第十六話 「公爵令嬢は慰められる」
行方知れずとなった王子の真相は分からないが、アルヴィン王子の従僕をしていたという黒髪の青年、フィリップを雇ったおかげで、今まで分からなかった事実も見えてきた。
せっかく、王子の傍近くに仕えていたという人物が居るのだ。良い機会だから、以前から気になっていた件を尋ねるべく、私はフィリップを自分の居室へ呼んだ。王都の邸宅から運んできた荷物の中から、書簡を取り出し、中の書状を引き出す。
「これを見て欲しいのだけど……」
「! これは……」
渡された書状を見て、フィリップは目を見張る。王子から頂いた婚約祝いの品は、父が我が国の王に売り払った為、すでに無いが唯一、王子の書状だけは手元に残っている。念の為に辺境に持って来ていたのだ。
「私が王子と婚約していた時、頂いた書状なのだけど……。何か気づいた点は無いかしら?」
「そうですね……。アルヴィン殿下の筆跡と言われれば、殿下の筆跡のように見えなくも無いですが……」
黒髪の従僕は眉根を寄せて、難しい顔で美麗な文字が綴られた書状に目を通す。
「何か、違和感が?」
「失礼ながら……。アルヴィン殿下は普段、ここまで丁寧に文字を書かれる印象が無かったので……。それに……」
「それに?」
「アルヴィン殿下は文章を書かれる時、文字列がほんの少し、右上にズレる癖がありました……」
「……」
「これを王子が、ご自身で書かれたのだとしたら、一体どうやったのか……」
書状の文字列はほんの少しのズレも無く、規則正しい行間で書かれている。王子が普段書いていた文章にズレる癖があって、それを見慣れている従僕にしてみれば、このように非の打ち所がない書状を見せられれば戸惑いを隠せないのも無理はない。
「そう……。分かったわ。ありがとう」
困惑気味の従僕から書状を返してもらい、退出してもらった。フィリップから、王子は私との結婚を望んでいたと聞き、もしやと思い書状を見てもらったが、矢張りあの書状はアルヴィン王子の直筆ではなく、書記官あたりが書いた物だったのだろう。
「別に未練があった訳では無い筈だけど……」
何故か、落胆してしまう自分に失笑してしまう。王子にとって私は所詮、国が勝手に決めた顔も分からぬ政略結婚の相手に過ぎない。フィリップが「王子は婚約を喜んでいた」と言っていたが、結婚する事で国王夫妻と共に住んでいた城を出たかったとか……。結婚を望んでいたのは、そんな理由だったのかも知れない。
そんな事を考えていたら、不意にぺたぺたと廊下から徐々に近づく音が聞こえ、視線を向ければ黒褐色のドアの隙間から、ひょっこりと顔を出して、こちらを覗き込む白鳥の顔が見えた。屋敷内を歩きながら二階にある、この部屋までたどり着いたようだ。
「私に会いに来てくれたの? おいで……」
呼べば、きょろきょろと部屋の中を窺い若干、警戒しながらも私の元にやってきた。白鳥は、私が手にしている書状に興味を持ったようで、じっと見つめている。
「これが気になるの? これは食べられないわよ。……私の元婚約者からの書状ですもの」
「?」
苦笑しながら話す私に白鳥は、意味が分からないとでも言いたげに首を傾げる。
「もっとも、元婚約者からの書状。……と言っても、肝心の元婚約者が書いた訳では無いのだけどね」
「?」
自嘲気味に笑いをこぼす私を見て、ますます意味が分からない様子で、さらに首を傾げる白鳥に、私は呟く。
「私って、一体何なのかしらね……」
「……」
「王都では、婚約者の王子を傷つけて捨てた悪女なんて言われてたのに……」
「……」
「実際は王子本人から、手紙すら書いてもらえない惨めな女なのよ……!」
私の頬を熱い涙が流れた。そうだ、私は悔しかったのだ。王子が誘拐されたか、何らかの事件に巻き込まれてしまったかは分からない。でも直筆の手紙すら認めて貰えない程度の……。王子にとっては歯牙にもかけて貰えない程度の存在だったと……。
矢張り、名ばかりの婚約者だったという事実に改めて気づいてしまって……。しかも、相手にされていなかった王子の為に悪評を立てられ、家族まで巻き込んで貶められた。それが悔しかったのだ。
「私がいったい、何をしたというのよ……!?」
ぽろぽろと涙をこぼす様子をじっと見ていた白鳥は、そっと首を伸ばし、私の左頬に流れる涙を黄色いくちばしでゆっくりと拭った。白鳥の行為に驚いて私が固まっていると、右頬に流れていた涙も、長いくちばしで口づけるように、そっと拭ってくれた。
「ありがとう……。優しい子ね……」
単に頬をつたう水が目に入ったから気になって、口にしただけなのかも知れないが、私には白鳥が慰めてくれているように思えた。私がゆっくり手を出せば、白鳥は目を細めて顔を摺り寄せてくれた。そのまま身を寄せてきた白鳥を抱きしめた私は鳥の温かさ、羽毛の柔らかさ、そして直に伝わる心音に、ゆっくりと癒されたのだった。