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第十七話 「公爵令嬢は薔薇に思いを馳せる」

 今まで張り詰めていた物が、ぷっつりと切れて何だか情緒不安定になってしまったけど、私を心配してくれた様子の白鳥が、ずっと傍にいてくれたおかげで、すっかり落ち着くことができた。


 当初、白鳥は凶暴だとか恐ろしい話を聞いていたけど、命を助けて、その後も根気よく世話をしたおかげで、どうやら私は白鳥の信頼を得ることが出来たようだ。


 種族が違っていても、懸命に接して心を開いてもらうことが出来れば、思いは通じるのだなぁと、しみじみしながら白鳥と共に日が沈む前、屋敷内の庭園を歩いていると不意に庭師、ラウルから声をかけられた。



「エリナ様。先日、仰られていた、カモミールとラベンダーを植えるスペースなんですが、花壇の用意は整ってますので種を持ってきて頂ければ、いつでも植える事が出来ますよ」


「まぁ! それじゃあ早速、種を持ってきましょう! ……と思ったけど、今日はもう、日が沈んでしまうわね」


 赤い夕陽が地平線に落ちる目前という時間から、外で作業を始めるのは厳しい。


「では明日、種を蒔きますか?」


「そうね」


「じゃあ明日、準備を整えてお待ちしてます。あ、種は一晩、よく水に浸しておいて下さい」


「分かったわ」


 私が頷くとアッシュブラウンの髪色をした庭師は穏やかに微笑んだ。


「では、僕はずっと庭園で作業をしてますので、いつでも声をかけて下さいね」


「朝食を食べたら、すぐに伺うわ。明日はよろしくね」





 その日の晩は、ラウルの指示通り、ハーブの種を種類ごと容器に入れて一晩、たっぷりの水に浸した。そして翌朝、水分を吸わせた種を持って、朝の散歩をする白鳥と共に、庭師の元を訪れた。


