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第二十九話 「回想」

 グルーテンドルスト国の正妃ソフィアが病に倒れて亡くなった後、国王はかねてより親しくしていた、女官ルイーズと再婚した。そしてその直後、公妾のヘレネ夫人が突如、姿を消した。


 もう何年も国王との仲は冷え切っており、現状に耐えかね愛人である男性貴族の手引きで公妾が出奔したと城内で噂が広まり、国内を揺るがす大スキャンダルになりかねないと懸念されていたが、王はヘレネ夫人の公妾としての任は、第二王子ディートリヒを出産した直後に解いており、ヘレネ夫人以降の公妾は、当時の正妃ソフィアの女官であったルイーズ。つまり、先日再婚した現妃が務めていた。……ということにした。



 そんな強引な説明で周囲が納得する物なのかと思っていたが、王に婚外子がいるのは以前から暗黙の了解であったし、宗教的には本来、一夫一妻制にも関わらず、愛妾や愛人を複数持っている貴族が多数を占めていたので、今さらこの件で王を咎める者はいなかった。


 唯一、批判するのではないかと思われていた教会も、王家が常日頃より多額の献金を渡していたのが功を奏したようで、形式的な手続き上、問題が無いなら構わないという寛容な姿勢を見せ、教皇や聖職者が王を糾弾する事は無かった。



 元々、公妾ヘレネの評判が悪かった事、公妾ヘレネの父親である、宰相の退任を願う有力貴族が非常に多かった事。また教養があり、万人に礼儀正しい女官ルイーズの人望が高かった事。様々な要因が幸いしたようで、意外な程あっさりと後付けの理由は受け入れられた。


 そして、この後付けの理由によって、女官ルイーズが産んでいた男児は国王の子供であると、公に認知される事となった。つまり女官ルイーズを母に持ち、国王を父に持ちながら長年、認知されていなかった俺は第三王子アルヴィン・フォン・グルーテンドルストとして正式に認められる事となった。





 国王の再婚、公妾の出奔、第三王子の認知……。それらがようやく落ち着いた頃、半月アーチ窓から陽光が差し込む執務室で机に向かっていた時、勢いよく扉が開けられた。金髪縦ロールの髪を揺らし、真紅のドレスに身を包んだジュリアが靴音を高らかに鳴らせながら入室する。


「お兄様が結婚すると聞きましたわ! 本当ですの!?」


 こちらの顔を見るなり、不機嫌さを隠そうともせず問いかけてくる。幼い頃から表向きは女、ジュリア姫として暮らしている為、その所作に違和感は全くない。本当の性別が男だと知らされていなければ、誰もがレディだと信じて疑わないだろう。


 元々、顔は母親譲りの美貌を色濃く引き継いでいる。その上、完璧なメイクを施しているので、どこから見ても優雅な美姫である。


 ただ、成長期から咽喉仏が目立ってきた為、そこを隠す必要に迫られ、首元にフリルの付いたチョーカーリボンを巻くようになった。だが、それによって優美さが損なわれることは全くなかった。


 俺はちょうどファムカ国より届いた手紙を受け取り、その文面に目を通していた。



「ああ。結婚するのは本当だ……。すでに先日、婚約祝いの品を先方に送って、婚約者であるファムカ国のエリナ・アンジェリーヌ・ド・ブランシュフルール公爵令嬢から、この通り……。婚約祝いの品に対する返礼の手紙をもらった所だ」


 手紙には丁寧な文字で感謝の言葉が綴られている。思わず口元を綻ばせながら手紙を封筒に仕舞っていると、ジュリアンは怪訝そうに美しい眉を顰める。



「アルヴィンお兄様、何故そんなに嬉しそうにしてるの? その公爵令嬢とは、どうせ政略結婚なのでしょう?」


「お前には話しておいた方がいいかな……。表向きは、輸入品を確実に確保する為の政略結婚だが、実は俺が望んだ婚姻なんだ」


「お兄様が望んだ!?」


 寝耳に水で唖然とした様子のジュリアに俺は笑顔で告げる。


「ああ、だから実は政略結婚では無いんだ」


「……許せない」


「え?」


 ジュリアを見れば苦虫を噛み潰したような表情をしていた。怒りを抑え切れないといった様子のジュリアは真っ赤なドレスの裾をきつく握りしめながら低い声で呻く。


「仮にも貴族として生まれたからには、政略結婚は仕方ないと思っていたけど……。アルヴィンお兄様に望まれて愛される女がいるなんて、許せない……」


「ジュリア、お前……」


 驚嘆する俺に弟は縋りつく。


「お兄様だって気付いていたでしょう? 私の気持ち……。私、幼い頃から、アルヴィンお兄様のことを、お慕い申し上げて……。ずっと愛しておりましたのよ?」


「やめろ……。お前と俺は片親だけとは言え、血が繋がっている。それに男同士だ!」


「あら? 真実の愛さえあれば、そんなもの関係ないわ」


「俺はそういう意味で、お前を愛していない」


 一縷の望みも無いのだと分からせる為に、ことさら冷淡に言い放ったがジュリアは眉根を寄せて食い下がる。


「そんなこと言わないで……。私、お兄様が望むなら何だってやってみせるわ」


「?」


「望むなら……。アルヴィンお兄様を、グルーテンドルスト国王にする事だって出来ますのよ?」


「何を言い出すかと思えば……。世迷い言を……」


 ジュリアがあまりにも荒唐無稽な事を言い出すので、一笑に付すが本人は真剣な表情で続ける。



「いいえ……。私生児扱いだった頃なら、いざ知らず……。アルヴィンお兄様は現在、王位継承権のある第三王子ですもの……。上のお兄様方が居なくなれば、王位はアルヴィンお兄様の物ですわ」


