をした。この状況でルーベルを学園に通わせるのは危険と判断し、ケガがある程度回復するまで、弟は学園を休ませる事となった。
ルーベルにケガを負わせた生徒の家には、学園を通して強く抗議した。ケガに関しては全面的に、加害者側の生徒に非がある事から、治療費の支払いには応じたが「骨折させる意図は無く、事故だった」「子供同士のケンカなのだから、大目に見てやって欲しい」などと言われ、両親と私は憤懣やる方ない思いだった。
弟にまで被害が及んでいる今の状況を何とか出来ないかと、藁にもすがる思いで王立図書館へ足を運んだ。色々と本を読んでいる内に気付いたが、この国の貴族は神学や神秘現象にかなり造詣が深かったらしく、図書館の蔵書の中には貴重な「神聖正典」「精霊学」から「呪術入門」「悪魔辞典」などという怪しげな物まであった。
ここが教会図書館で司書が厳格な宗教者なら真っ先に焚書対象として、火中に投じられそうな本まで普通に置かれているのに驚いた。一応、文化を後世に伝えるという名目で一時期、あらゆる分野の書物が写本されたそうだが、それだけこの国が宗教に対して、大らかなのだろう。気になったので好奇心で少し手に取り、パラパラとその場で眺める。
「呪術入門」の中身は恋愛成就や旅の安全祈願など、簡単なおまじないの方法が載っていた。しかし、その内容は「眉毛に唾液を塗り込む」とか実行して効果があるとは思えないような、まさに眉唾物の内容で、おとぎ話の魔法みたいな物を期待した私はガックリと肩を落とした。
「悪魔辞典」は悪魔の名前と特徴。魔界でそれぞれの階級について細かく書かれ、悪魔を召喚するなら魔法陣が記された「古代の書物」が必要であり、自分より遥かに格が高い悪魔を召喚した場合、問答無用で殺される。また悪魔に願いを叶えて貰った場合、代償は召喚者の命。そう明記されていた。
ドン引きである。何が悲しくて自分の命と引き換えに悪魔を召喚すると言うのか。リスクが高すぎて、こんな物に手を出す人の気が知れない。そもそも魔法陣が記された古代の書物とやらが無いので、どちらにしろ悪魔召喚なんて出来ないが……。
とにかく「呪術入門」も「悪魔辞典」もおよそ自分には関係無いし、こんな本を司書に閲覧申請するのは憚られたので、そっと本棚に戻した。
本当に魔法が使えるなら、今の窮状を脱する事が出来るのではと考えたけど、やっぱり魔法なんて物が簡単に使える訳がない。一応、他の本を読んでいると歴史上の人物でそれらしい記述があった。大昔のソロモン王という人物は、天使から知恵を授けられて魔法文字が刻まれた指輪を使い、悪魔を使役したと言われているらしい。
ソロモン王に関する魔法書も過去には存在したようだが、この王立図書館には現存しない。大方、自分を偉大に見せたい独裁者が、自身を神同然だと民衆に崇めさせたいが為に、そんな作り話を捏造したのだろう。私の中で、矢張り魔法など信憑性に乏しい物を追いかけるのは時間の無駄だという結論に達した。
その後、例の噂は学園どころか、国中に広まってしまった。アルヴィン王子の心を弄んで捨てた悪女、という濡れ衣を完全に着せられた状態だ。
私は針のむしろの様だった学園を何とか卒業し、自宅の居室でソファに座っていた時、眉根を寄せて苦々しい表情をしているブランシュフルール公爵家当主である父上から、突然告げられた。
「お父様……。今、何とおっしゃいました?」
「グルーテンドルスト国から、婚約破棄したいと書簡が届いた……」
「!」
「第三王子が行方不明で、置き手紙に『公爵令嬢エリナ・アンジェリーヌ・ド・ブランシュフルールが原因で旅に出る』と書かれてあった以上、グルーテンドルスト国としては、婚約を継続出来ないという結論を出したそうだ……」
もし、アルヴィン王子が行方不明のままなら、そういう可能性があると考えなかった訳では無いが、恐れていた事態が現実となってしまった。
つい先日、王子との婚約が決まり、やっとの事で心の折り合いをつけた。そして、前向きに王子との結婚を考えるようになった矢先、不当な悪評が原因で一方的に婚約破棄を突き付けられるなんて悪夢のようだった。
「そんな……! 私、本当にアルヴィン殿下と言葉を交わした事も……。会った事すら無いのに!」
「分かっている……。分かっているが、世間はそう思っていないのだ……」
「…………」
私は愕然とした。家族の為にもアルヴィン王子との結婚は最善だと信じていたのに、肝心の王子に一度も会うこと無く、このありさま……。
王都で私の悪名を知らない者はいないだろう。私はすっかり、王子の心を弄んで捨てた『悪女』の烙印を押されてしまった状態なのだから。
悪女などと呼ばれている娘に。しかも名ばかりの貧乏公爵令嬢に、まともな嫁ぎ先など最早、どこにも無いだろう。
もし、今回の件が無ければ幼い貴族令嬢の家庭教師でもやって、家計を助けるという選択もあっただろうが、こうなった私に、わざわざ家庭教師を頼む貴族など居るはずもない。行儀見習いを兼ねて、王宮の侍女などという仕事も門前払いに違いない。
せっかく学園を卒業したというのに嫁ぐ事も、家計を助けることも出来ない。それどころか、私がいるだけで、我が家への風評被害は消えることが無い。今や、私は完全にブランシュフルール公爵家のお荷物だ。
「エリナ……。ブランシュフルール公爵家としても、世間の批判を収めたい」
「?」
「……ほとぼりが冷めるまで、お前には辺境の領地に住んでもらう」
第三者から見れば、アルヴィン王子の心を弄んだ悪女、エリナ・アンジェリーヌ・ド・ブランシュフルールが辺境の地へ追放された様に思えるだろう。
理不尽な気がしないでも無いが、これで弟や、我が公爵家への風当たりが弱くなるなら安いものだと思い、私は父の提案を受け入れた。