第二十三話 「公爵令嬢は罰を考える」
居室でひとしきり白鳥に話しかけた後、外の空気を吸うべく庭園を散歩する事にした。厚い紫檀材の玄関ドアを開ければ、暖かい日差しと風が心地よい。改めて周囲を見渡せば、ここに来た当初は荒れ果てていた庭園のいたる所が整備され、すっかり見違えるようになっているのがよく分かる。
白鳥はといえば、いそいそと池へ向かい、すいすいと水面を移動したり、水に潜ったりしながら気持ちよさそうに過ごしている。白鳥は水鳥だからと、さして気にしていなかった光景だが、彼は元々、人間だと判明した今は、お風呂に入れない分、水に入ってリフレッシュしているのだろうなぁ……。としみじみ感じる。
本人は呪いを解く方法は無いと諦めている様子だったが、言葉を喋れるようになった位なのだから、必ず何か方法があるはずだ。もしかしたら、徐々に呪いの効力が薄れているのかも知れないし、決して希望を捨ててはいけないだろう。
「それにしても以前は、暇さえあれば王立図書館に入り浸って、外で長時間、日に当たる事のない生活をしていたけど、この辺境の地に来てからというもの……。連日、周囲を散歩したり一日中、庭園の植物に触れていたりと、なかなか健康的な生活を送っているように思えるわね……」
王都に居た頃、あまり日に当たらなかったのは、貴族女性は美白至上主義的な風潮もあっての事だが、適度な日光浴や運動というのも、健康に過ごす上で大切なのだと感じる。最近、よく安眠できているのは生活習慣が変わった影響もあるかも知れない。
食事もヴィクトルが、何かと手の込んだ美味しい物を作ってくれるし、栄養バランスもしっかり考えてくれている。はっきり言って、王都に居た頃よりも食生活は恵まれている位だ。
実家である、ブランシュフルール公爵家の庭園は、実に殺風景な物であったのに、ラウルと彼の祖父であるジャルダン伯爵のおかげで、実家より遥かに素晴らしい庭園が出来つつある。
護衛騎士としてついて来てくれたミシェル。それにセバスティアン、フィリップも何かと心を砕いてくれてるし少なくとも、ここに来てから日常生活において不便を感じた事は一度も無い。
「これで、あとは行方不明のアルヴィン王子さえ見つかってくれれば、言う事が無いのだけど……」
元婚約者が行方不明なおかげで、私は随分な目に遭った訳だが、彼のおかげで恩恵を受けられた点もある。
「貧乏公爵家の令嬢である私が、こうやって不自由の無い生活を送れるのは、アルヴィン王子から贈って貰った婚約祝いの品々を、父が国王陛下に売り払ったというのも、大きいのでしょうね……」
あの高級ガラス細工の品々をあっさりと売り払ったと聞いた時は、呆れて物が言えなかったが、よくよく考えてみれば、王子との婚約が破棄となったにも関わらず、あのような高級ガラス製品を家に置いておくだけというのは、確かに宝の持ち腐れだっただろう。
透明クリスタルガラスが近年開発され、ガラス細工製品の人気が高まり、現在は市場価格が高騰しているが、何年か経って市場への流通量が安定すれば、ガラス製品の価値はぐっと下がるだろう。高級ガラス細工の価格は恐らく、今がピーク。感情論を抜きに考えれば、この時期に手放したのは妥当な判断と言えるのかも知れない……。
ぼんやり考えていると、やわらかなアッシュブラウンの髪を揺らしながら、せっせと庭園を整える作業中の庭師ラウルが視界に入った。
「ご苦労様。ずいぶん、作業が進んでるわね」
「これはエリナ様!」
エメラルドグリーンの瞳を輝かせて、笑顔で挨拶してくれるラウルに、力無く微笑み返した。
「ラウル……。貴方、ジャルダン伯爵のお孫さんだったのね」
「……はい」
「初対面の時、フルネームで名乗ってくれれば良かったのに……」
「……」
俯き、押し黙るラウルに私は、疑問をぶつける。
「私がラウルのお爺様へ薔薇の苗を贈ってくれた事の、お礼状を送りたいと言った時……。私の礼状をいったんラウルが預かると言ったのは、お爺様がジャルダン伯爵って知られたくなかったから?」
「そうです……。エリナ様は、僕が伯爵家の者だと、気づいていらっしゃらないご様子でしたので……」
「どうして言ってくれなかったの?」
「伯爵家の者としてでなく、庭師として扱って頂きたかったんです……。僕は修業中の身ですから。貴族として特別扱いして欲しく無かったので……」
「……」
「ですが……。結果としてエリナ様に、自分の正体をたばかってしまう形になってしまった事は……。申し訳ございません……」
ラウルが翠玉色の瞳に影を落とし、頭を下げる。
「許せないわ」
「エリナ様……」
「罰として今度、私とミシェルと一緒に、お茶の席に同席して貰う事にするわ!」
私が両腕を組み、方眉を上げて高々と宣言すればラウルは一瞬、呆然とした後、苦笑する。
「それでは罰になりませんよ……」
「あら、そうかしら? それでは他に、どんな罰を追加すれば良いかしら?」
唇をとがらせて、むむっと考える私にラウルは笑いを堪えながら提案する。
「……そうですね。……罰と言うか、お詫びとして将来、僕が新種の薔薇を開発できた暁には、エリナ様に名前を決めて頂くというのは如何でしょうか?」
「素敵! 命名権というのよね! でも、新種の薔薇開発は、ラウルの念願なのでしょう? そんな大事な事、本当に良いの……?」
「新種の薔薇を作る際には、一つでなく、複数の品種開発を同時に行う予定ですので……」
複数出来るであろう中の一つだから、問題無いと朗らかに笑う庭師に、私は何度も頷く。
「そうなのね! それなら、ぜひ! 新しい薔薇に名前を付けられるなんて、何だか夢のよう!」
「まだ本格的に取り掛かっておりませんし……。新種の薔薇が出来るのは、恐らく何年も先の話になりますよ」
上機嫌になった私にラウルは苦笑したが、ふと彼の視線が私の後方に向かっているのに気づき、何気なく私も後ろを向けば、門の前に以前、湖で出会った黒衣の大男。マリウス様が佇んでいた。