第十五話 「公爵令嬢は王子の出生を知る」
王子の従僕であった、フィリップ・ノワールの話を聞いている内に、置き手紙が王子の物でない疑惑が高まり、王子は何者かに誘拐されたか、何らかの事件に巻き込まれた可能性が高まった。
「フィリップ……。王子は、誰かから恨まれたりしていた? あと、アルヴィン王子が居なくなることでメリットが出る者に心当たりはないかしら?」
「アルヴィン王子は『生まれながらの正当な王族』という扱いではありませんでしたので人一倍、努力しながら精力的に公務に携わってこられました。皆、王子の勤勉さや先見の明には感心されてましたし。恨みを持つ者など……」
黒髪の従僕がさり気なく、しかし聞き捨てならない発言をした。
「ちょっと待って……。アルヴィン王子が生まれながらの『正当な王族という扱いでは無かった』というのは?」
「あ、ご存じなかったですか……」
「そういえば、ファムカ王立図書館に置いてある貴族名鑑で、グルーテンドルスト王家の家系図を確認したけど、アルヴィン王子とジュリアンヌ姫に関しては記述が無かったわ」
婚約が破棄される前、嫁ぐ前に王家の血縁関係を頭に入れておこうと調べたが、婚約者であった肝心のアルヴィン王子や妹姫に関しては何故か、記載されていなかった。私が疑問を呈すれば、フィリップは落ち着き払って答える。
「それは、その貴族名鑑が最新の物では無かったからでしょう……。アルヴィン殿下が王族として認知されたのは、ごく最近です……」
「ごく最近なの!?」
驚嘆する私に、黒髪の従僕は淡々と告げる。
「正確には、アルヴィン様の母上ルイーズ様と国王陛下が再婚されたのが半年前。国王陛下から、正式に王子の認知がなされたのは、その後になります……」
想像以上に、ごく最近で驚きを隠せない。私と婚約の話が出る直前に王子になったようなものだ。
「それって国王の子供なのに、かなり長い間、認知されてなかったって事?」
「はい……。王子がお生まれになった当時は、先の正妃ソフィア様と公妾ヘレネ様がいらっしゃいましたので……」
「そういえば、グルーテンドルストの三人の王子と姫は、それぞれ母親が違うというのは聞いたことがあるけど……」
「その通りです。アルヴィン様の母君、ルイーズ様は元々、一番最初の正妃ソフィア様の女官をされてまして……。先の正妃がお亡くなりになってから、アルヴィン様の母上ルイーズ様は国王と再婚され、二番目の正妃となられたのです」
「!」
「アルヴィン殿下が誕生された時は、先の正妃ソフィア様が、ご存命でしたので国王陛下は認知せず。当初、私生児という扱いだったのです」
元婚約者の王子が私生児扱いされてた過去を持っていたなど、露ほども考えていなかった私にとってフィリップから聞かされた事実は衝撃だった。
「そんな……。私生児扱いだったなんて……。何故、グルーテンドルスト王は認知しなかったの?」
「認知されなかったのはグルーテンドルスト国が原則、一夫一妻の国だからです。例外として国王は正妃と別に公妾を一人持つことが認められていたのですが……」
黒髪の従僕が言いにくそうにしていると、セバスティアンが口を挟んできた。
「グルーテンドルスト国王の公妾といえば、かの国の宰相の娘であるヘレネ様ですな?」
「その通りです。当時は正妃ソフィア様がいて、公妾ヘレネ様もいる状態で……。さらに別の女性の子供を認知するのは、国王として体裁が悪いと……」
「酷い……」
王族や貴族が女性に子供を孕ませた場合、自分の子として認知し、成人するまで金銭的な援助をする事と父親が誰であるか、世間に対してはっきりさせる事は最低限の配慮だと思っていただけに、国王でありながら女官に手を出して、子供を産ませた上、認知もしないというのは無責任すぎると思えた。
結婚せずに生まれて、しかも父親に認知もされなかった子供。母親が相手の男性の名前を言えないなら、王の血を引いていたとしても、不義の子として世間に後ろ指さされた筈だ。
「アルヴィン殿下は幼少時、母上ルイーズ様のご実家である、伯爵家で育ちました。認知されていなかったとはいえ、国王陛下のご落胤ということは公然の秘密のような状態でしたので、国王陛下から金銭的な援助は行われておりました」
「そうなの? では、それほど酷い扱いを受けていた訳ではないのね?」
「はい。城の者は皆、アルヴィン様が幼少時から国王陛下のご子息であると知っておりましたし、正式な認知がされていなかっただけという状態で……」
「それなら、認知すれば良かったのに」
私が眉を顰めればフィリップは自身の黒い瞳に影を落とす。
