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第二十七話 「公爵令嬢は涙ぐむ」

 よろめきながらも遁走するジュリアの後姿を呆然と見ていたが、背後で叫ぶミシェルの声を耳にし、我に返る。


「しっかりしろ! フィリップ!」


「う……」


 地面に倒れている黒髪の従僕が身じろぎ、呻くのを聞いた私は急いでフィリップの元に駆け寄る。


「フィリップ!? 無事なのね!」


「はい……。エリナ様……」


「良かった! 私、てっきり……!」 



 首を絞められて意識を失ったのだから、殺されてしまったのかと思っていた私は、弱々しいながらも微笑するフィリップの表情を見て涙ぐむ。


 そんな私の腕に切り傷があるのを目にした黒髪の従僕は、軽く目を見開いた後ハンカチを取り出し、私に差し出してくれた。その様子を見ていたミシェルは冷静に呟く。



「奴がすぐにフィリップの両脚を上げたのが、功を奏したか……」


「え?」


 戸惑う私に、プラチナブロンドの麗人は説明する。


「首を圧迫されて完全に失神した場合、仰向けに寝かせて即座に両足を高く持ち上げるんだ……。血液の流れを正常に戻すための一般的な応急処置だ。フィリップが意識を失った直後、奴はこの処置を行った……」


「じゃあ少なくとも、マリウス様はフィリップの命を奪うつもりが無かったのね……」


「だが、あのジュリア姫とやらは、本気でエリナの命を狙っていた」

 

「……」


「だからこそ、私は奴を本気で仕留めようと思ったのだが……」


 ミシェルは自身が先ほど倒した大男の方へ視線を向けたが、彼女のアイスブルーの瞳がにわかに見開かれた。


「いない!?」


「え?」


 驚愕するミシェルと同じ場所を見る。確かに先ほどまでダークグレーの髪色をした大男が倒れていた筈の場所には何も無い。前に突然、彼が姿を消したことがあったが、またしても忽然と姿が消えてしまった。


「マリウス様が消えてしまった理由は分からないけど……。ミシェルの一撃は致命傷だったんじゃ?」


「急所を狙ったのは確かなんだが、一滴も血が流れていない」


「……」


 ミシェルは腰に帯びているレイピアをスラリと引き抜き、自身の眼前で刀身の状態を確認した。先ほどの激しい応酬で、美しいレイピアは刃こぼれを起こしている。しかし言われてみれば、確かに血糊が付着した様子は一切見受けられない。


 また、彼が倒れていた場所にも全く、血痕が残っていない。ジュリアは「あんなのに殺られるなんて」と言っていたが、本当に死んでしまったのだろうか……。



「とにかく一度、屋敷に戻ろう」


「ええ……。そうね」



 フィリップの状態が落ち着いた所で、私たちは屋敷に戻ることにした。ふと周囲を見渡すと、朽ちかけた樹の大きな根っこの上に乗り、ぽっかりと空いたブナの樹洞に首を突っ込んで、ガサガサと落ち葉の音を立てている白鳥が見えた。


 そして目的の物が見つかったらしく、何かをせっせと翼の下に仕舞った後、私が見つめていた事に気づいた白鳥と視線があう。上目遣いで気まずそうに、じっとこちらの様子を窺う白鳥に苦笑してしまう。


「……」


「あなたも、一緒に帰りましょう」



 顔を上げ、嬉しそうに駆け寄ってくる白鳥とミシェル、フィリップと共に湖を後にする。聞きたいこと、話したいことが山ほどあるが、すべては屋敷に戻ってからにしよう……。



 ミシェルの方は戦いながらも、ジュリアと白鳥のやり取りを全て聞いていた。帰りの道中、プラチナブロンドの麗人はぶつぶつと独りごちる。


「フン……。前々から、野生の白鳥にしては妙に行儀が良すぎるし、人語を解し過ぎてると思っていたんだ……。事情を知って得心がいった」


「……」


 一度、失神してから、意識が朦朧としていた筈のフィリップも以前から、ただの白鳥ではないと察していたようで柔らかい微笑を浮かべている。一方、白鳥は気まずそうに、ぺたぺたと歩いている。



 高いブナの樹から木漏れ日が差す、森の小道を抜け帰路につく。遠くに見える山々は、まだ薄っすらと霞がかかり、その輪郭はおぼろげだ。


 しかし屋敷へ戻る頃には今朝、あんなに視界を遮っていた辺りの霧はすっかり消え去っていた。瑠璃色の空を見上げれば、まばゆい雲の切れ間から陽光が降り注ぎ、大地をあたたかく照らしている。


 屋敷の玄関先では厚い紫檀材の扉を開け、セバスティアンが、私たちの帰りを待ちわびていた。そして、老紳士は私の着ている若草色のドレスの腕部分が、大きく切り裂かれているのに気づいて、目をまん丸くしている。


 私はみんなと共に無事、この屋敷に戻れたことに心から安堵しながら微笑んだ。


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