第二十六話 「公爵令嬢は我が目を疑う」
ミシェルを伴って客間に入れば、こんな辺境の屋敷には似つかわしくない人物が、圧倒的な存在感を放ちながら、私を待ち受けていた。
一分の隙も無いほど麗しいメイクが施された金髪縦ロールの美女は、豪奢な深紅のドレスを身に纏い、両耳にはルビーの耳飾り、首には白いフリルの付いた赤いチョーカーリボンをつけている。
さらに、右手には金の指輪、左手には血の如きピジョン・ブラッドルビーの指輪をつけ、傍には腰に大剣を帯びた黒衣の大男を控えさせ、客間のソファに腰掛けているが、先ほどヴィクトルが用意したマドレーヌはおろか、お茶にも口をつけた様子は無い。
毒の心配でもしているのかと、些かゲンナリしながらも、彼女が私に対して良い印象を持っていないのは明らかなのだから、この程度のことで不快に思っても仕方ないと気を取り直す。
「まさかジュリア様が、こちらにお越しになられるとは夢にも思っていませんでしたわ」
「……」
表情ひとつ変えない無言の姫に対して、今さら社交辞令の必要もないかと本題に入ることにした。
「先触れも出さずにいらっしゃったのは、何か火急の御用がおありなのでしょうか?」
「ここまでやって来たのは他でも無いわ……。お兄様の件で、お話しさせて頂きたい事があるからですの」
「アルヴィン王子の? もしかして、見つかったのですか!?」
私は思わず自分のドレスの裾を握り若干、前のめりになる。美貌の姫は、真剣な表情で声をひそめた。
「ここでは少し……。込み入った話になりますので、二人っきりで話をしたいのだけど……」
「では人払いを……」
私の傍についているミシェルと、ジュリア姫の後方に立つマリウス様を部屋の外に出したいのだと思ったが、金髪縦ロールの姫はルビーの耳飾りを揺らして提案した。
「折角なので、外を散歩でもしながら如何かしら?」
「外? でも、今日は霧が……」
「ちょうど霧も晴れてきましたわよ」
窓の外を見れば、確かに霧は薄れつつあるし、太陽の日差しも強くなっている。これなら外に出ても問題なさそうだ。
「それなら構いませんけど……」
「二人きりで落ち着いて、ゆっくり話が出来る場所が良いですわ」
「でしたら、この近くに湖があります。そちらに参りましょう」
私とジュリア姫は薄っすらと霧がかかる中、森の小道を歩いて湖にやって来た。冷たい空気のせいで少し肌寒い。そして、いつもなら柔らかい緑が目に優しいブナの樹や、濃い深緑が鮮やかなモミの樹も白い霧の影響で、その色と輪郭が霞んでいた。
ふと、傍にいるジュリア姫から薔薇の香りが漂い、微かに鼻腔をくすぐる。大量の薔薇の花から、ほんの少しだけ抽出できるローズオイルだろう。確か、何十本もの薔薇から抽出できるローズオイルは、たったの一滴。そんな贅沢品を惜しげも無く使えるとは、さすが王族である。
やがて湖畔にたどり着いたが、晴れ渡った日であれば、宝石の如き美しさを湛えている美しい湖も、薄霧のヴェールに包まれ、本来の輝きを失っていた。
私の護衛であるプラチナブロンドの護衛ミシェルと黒髪の従僕フィリップ、それにジュリア姫の護衛であるマリウス様はダークグレーの髪を揺らしながら、ある程度の距離を置いてついて来ている。後ろからついて来ている皆へと視線を向けたジュリアンヌ姫に、そろそろ良いかと声をかける。
「それで、アルヴィン王子は?」
「お兄様は……。見つかりましたわ……」
「まぁ! 良かった! それでどちらにいらしたんですの?」
満面の笑みで尋ねれば、金髪縦ロールの姫は無表情で振り返り、答える。