「当時は教皇の手前、認知には及び腰だったようで……」
「ああ。宗教が絡んでいたのね……」
「はい……。厳格な教皇の逆鱗に触れて、万が一、破門にでもなれば大変な問題になりますから」
一夫一妻を推奨する教皇に対して配慮したのかも知れないが、他国の私からすると正妃の他に一人だけとはいえ、公妾を認めてる時点で一夫一妻の論理が破綻している気がする……。
そもそもトラブル防止の為に一夫一妻制を推奨したであろうに、一夫一妻制によって余計な問題まで噴出するようでは本末転倒なのではなかろうか……。
まぁ、適当な貴族という立場ならともかく、なまじ国王という立場だと守るべき建前が多く、色々と複雑なのだろう……。少々脱線してしまったので本来の話題に戻すべく、フィリップに問いかける。
「とりあえず、王子がいなくなって一番、得する方ってどなたなのかしら?」
「アルヴィン殿下は第三王子ですので……。アルヴィン殿下が居なくなって得をする方というのは……」
「誰も得をする者はいない?」
「直接的には得をする方というのは……。思いつきません……」
「では間接的に得をする者は?」
「……ルイーズ様が国王陛下と再婚された後、アルヴィン殿下が王位継承権の保持者となってから、周囲で警戒する者が出てきた事も事実です」
「周囲は第三王子が次期国王の座を狙うと?」
「アルヴィン殿下にその気はありませんでしたが……。何しろ、母君が王妃となられた事で唯一、現国王夫妻の王子という立場になられましたので……」
「第一王子、ジークフリート様の王位継承者としての立場は危ういの?」
「いえ、決してそのような事は……。亡くなられたとはいえ、先の王妃ソフィア様は西国ベルギアの王女であられましたし……」
フィリップが慎重に言葉を選びながら答えると、セバスティアンが問いかける。
「血筋的に最も身分が高いのは第一王子、ジークフリート様ですから、西国ベルギアをはじめ、他国との外交関係を考えても第一王子が王位に就かれるのが最善だと皆、考えておる訳ですな?」
「その通りです。第二王子ディートリヒ様はグルーテンドルスト国宰相の息女が母君……。第三王子アルヴィン様はグルーテンドルスト国の伯爵家の息女が母君ですので……」
「外交面を考慮すれば、母親が国内貴族であるよりも、西国ベルギアの姫を母にを持つ、第一王子ジークフリート様が次期国王として最善というわけね……」
「はい」
「でも、第二王子ディートリヒ様はどう思っていたのかしら?」
「第二王子は……。第一王子を信頼しておられますし、ディートリヒ様は……。あの方が王位を狙う為に、ご兄弟を害するとは思えないです。現在は王都を離れて、行方不明になったアルヴィン殿下を探しておられるようですし……」
そういえば、第二王子ディートリヒ様は美しいプラチナブロンドに、見ていると吸い込まれそうな神秘的な青い瞳で国一番の美貌と評判と級友が力説していた事を思い出す。私は唇に指を当て「ふむ」と考えながら黒髪の従僕に尋ねる。
「第二王子本人にその気が無くても、周囲の人間はどう思っていたのかしら? 第二王子の母親である公妾ヘレネ様の父は宰相なのでしょう? それなりに野心があるのではなくて?」
「宰相閣下は。確かにご自分の娘を公妾として推挙する程ですし、かつては野心がある方だったと思いますが、今は……」
「今は野心が無いの?」
「実は、宰相閣下の娘である、公妾ヘレナ様は出奔されたと言われておりまして……」
「え……。えええ!?」
突然、公妾が出奔したと聞き、私は開いた口が塞がらない。動揺を隠せない私と対照的にセバスティアンは自身の白ヒゲをゆっくり撫でながら遠い目をする。
「市井でそのような噂を聞いたことがございます。その時はまさかと思いましたが、事実だったのですな……」
「はい……。公妾ヘレナ様と国王陛下の間には第二王子ディートリヒ様が生まれておりますが、すでに長期に渡って関係が冷え切っておりました」
「そうだったの……」
いわゆる仮面夫婦に近い関係だったようだ。恋愛結婚ではなく、政略結婚が多い貴族の間では珍しくも無い話だが、国王陛下と公妾という間柄でも、そうなのかと他人事ながらゲンナリしてしまう。何だか妙齢のご婦人方が、好みそうな演劇のような話になってきたなと、精神的に疲弊してきたが黒髪の従僕は冷静に続ける。
「はい。公妾ヘレネ様には親しく接している男性貴族と深い仲になっていると、かねてから宮廷で囁かれており」
「まぁ……」
