第十四話 「公爵令嬢は従僕の話を聞く」
まだ完全に翼の傷が癒えた訳ではないが、白鳥がすっかり元気を取り戻して一安心した私は、居室のソファに腰かけ、ハーブティーを頂く。するとセバスティアンが、手元の書類に目を通しながら口を開いた。
「捜索させていた、アルヴィン・フォン・グルーテンドルスト殿下の行方に関してですが……」
「何か分かったの!?」
「それが……。捜索した者によると行方不明になった日、以降の足取りは全く掴めなかったそうでございます……。国内外にそれらしき人物が、隠遁しているという情報も確認できなかったと……」
「そんな……。アルヴィン様が行方知れずになられてから、もうかなり経つのに……」
「置き手紙には『旅に出る』と書かれていたそうですが、ここまで消息が掴めないとなると……」
セバスティアンは言葉を濁しているが最悪、死亡してしまっている可能性だって十分考えられる。
「困ったわね……。あの方が見つからないと、私にかけられた濡れ衣が晴れないわ……」
「実は……」
「?」
「エリナお嬢様が、こちらに来られた日『一人だけ紹介が後日になる召使い』がいるとお伝えしておりましたが戻って参りましたので、ご紹介いたします。入りなさい」
「失礼致します」
ガチャリと木製の扉が開き、室内に入ってきた黒髪に、切れ長の黒目をした青年に、私は驚く。
「!」
「フィリップ・ノワールと申します」
スラリとした体躯の青年は自己紹介して一礼した。その姿を見て、私は遠くない記憶を思い出す。
「貴方は、確か学園で……」
「はい……。あの時は、あのような場所まで押しかけてしまって。大変申し訳ございませんでした……」
申し訳なさそうに頭を下げて謝罪している、落ち着いた雰囲気の青年は、私の元婚約者アルヴィン王子の妹であるジュリアンヌ姫が学園にやって来た、あの日。姫に付き従っていた黒髪の従僕に間違い無かった。
「いえ、貴方の所為じゃないのは分かっているから謝らないで……。それよりも貴方はジュリアンヌ姫の従僕だったんじゃ?」
「……私は元々、ジュリア姫ではなく、アルヴィン王子の従僕だったのです」
「え!?」
「あの時はジュリア姫に、外出するからと同行を命じられたのです……。当時、アルヴィン王子が行方不明になった為、私は手が空いておりましたので……」
「そうだったの……」
「はい……。まさかジュリア姫が、アルヴィン殿下の婚約者の元へ直接、伺われると思っておりませんでしたので驚きました」
ためらいがちに説明する従僕の青年の言葉に私は頷く。
「そ、そうよね……。でも何故、ここに?」
「実は……。あの後、帰城するなり、ジュリア様から解雇されまして」
「ええ!?」
「失職して、途方に暮れていた所、セバスティアンさんに声をかけて頂いたのです……」
「そうなの?」
私がセバスティアンに視線を向けると、老紳士はにこやかに答える。
「はい。エリナお嬢様をこちらでお迎えするに当たり、それなりの所に勤めていた執事か従僕を探していた所、ちょうど……」
「まぁ……。タイミングが良かったというか」
「私としては、実家に病気の母がおりますので、声をかけて頂き、とても助かりました」
「そう言って貰えるなら、何よりだけど……」
ジュリア姫に解雇されたという従僕。フィリップ・ノワールの話を聞いて、どんな顔をしたら良いか分からなかったが、本人の中ではすでに折り合いがついてるようで至って穏やかな様子だ。私と従僕が話すのを見守っていたセバスティアンが口を開く。
「エリナお嬢様……。フィリップは、アルヴィン王子が失踪した当日、城に居たのだそうです」
「ええ!?」
驚嘆してフィリップを見つめると、彼はうつむいて黙り込む。
「……」
「フィリップ! 王子が失踪した当日の詳しい話を聞かせて!」
「……」
なおも押し黙る、黒髪の青年に私は訴える。
「貴方も知っての通り、ジュリア姫が学園に押し掛けたでしょう? 姫の言葉を聞いた者は皆、私のせいで王子が失踪したと思い込んでるのよ……」
「!」
「以前の雇用先の事を話すのは、気が咎めるでしょうけど……。私にかけられた世間の誤解を解かないと、私も家族も王都で普通に暮らせないの……。お願いだから、貴方の知ってることを教えて?」
この辺境に来て、色んな人物と出会ったり、白鳥を保護したりとバタバタしていたが、王都にいる家族のことを忘れた日は無い。悪女などと誹られ、私自身や家名に泥を塗られた挙げ句、可愛い弟までケガを負う被害に遭っているのだ。
私は何としてでも真実を詳らかにして、名誉を回復しなくてはならないのだ。真剣な表情で、真っ直ぐ従僕の青年を見つめれば、彼は苦しげに呟いた。
「そうですね……。エリナ様は決して無関係ではない……。当事者でいらっしゃる……」
フィリップはまぶたを閉じて少し考えた後、前を見据える。
「分かりました……。私が知っている事は全てお話しします」
「ありがとう!」