「ここですわ」
「は?」
私が戸惑っているとジュリア姫は美しい眉を顰めて、忌々しそうに喋り出す。
「全く……。貴女の所為で、お兄様が行方不明になったと大勢に吹聴して、貴女とお兄様の婚約を破談にし、せっかく辺境に追放したのに、まさかお兄様と一緒に居たとは迂闊だったわ……!」
「え?」
金髪縦ロールの姫はマリウス様に視線を向けると、白い顎をクイと斜めに動かして、何やら指示を出した。と思った瞬間、黒衣の大男は両手でフィリップの首筋を掴み、ギリギリと強く締め上げた。
「ぐあっ……!」
黒髪の従僕は呻きながら僅かに抵抗するも、大男からの圧迫は微塵も緩まず、あっという間に意識を失いガクリと膝から崩れ落ちた。
「貴様っ!」
怒りを露わにして、腰に帯びているレイピアに手をかけるミシェルの姿を横目に見たマリウスは、ぐったりと完全に力の抜けたフィリップの身体を仰向けで地面に降ろした後、従僕の脚を無言で持ち上げ、近くの岩に意識を失った彼の両脚を乗せた。その様子を間近で見ていたプラチナブロンドの護衛騎士は眉間に皺を寄せる。
「!?」
「フィリップ!」
思わず従僕の名を叫んだ私を、ジュリア姫は愉快そうに笑った。
「他人の心配をしてる暇があるのかしら?」
「!?」
「貴女には、もう死んで貰うしかないわ!」
ジュリア姫は胸元から取り出した銀のナイフを手に突如、襲い掛かってきた。正面からの攻撃をとっさに避けたが、完全には躱しきれず左腕に掠り傷を負ってしまう。若草色をしたドレスが切り裂かれ、肌から薄っすらと血が滲む。
「くっ!」
「エリナっ!」
異変に気付いたミシェルが私の方へ駆け寄ろうとするが、黒衣の大男が立ちはだかる。
「貴様! そこをどけっ!」
「我としても不本意なのだが……。一時的であるにしても、主の事は守らねばならぬ」」
「ならば押し通るまでっ!」
プラチナブロンドの麗人が、目にも止まらぬ速さで抜刀すれば、ダークグレーの髪色をした男が自身の大剣で正面から受け、薙ぎ返す。剣戟の音が森の中に大きく響き渡った。
ミシェルが鬼気迫る表情で、眼前の敵を倒すべく斬撃を繰り出していた時、私の方はと言えば何故、突然ジュリアンヌ姫に命を狙われるのか理由も分からぬまま、辛くも彼女の攻撃を避け続けていた。しかし、それも限界が近かった。
「くっ!」
「フフフ……。すばしっこい女狐ね……。でも、これで終わりよっ!」
ジュリア姫が手にしている銀のナイフが妖しく煌めき、明確な殺意を伴って、私を突き刺そうと振り下ろされる。もう駄目だと思ったその瞬間、大きな羽ばたきと共に一羽の白鳥が天から舞い降りてきた。
「!?」
白鳥は金髪縦ロールの女を鋭く見据え、羽ばたきながらジュリア姫の顔面を何度も蹴りつける。黒い水かきの先に付いている、鋭い爪でジュリア姫の顔や手、腕がどんどん引っかかれてゆく。
「ヒッ!」
脚が縺れ、その場に倒れてしまったジュリアに、白鳥はそのまま馬乗りになり、大きなクチバシで怒りのまま何度も、突き攻撃を加え続ける。
「痛いっ! いたっ……!」
やがて首に巻かれていたフリル付き赤チョーカーリボンが、白鳥のクチバシに引っかかった事でほどけ、深紅のドレスとは不似合いな、ごつい咽喉仏が露わになった。
「え、咽喉仏!?」
我が目を疑っている間にも、白鳥は追撃の手を緩めない。優美な見た目に反して、大人の男性の骨をも折るという、凶悪な白鳥の翼で攻撃を食らった金髪縦ロール女は、鈍い音と共に右手の骨が折れたようだ。
「い、痛いっ! てっ、手がぁぁぁぁ!」
