第二十一話 「公爵令嬢は呆然自失となる」
私は書類を掴むと自室を出て、足早に廊下を歩く。目的の部屋の前でノックして、茶褐色をした厚いマガホニー材のドアを開ければ、事務室の机に向かい、眼鏡をかけて事務処理をしていた白鬚の老紳士が顔を上げた。
「おや、これはこれはエリナお嬢様。何か、急ぎの御用でしょうか?」
「セバスティアン! これ、どういう事なの!?」
「ああ、ご覧になられたのですな」
「ついさっき見たわ! ラウルが……。伯爵家の五男って、どういう事なの!?」
「そちらに書かれてある事が、全てでございます」
私は改めて書類に目を通す。庭師として、この屋敷に雇われた、ラウル・ド・ジャルダン。彼はジャルダン伯爵家の五男。幼少期より造園や植物について造詣が深い祖父の手ほどきを受け、現在は庭師として修業中。
「……聞いてないわよ」
よく考えれば、趣味で薔薇の品種改良を行っているのはともかく、孫からの手紙一つで薔薇の苗を大量に送ったり出来るのは、よっぽど裕福な資産家か貴族くらいしか出来ない真似だろう。
それにラウルは祖父の蔵書に植物関連の書物が多かったと言っていた。本が買えなくて王立図書館に通っていた貧乏公爵家の令嬢である私より、資産面で遥かに余裕があるのが、その一点だけでも分かる。
今さらながら色んな事に気づき、呆然としている私に、セバスティアンは申し訳なさそうな表情で頭を下げた。
「こちらにいらした当日、エリナお嬢様は大層、お疲れのご様子でしたし、ひとまず召使いの経歴に関しての書類をお渡ししておけば大丈夫かと思ったのですが……。きちんと申し上げるべきでございました」
「いえ、確かに……。渡された書類に、全く目を通して無かった私も悪かったわ……。それにしてもジャルダン伯爵って、どこかで聞いた事があるような……」
「ラウル殿の祖父、ジャルダン伯爵は深い造園知識を国王陛下にも高く評価されて、国内にある数々の庭園を監修されたそうですので、その筋では広く名前が知られております」
「あ! 思い出したわ! 私が通っていた王立図書館に併設されてる噴水庭園! あれを監修したのが、確かジャルダン伯爵だわ!」
私が密かに憧れてた、王立図書館の噴水庭園に携わった人物の孫が、こんなにも身近にいたとは……。私は思わずよろめいたが、白銅色の壁に手をつく事でかろうじて倒れるのをまぬがれた。大きなショックを受ける私に、セバスティアンは追い打ちをかける。
「エリナお嬢様……。貴族の血筋の者は他にもおりますが……」
「は?」
「お手元にある書類、次のページをご覧下さい」
老紳士に促されるまま紙をめくれば料理人、ヴィクトルについての書類だった。
「え、嘘でしょ……。だって貴族が料理人なんて、いくら何でも……」
「はい。ヴィクトル殿は正確には貴族ではありません。……ですが、貴族を父に持っている事は間違いございません」
手元の書類を読み進めれば、料理人ヴィクトルはミルトニア大公の庶子と明記されていた。
「大公の……。庶子!?」
「はい。成人するまではミルトニア大公がヴィクトル殿の養育費、教育費を援助していたそうですが、成人後は料理人として独立されたそうです」
「ヴィクトルが大公の庶子……」
衝撃の事実に愕然としたが、よくよく考えれば、この辺境に来た当日、侯爵家の令嬢であるミシェルと同じ学園で、同期だと言っていた。
あの二人が顔をあわせた途端、舌戦が繰り広げられた為、深く追求しなかったが、ただの平民が侯爵令嬢と同じ学園に通える訳がない。ヴィクトルがミシェルと同じ学園に通えたのは、ひとえに大公家の援助の賜物だろう。
「まぁ、ヴィクトル殿の場合は母親が平民でございますし、ミルトニア大公は他にも庶子が複数いるらしく、ヴィクトル殿が成人して以降の援助は無いそうです……」
「……」
「父親が大公といえ、実質的な身分は平民と全く変わりありません……。ヴィクトル殿、ご本人も特別扱いは望んでおりません」
「そうは言っても……」
「ヴィクトル殿いわく『あんな女好きな、ハゲ親父の世話にはならない』と仰られておりました……。エリナお嬢様もヴィクトル殿には、以前と同様の態度で接されればよろしいかと……」
仮にも公爵家令嬢である私に対して、初対面でいきなり手を握ってきたフレンドリーさは、大公家の庶子であったからなのだろうか……。
それはさて置き、実の父親であるミルトニア大公も女好きなのか……。同族嫌悪という奴か……。それにしても実の父親がハゲなら、ヴィクトルも将来的にハゲる可能性が濃厚なんじゃなかろうか。胸中、いろいろな思いが交錯していたが、老紳士はまたもや追い打ちをかける。
「あと、もう一人、貴族の血筋の者がおります」
「まだ居るの!?」
「従僕のフィリップです」
「!」
「フィリップの父親は子爵家の次男でございますが、平民の女性と恋に落ちて、子爵家当主の反対を押し切って駆け落ちしました。以降は平民として慎ましやかに暮らしていたそうです」
特に深く考えず、フィリップは平民かと思っていたが、これもよくよく考えれば、王子の傍近くに仕える従僕が、ただの平民であろう筈がなかった。王子の従僕として取り立てられたのは恐らく、貴族の血筋なのもあっての事なのだろう。
「何だか、頭がクラクラして来たわ……」
「おお、それはいけません! 何か、お飲み物でもご用意致しましょうか?」
「……お願いするわ」
セバスティアンが飲み物を用意すべく、部屋から出て行った後、私は部屋の片隅にある安楽椅子によろよろと腰かけ、しばし呆然自失の状態に陥った。