「出奔したのは国王陛下より愛人を選んだからで、その親しい貴族が逃亡の手助けをしたのだろうと言われています。……あくまで噂です。公妾ヘレネ様と親しかった貴族に出奔を手引きした証拠はありません」
「……」
「実の娘が行方知れずの上、公妾でありながら愛人を作り出奔したと噂が広まったことの心労が重なり、宰相閣下はすでに宰相職を辞して、自宅で療養しておられるとか」
「宰相には誘拐など企てる気力も無さそうね……」
本格的に妙齢のご婦人が食いつきそうなスキャンダル疑惑だ。私の時も濡れ衣で噂を立てられ、精神的につらかった。宰相職に就いてた人物の娘が公妾、その公妾が愛人を作って出奔など、悪夢にも程があるだろう。私は心から宰相閣下に同情した。そんな私を横目にセバスティアンは疑問を口にする。
「第二王子ディートリヒ様を王位につけるためなら、第三王子アルヴィン殿下より王太子や国王を狙う筈ですな……」
「そうですね……。アルヴィン殿下が失踪されてから、王太子殿下や国王陛下の警護が以前より厳重になったと聞いておりますし……」
黒髪の従僕が、当時のことを思い出しながら答えるのを聞いて、私は思わず眉間に皺を寄せる。
「じゃあ、ますます第二王子の王位継承を狙って、アルヴィン王子が害された可能性は低いと言えるわね」
「はい……。あと、国王陛下は公妾ヘレネ様が失踪されてから『実は第二王子が生まれてから、内々にヘレネ様の公妾の任を解いていた』という事にしたのです」
「え」
思いがけない事を聞き、戸惑っていると、セバスティアンの方は何度も頷き納得した。
「ああ、なるほど……。第二王子の誕生後は、公妾を第三王子の母にしていた事にすれば、強引ではありますが、認知上の問題は無くなりますからな」
「そうなの?」
「おっしゃる通りです……。アルヴィン殿下の母君である、ルイーズ妃と国王陛下が再婚される際、アルヴィン殿下の出生については書類上『ルイーズ様が公妾であった時に出産された王子』という形で処理され『失踪したのは公妾ではなく、元公妾であった宰相の娘』としました……。それもあって、公妾ヘレネ様の失踪に関しては、あまり大事にはならなかったのですが……」
王家特有の形式を重んじた、書類上の処理なのだろうが、国王や宗教の都合に振り回され過ぎている。公妾も認めない完全に一夫一妻制の国で、非情な国王の場合は次々に王妃を殺す事もあると聞いた事があるから、それに比べればまだマシとは言え、内心辟易しながら現実的な話を口にした。
「それにしても、第三王子の前に公妾が失踪していたなんて……」
「近しい王族の失踪が、こうも立て続けに起こっていたのならば、なおさら偶然とは思えませんな……」
老紳士は眉をひそめ、フィリップも肩を落としている。かくいう私も困惑していた。昨日までは王子が狂言の手紙を残して、自発的に行方をくらましていたと考えていたが、肝心の置き手紙はアルヴィン王子の直筆ではないと王子に仕えていた、従僕フィリップが疑念を持っていた。
実際、王子が愛用していたインクでは無い物で書かれていたと思われる以上、少なくとも手紙は捏造である可能性が高い。王子が行方不明になるだけなら、王位継承に絡んだ問題でもあるのかと思ったが、どうやらそれも違うようだ。
そもそも手紙で、私を名指しにして陥れる必要は無いのではなかろうか。それとも、誰でもいいから当事者以外の者に、疑惑の目を向けたかったのだろうか。
置き手紙の第一発見者である、妹姫ジュリア。王子が最後に居たと考えられる、執務室が荒れていた事から妹姫はいかにも怪しく、彼女が手紙を捏造したのかと思ったが、妹姫はアルヴィン王子と仲が良く、行方不明になった王子の身を案じ、心から心配しているという。
それなら妹姫ジュリアが王子の誘拐などに関わったとは考えにくい。妹姫が執務室に入る前に何者かが執務室内に、王子が書いたかのような置き手紙を置いていったのだろうか。
またアルヴィン王子が行方不明になる前に、愛人と出奔したと噂されている公妾ヘレナ。彼女は今、どこにいるのだろうか? 今回の王子行方不明に公妾ヘレネが無関係とは考えにくい。
次期国王である、第一王子ジークフリート。天使の如き美貌という第二王子ディートリヒ、現グルーテンドルスト国王やアルヴィン王子の実母である、ルイーズ妃。行方が分からない公妾ヘレネ。さらに妹姫ジュリア。
多くの者の名前があがった。しかし、核心をつくような有力な情報は無い。従僕フィリップの話を聞いて王子が失踪した当日の様子は分かったし、王家の詳細な話を聞けたのは有意義だったが結局、王子の行方に関しては一向に知れず、謎が深まるばかりだった。