左手で折れた手を庇いながら、たまらず真紅のドレスを翻して湖の方へ逃げ出した。ほうほうの体で逃げ出す、ジュリア姫の後ろから、白鳥はバサバサッと飛び立ったかと思うと、金髪縦ロール女の背中を思いきり蹴りつけ、湖に叩き落した。
「きゃあ!」
大きな音と共に湖に落ちたジュリア姫が、必死に岸に辿り着こうとするが、そうはさせるかと言わんばかりに、白鳥は金髪縦ロール女へ腹乗りを仕掛け、ジュリアに息継ぎをさせる機会を失わせる。
「ごっ! ごぼっ……! た、助けっ……! ごぶっ!」
全く容赦の無い、白鳥の連続攻撃にジュリア姫は息も絶え絶えだ……。
「咽喉仏って……。まさか……」
ある考えに思い至ったが、その時ちょうどジュリアが、命からがら湖から這い上がる所だった。
「な、何でなの!? どうして、こんな酷い仕打ちをするの!?」
「お前……。自分が何をしたのか、分かってないのか……?」
「……っ」
白鳥は鋭い眼光で、深紅のドレスを纏ったズブ濡れの相手を見据え、睨み付けられたジュリアは思わずたじろぐ。
「腹違いとはいえ実の兄に、こんな呪いをかけた上、公爵令嬢エリナ・アンジェリーヌ・ド・ブランシュフルールに対して、あらぬ濡れ衣を着せ、さらには彼女の命を奪おうとするなど言語道断だ!」
バッサァと大きな片翼でジュリアを指し、糾弾する白鳥に対して相手も言い返す。
「それはっ! お兄様が私を受け入れて下さらなかったからじゃないっ!」
「!?」
動揺を隠せない私には目もくれず、 両者は言い争いを続ける。
「私はお兄様が他の女と結婚しても構わないし、お兄様が私を受け入れてくれるなら、呪いはすぐ解くし、私のことは愛人でも、妾の扱いでも構わないって言ったじゃない!」
「そんなの受け入れる訳無いだろう!? 俺は実の兄弟を愛人や妾にするつもりは一切無い!」
「なんでよっ! 愛があれば関係ないじゃないっ!」
「関係あるに決まってるだろう! 大体、実の弟を愛人として受け入れる位だったら一生、白鳥として生きてやる!」
「酷いっ! 私はこんなにも、お兄様の事を愛してるのにっ!」
ジュリアは、どうしても兄を諦めきれないらしく、涙を堪えながら首を左右に振り続けている。
「……」
呪いで白鳥に変えられたのは、貴族にありがちな跡継ぎ、相続問題が絡んでの事ではなく、愛憎の末だったとは……。
しかも腹違いとはいえ、実の兄に懸想し、愛人にしてくれと迫った挙句、振られた腹いせに呪いで白鳥にしてしまったとは……。衝撃の事実に開いた口が塞がらない。
「お前っ! 何をグズグズやってるのよっ! 早く私を助けなさいよっ!」
ジュリアがダークグレーの髪色をした大男に助けを求めた瞬間、マリウスの視線がミシェルから逸れ隙が生まれた。そして、その瞬間をミシェルは見逃さなかった。
「もらったっ!」
プラチナブロンドの麗人の剣先がマリウスの脇腹を貫く。ミシェルは冷徹に骨で覆われていない部位を狙いマリウスの腎臓付近をえぐった。急所にかなりの深手を負ってしまった大男は思わず顔を歪める。
「ぐっ!」
その場でガクリと地に膝をついたマリウスは、そのままゆっくりと地面に倒れる。
「!」
私は思わず自分の口を手で押さえ、悲鳴を上げるのを堪えた。一方、ジュリアは強く舌打ちした。
「ちっ! あんなのに殺られるなんて、図体ばかりデカくて使えない奴ね! 今日の所は引き下がるけど、私は絶対に諦めないわっ! どうせ私以外に、お兄様を人間に戻せないんだからっ!」
ジュリアは水に濡れて重くなった深紅のドレスを引きずりながら脱兎の如く逃げ去った。