「兄上達を亡き者にでもしようと言うのか? そんな事を口にするのは冗談でも止めるんだ……。誰かに聞き咎められれば、無事では済まないぞ?」


「あら? 無事に出来ますわ……。ねぇ、アルヴィンお兄様。ちょっと手を出して下さらない?」


 ジュリアの言葉を訝しみながら手を出すと、弟は俺の手の平に、自身の指で文字を記した。


「? これが一体なんだと言うんだ? ……くっ! これは!?」



 黒い靄に取り囲まれたと思った瞬間、えも言えぬ違和感を身体中に感じ、思わず目を閉じた。異様に動悸が早くなり、嫌な冷や汗がしたたり落ちる。ようやく違和感が落ち着いたと、ゆっくりまぶたを開ければ、視界が妙に低い。


 困惑しながら周囲を見渡し、自分の手、身体を見て驚愕する。つい先ほどまで人間の手であったものは真っ白く大きな翼になっており、身体は純白の羽毛に覆われ、脚も黒い水かきの付いた鳥の脚と変わり果てていたからだ。慌てて執務室内にある鏡を覗き込めば、そこには一羽の白鳥と化した自分が映っていた。



「これは一体……!?」


「お分かり頂けたでしょう? アルヴィンお兄様」


「まさか……。こんな……」


 愕然とする俺に対して、ジュリアは満面の笑みで提案する。



「うふふ。こうすれば誰にも知られずに邪魔者を消せましてよ? 現に、公妾ヘレネ様が居なくなったのに、誰も私を疑いはしなかったですもの」


「まさか……。ヘレネ夫人がいなくなったのは……!?」


「ええ。ヘレネ様が居なくなったのは、私があの方を小鳥に変えてしまったからですわ」


「こ、小鳥だと?」


「よく鳴く、小夜啼鳥になってくれたので、暫くは鳥籠に入れて私の部屋で飼っていたんですの」



 小夜啼鳥といえば美しい鳴き声が貴族の間で評判となり、ここ最近、飼う者が急増しているのだという。ジュリアが小夜啼鳥を飼い始めた事は人づてに聞いていたが、まさかその小鳥の正体が、行方知れずになった筈の公妾だったとは……。絶句する俺に構わずジュリアは得意げに続ける。


「時間が経てば人間の言葉は喋れなくなるから、メイド達も煩く騒ぐ小鳥としか思ってませんでしたわよ?」


「な……」


「でも、あんまりにも鳴き声が煩かったから……。今は冷たい土の下ですわ」


「お前っ……! 何て事を……」


 真紅のドレスを着たジュリアは、真っ赤な口紅をひいた薄い唇を三日月形にして笑っていた。何の罪悪感も見られない弟の表情に、俺は戦慄した。



 ジュリアの母親パメラは元々、公妾ヘレネの侍女だった。父王の寵愛がジュリアの母親であるパメラに注がれた際には、公妾ヘレネはかなり、侍女パメラに嫌がらせをしてジュリアの母親の持ち物を壊したり、パメラが大事にしていた物を、気まぐれに取り上げたという話は聞いた事がある。


 ジュリア自身にも過去、何度も公妾ヘレネから執拗な嫌がらせをされたと聞いていた。あまりに酷い理不尽な仕打ちは見過ごせず、自分としても出来る限りジュリアを守ったつもりだったが、これまでの公妾ヘレネの所業を腹に据えかねていた弟は、越えてはならない一線をすでに超えてしまっていたのだ。


 あまりの衝撃にめまいを起こしそうになるが、ジュリアは構わずに、うっとりと囁きかける。



「ね。お兄様……。私さえ居れば、アルヴィンお兄様はグルーテンドルスト国王にだってなれますのよ?」


「俺は生まれてから長い間、父親に認知されなかったから、その事で引け目を感じたことはあっても、王位を望んだ事は一度もない……」


 まして父王や兄たちを手にかけるなど、夢にも思った事は無かった。そんな俺の胸中を知らずにジュリアは続ける。


「それは王位を求めるのを最初から諦めていたからでしょう? 私がお兄様の為に尽力すれば、不可能ではありませんわ」


「……」


「一度に一人ずつしか鳥に出来ないから、ちょっと時間がかかってしまいますけど……」


「……」


「ね。アルヴィンお兄様、私を愛して……。そうすれば、元の姿に戻れるし、私はお兄様の為に一生尽くしますわ……」


「ジュリア……」



 いくら女物の華やかなドレスを着て、アクセサリーを身に着け、化粧をしていても、やはり弟で男だ。何と言われようがジュリアを恋愛感情で愛することは出来ないと痛感した。


 たとえジュリアを愛さないと人間の姿に戻れないのだとしても、無理な物は無理だ。そう思いながら、どう言葉にすべきか言いよどんでいるとジュリアは、まるで譲歩するかのように提案してきた。