「ラウルに言われた通り、一晩水に浸したわ。これで大丈夫かしら?」


「はい、十分です。では、ラベンダーは日当たりと風通しが良い場所が適してますので、こちらに植えましょう」


「土はすでにラベンダー向けに、赤玉土と腐葉土などをブレンドしておきましたので、そのまま種を蒔いて頂いて大丈夫です」


 先日、作った池にゆっくりと入る白鳥を横目に、私はラウルに案内された場所へ彼の説明通り、種を撒いた。


「ラベンダーは発芽するまで二週間ほどかかります」


「ずいぶん、時間がかかるのねぇ……」


「そうですね。ハーブの中では育てやすい品種ですが、発芽するまで土が乾燥しないように見守ってやるのも大事です」


「なるほど……」


「カモミールの種はこちらの花壇にしましょう」


 ラウルに勧められたカモミール用の場所はラベンダーよりも若干、屋敷よりの場所だった。


「ラベンダーと同じ場所じゃあ駄目なの?」


「駄目という事は無いのですが……。カモミールは強い直射日光に当たる時間が長すぎると、良くないんです……。その分、成長すれば寒さに強いのですが」


 穏やかに説明する庭師に、植物の品種ごとに適切な土の配合や、日当たりまでしっかり把握しているのは流石、専門職だなぁと感心すると同時に私は思い出した。



「あ、そうそう。ミントティーも飲みたいと思って、ミントの種も買ってたのよ。この空いてるスペースに種を蒔いてもいいかしら?」


「ミント……!?」


 それまで、ニコニコと微笑を絶やさなかったラウルが『ミント』と聞いた瞬間、冷水を浴びせられたかのように一瞬にして真顔となった。


「あら? もしかして、ミントって育てるの難しい? 確か、本で見たときは『育てやすい』って書いてあった気がするんだけど」


「いえ……。育てにくい訳ではありませんが……」


「じゃあ、種を蒔いて大丈夫ね」


「だっ、駄目です! 早まらないで下さいっ!」


 私がミントの種を手に取り、花壇に蒔こうとした瞬間、ラウルは顔色を変えて私の手を握った。


「え?」


「あっ、これは失礼しました!」


 慌てて、私の手を離す庭師に、私は呆然としてしまう。


「おかしなラウル……。何故、ミントの種を蒔いてはいけないの? そんなに顔色を変えて……。爆発物じゃあるまいし」


「植物界では……。ある意味、爆発物だからです……」


「は?」


 唖然とする私に、ラウルは深刻な表情でミントについて語り出す。


「ミントは繁殖力が非常に強いんです……。他の植物と一緒の花壇に植えれば、ミントの繁殖力が強過ぎて、他の植物が駆逐されてしまいます……!」


「ええっ!」


「しかも、成長するとミントの地下茎が地中に伸び、例え地上のミントを引き抜いても、土中の地下茎によって何度でも再生、繁殖するんです」


「…………」


「あまりにも繁殖力が強すぎる為『ミントテロ』という言葉がある位です」


「テロ!? 何だか怖いわね……」


 怯える私を見て、ラウルは真剣な目で強く頷いた。


「そうです! ミントの繁殖力は怖い位なんです……! 下手にミントを植えれば、庭中がミントに埋め尽くされてしまう事例も数多くあります! 決して、安易に植えて良いハーブではありません……」


「……植えない方が良いって事?」


「いえ、せっかく種があるのですし、ミントはハーブティーの他に料理など色々と活用できる便利なハーブですから植えましょう」


「でも他の植物が駆逐されるんじゃ……? 屋敷の周りがミントだらけになるのは、流石に……」


 雑草のように生い茂るミントに、屋敷が埋め尽くされる光景を想像して私はゾッとしたが、ラウルは冷静だった。


「大丈夫です。プランターに植えて、他の植物とは完全に隔離しておけば問題ありません」


「隔離……」


 あまりの厳重な扱いに愕然としてしまう。


「プランターが必要だとは思っていなかったので、今日の所はミントを植える事は出来ないのですが、またご用意出来たらお伝えしますね」


「え、ええ……」


 ミントの種を植えるという行為が、想像以上に危険と隣り合わせのようで軽く考えていた、私はすっかり及び腰になっていた。


 庭中をミントで埋め尽くすリスクを負ってまで、植えたい訳では無いのだけど、専門家のラウルが大丈夫と言っているのだから、彼の指示通りにやれば、きっと大丈夫なのだろう……。




 後日、ラウルは角切り木材の中身をくり抜いた形の『枕木プランター』と呼ばれる物を用意してくれて、ミントの種はそこに蒔く事にした。これならミントの根が他の植物を侵食する事は無い。


 庭園にプランターがあるとちょっと違和感が出るんじゃないかと思っていたけど『枕木プランター』なら景観を損なわず、自然な形で置いておける。


 以前、セバスティアンがラウルは若いが、植物の知識も造園センスも素晴らしいと絶賛していたのを思い出してなるほどと納得してしまった。




「ラウルのおかげで私の持ってたハーブの種を全部、撒くことができたわ。ありがとう」


「庭師として、エリナ様のお役に立てて何よりです」 


 エメラルドグリーンの瞳を細めて穏やかに微笑むラウルと、ハーブの種をすべて植えた達成感に浸りながら庭園を見渡した。この屋敷の庭園は比較的、広い。当初の荒廃した雰囲気は抜け出せたが、ラウルが庭師として日々、頑張ってくれているとはいえ、まだ手付かずの場所が多い。


「それにしても、これだけ広いと大変よね……。うちだと予算が潤沢ではないから、金に物を言わせて整えるなんて豪勢なことは出来ないし……」


「あ、そのことなんですが……」


「?」


「僕の祖父が趣味で、薔薇の品種改良をしているんです」


「え!?」


 そういえば、ラウルの祖父は造園に造詣が深い方だと言っていた。まさか薔薇の品種改良までしているとは初耳で驚いてしまう。


「実は、祖父にエリナ様が薔薇がお好きだと、手紙に書いて送った所、それなら自分の所にある薔薇の苗を譲ると言ってくれて……」


「ええっ!」


「僕の祖父からでしたら、無料で薔薇の苗を譲って頂けます。折角ですから、もし品種にこだわりが無いなら……」


 ニコニコと話す庭師に驚きながら、私は何とか返事をする。


「そ、それは願ってもない話だから、こちらとしては、ありがたいけど……」


「では、そのように祖父に伝えますね」


 


 それから程なくして、ラウルの祖父から、薔薇の苗が大量に届いた。実際に購入すれば、相当な額になるのではないかと私は、気が気じゃなかったが、ラウルは「自分の育てた薔薇をエリナ様にも愛でて貰える事を祖父は喜んでますので……」と一向に気にせず、笑顔で薔薇の苗を庭園内に植えた。



「ラウルのお爺様のおかげで、たくさん薔薇の苗を植える事が出来たわね……。本当にいくら感謝しても足りないわ……。せめて、お礼状を書きたいのだけど……」


「では、エリナ様が書状を書かれたら、僕がお預かりして祖父に送ります」


「そう? 直接、私の方から送った方が良くないかしら?」


「あまり、大げさにされると、祖父の方が恐縮してしまうかも知れませんから……」


「そ、そう……? それならラウルの言うとおりにしようかしら」



 形式的に私が、きちんと礼状を送るべきなのではないかと思ったが、身内のラウルがそのように言うのであれば、従った方がいいのかも知れない。ちょっと府に落ちない部分があり、小首を傾げていると庭師は微妙に話題を変えた。



「……開花シーズンが楽しみですね。花の色や品種について、説明書きを見てざっくりと把握してるつもりですが実際、目にしないと分からない物もありますし……」


「そうね。本当に咲くのが楽しみ……」


 私が開花した庭園の光景に思いを馳せていると、ラウルは嬉しそうに植えたばかりの薔薇の苗を撫でながら語り出す。


「薔薇は花が咲いた時に、その美しさを愛でるのも楽しいですが、花が咲き終わった後に出来る、実を収穫して自家製のジャムやローズヒップティーを作る事も出来るんですよ」


「自家製でローズヒップティーが作れるの!?」


「はい、もちろん作れます。ローズヒップティーはハーブティーの中でも、特に美肌に良いと言われているので女性に人気ですよね」


「美肌! それは絶対に作りたいわ!」


 私が食いつくと、ラウルは翠玉色の瞳を優しく細める。


「そうですね。……本当に自家製で作るなら、オールドローズ系の薔薇を多く植えたりするのも良いですね。ローズヒップティー用なら、イヌバラと呼ばれている薔薇の果実がローズヒップと呼ばれているんです」


「イヌバラ?」


「見た目が、一般的な薔薇のイメージとは違うと思いますが、イヌバラはピンク色の可愛らしい花ですよ」


「ラウルは、本当に何でも知ってるのね……」


 感心していると、ラウルは柔らかなアッシュブラウンの髪をかきながら、照れくさそうに答える。


「何でも……。と言う程では無いですが、祖父の蔵書に植物関連が多かったので読んでる内に、自然と植物の知識が増えました……。それに薔薇に関しては夢があるので、特に調べました」


「夢?」


「いつか……。自分の手で、新種の薔薇を作りたいと思っているんです」


「まぁ、素敵な夢ね!」


 私が両手を合わせて、笑顔で彼の夢を讃えるとラウルは、ほんの少し翠色の瞳に影を落とし自嘲気味に笑った。


「……と言っても、新しい種類の薔薇を作るには、たくさんの種類の薔薇を掛け合わせて、その中でこれぞと思う物を安定させないといけないので、何年もかかってしまうんです。……まだまだ先の話になります」


「私もラウルが作った新種の薔薇を見てみたいわ……」


「エリナ様……。そうですね……。僕が作った新種の薔薇が出来たら是非、見て頂きたいです」


「じゃあ約束ね!」


「はい」


 いつか、彼が作った新種の薔薇を見せてもらう約束を取り付けた私は、何か協力できることはないかと思いを巡らせた。


「あ、そういえば、この屋敷の庭園って、新種の薔薇を作るのに利用できる?」


「え……。それは利用できますが……」


「じゃあ、ここを利用して新種の薔薇を作って!」


「よ、よろしいのですか!?」


 驚きを隠せない様子の庭師に私は、いたずらっぽく微笑む。


「もちろん、この庭園の仕事を最優先にやって貰わないといけないけど……」


「え、ええ……。それは勿論!」


「じゃあ、決まりね! 私もラウルが作る、新種の薔薇が早く見たいもの!」


 私が笑顔でそう言えば、ラウルは嬉しそうにエメラルドグリーンの瞳を輝かせて頷いた。



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