「お兄様が国王になれば、結婚して世継ぎを作らない訳にはいかないから。私は妾か愛人の立場でも構いませんわ」


「……」


「まずは一番上のお兄様。ジークフリート殿下を鳥に変えましょう? 王位を狙った第二王子が王太子を害したと噂を流せば、きっとみんな信じますわ……」


「……」


 長兄の王太子、ジークフリート兄上は聡明で公平な方だ。俺たち異母兄弟の中で唯一、母が他国の王族であるジークフリート兄上は血統的にも、人格的にも次期国王に最も相応しいというのに、殺害を企てるなんて浅慮にも程がある。俺は顔を顰めたが、ジュリアンは続ける。


「その次に二番目のディートリヒお兄様を消せば、次期国王をアルヴィンお兄様とするのに、誰も文句は言いませんわ」


「……」


 次兄のディートリヒ兄上は公妾ヘレネの子供だが、実母ヘレネとはそりが合わず、幼い頃から遊び相手として、俺と仲良くしてくれていた。


 ディートリヒ兄上は、この世の物とは思えないほどの美貌で、あまりにも端麗すぎて時に冷たい印象をあたえる事もあるが、あれで意外と弟思いの兄上なのだ。それはジュリアも知っている筈なのだが、それでも邪魔だからと殺害計画を聞いて胸が締め付けられる思いだった。



「お兄様方を片付けたら、次は国王陛下を消しましょう。下手に長生きされても面倒ですし……」


「お前……」


「そうすれば、お兄様は晴れてグルーテンドルスト国王ですわ!」



 積年の恨みがある公妾ヘレネだけでなく、腹違いとはいえ長兄、次兄、そして実の父親である国王までもを殺そうと事もなげに言うジュリアに、俺はもう告げる言葉が見つからなかった。


 この様子では、何を言ったところで弟の心には何も響かない。すでに国の有力貴族で、宰相の娘である公妾を殺しているなら……。俺が元の姿に戻ってジュリアを告発し、事が公になれば弟は死罪を免れないだろう……。



 こんな手段で公妾を殺害してしまうなんて、どう考えてもジュリアが正しいとは思えないが、仮にも幼い頃から共に育った弟を、自ら告発して処刑台へ送るのは、あまりにも辛い運命だと思った。


 人を鳥に変えるなどという術さえ使えなければ、ジュリアはこんな強硬手段は取らなかった筈なのに……。そこまで考えて、ふと思った。ジュリアは先ほど口にしていたではないか。



『一度に一人ずつしか鳥に出来ないから、ちょっと時間がかかってしまいますけど……』



 確かにそう言っていた。つまり、俺が白鳥でいる間は他の者に対して、この術を使えないのではないかと……。



「……一つ聞きたい」


「何ですの?」


「一度に一人ずつしか鳥に出来ないと言っていたが、つまり俺が鳥でいる間、お前は他の者に対して、こういう術を……。他の術もかけられないという事か?」


「残念ながらその通りですわ。私、ある者に文字魔法を教えて頂いたんですけど、一つの文字魔法しか使えませんの……。そして一つの文字魔法を使っている間は、他の者に使うことは出来ませんのよ」


「そうか……」



 矢張り思った通り、俺が白鳥でいる間は他者に対して、この術を使えない……。俺さえ人間に戻らないならジュリアが、兄上たちや父上に危害を加える方法も理由も無くなる筈だ。



「ええ。だから、アルヴィンお兄様を人間に戻したら、すぐにでも……」


「その必要は無い」


「え?」


 意を決した俺は白鳥の翼で、思い切り執務机の卓上を薙ぎ払った。机の上に置かれていた手紙と書類がバサリと音を立てて室内に舞い散り、インクの入ったガラス瓶は窓にぶつかる。


 その衝撃で執務室の窓ガラスが大きな音を立てて砕け散り、投げつけられたインク瓶も割れ、バルコニー床の白大理石に漆黒のインクが飛び散った。


「なっ!?」


「俺さえ居なければ、お前は兄上達に危害を加える理由が無いし、俺にかかった術が解けなければ、他の者に術を使う事ができないのだろう?」


「お兄様!?」


 驚くジュリアを尻目に、床に落ちた手紙を口に咥え俺は駆け出した。白鳥の姿のまま、割れたガラス窓から外に出る。バルコニーで勢いをつけ、大きな翼をバサバサと羽ばたかせ、何とか大空へ飛び立つことが出来た。そして、俺はそのまま城を後にした。


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