歓喜する私にフィリップは、自身の瞳に影を落とす。そして、申し訳なさそうな表情で少しうつむく。
「ですが……。私も、全てを知っている訳では無いのです」
「それでも構わないわ!」
私の真剣な瞳を見た黒髪の青年は、一つ頷いて語りだす。
「アルヴィン王子が失踪した当日、確かに私は城に居ました……。いえ、正確には……。私が城に戻った時、すでにアルヴィン王子の姿は無かったのです」
「え?」
「実は……。先日、私の父が急な病で亡くなりまして……」
「!」
「父の葬儀の為、アルヴィン王子にお暇を頂き、私は城を離れて実家に帰っていたのです……」
「それは大変だったわね……」
少し俯いたフィリップは一呼吸置くと再び話し出す。
「あの日……。城に戻った私は……。父の葬儀が無事に終わった事を、アルヴィン王子にお伝えしようと王子の執務室へ向かいました……」
「……」
「アルヴィン王子の執務室のドアをノックしようとした瞬間、室内からガシャン! と何かが割れる音が聞こえ」
「!?」
「私は、何か事故でもあったのかと慌ててドアをノックし、室内に入ろうとしたのですが、ドアは施錠されていて開かず」
「……」
「誰か呼んで、無理やりでもドアを開けるべきかと思案していた時、施錠されていた執務室のドアが開き、中からジュリア姫が……」
「!」
「ジュリア姫は私に『部屋の中が散らかってしまったから、片付けるように』と告げて立ち去ってしまわれました……」
「……」
「不審に思いながら、執務室に入ると床に書類が散乱し、窓ガラスは割れて、バルコニーには割れたガラスが散乱し、片隅にインク瓶が転がり、さらに黒インクがバルコニーの床に飛び散っていました……」
「それって、ジュリア姫とアルヴィン王子が執務室の中で争ってたんじゃ?」
私が疑問を口にするとフィリップは力なく首を横に振った。
「いえ、執務室の中に王子の姿はありませんでした」
「貴方が入室する直前、室内にアルヴィン王子が居た可能性は?」
「執務室から出る為には、私が居た通路側に出なければいけませんので……。私が入室した時には、いらっしゃらなかったとしか……」
眉根を寄せて困り顔の従僕に対して、私はなおも質問を投げかける。
「王子がバルコニーから部屋の外に出た可能性は?」
「砕けたガラスの様子を確認する為、バルコニーに出ましたが、誰の姿もありませんでした……。それに、執務室は3階にありますので……」
「不可能?」
3階でも建物の構造次第ではバルコニーから地上に降りる事は可能な気がする。もし、そうなら王子が行方をくらました原因は妹姫という可能性が高まる。しかし従僕の青年は肩を落として告げる。
「王子がバルコニーから地上に降りた可能性は、まず無いかと……。まだ日も高かったので、バルコニーから外に出ようとする者がいれば、警備に当たっていた衛兵の目につかない筈は無いですし……」
「そう……」
推理が外れて、私もガックリと肩を落とす。フィリップは気をとりなおして説明を続けた。
「私が他の召使いに声をかけて執務室を片付けていると、にわかに城内が騒がしくなり衛兵たちが『王子が失踪されたらしい』と」
「衛兵たちは、いつそれを知ったのかしら?」
「それが……。ジュリア姫が、執務室にあった王子の置き手紙を持って、そのまま国王夫妻の元へ行ったそうなのです……」
「じゃあ、手紙の第一発見者はジュリア姫!?」
「はい」
「ねぇ、フィリップ……。ジュリア姫が王子の失踪に関わった可能性はあると思う?」
「それは……。執務室があのような事になっておりましたし……。正直、疑った事はあります。しかし……」
「しかし?」
「王子の失踪後……。ジュリア姫は連日、王子の捜索にあたっていた兵士の報告を熱心に聞き、行方知れずとなった王子の身を心から案じておられる様子でした」
「……」
「時間があれば、空に向かって王子の無事を祈られて……。あの様子を知っている者としては、ジュリア様が王子に危害を加えるとは、とても思えないのです……」
「そう……」
王子の執務室で争ったような形跡があったと知り、ジュリア姫と王子の間で何らかのトラブルがあったのかと思ったが、妹姫は王子と仲が良いという噂は事実だったようで、姫が王子に危害を加えた可能性は無さそうだ。それにしても、肝心の王子の姿が無いとなると、やはり姫は一人で執務室にいた。
執務室で王子の置き手紙を発見したジュリア姫が『公爵令嬢エリナ・アンジェリーヌ・ド・ブランシュフルールに傷つけられた』という内容の手紙を見て、ヒステリーを起こして執務室にあった書類を散乱させ、王子の執務室にあったインク瓶を外に向けて投げつけ、その衝撃で窓ガラスが割れた。という感じだろうか。
血相を変えて、学園に乗り込んで来たジュリアンヌ姫の様子をよく知っている身としては、いかにもありえる。というか、王子の置き手紙を発見して激昂する妹姫の様子が、容易に思い浮かんで私は溜息を吐いた。
「お役に立てず、申し訳ございません」
「フィリップが悪い訳ではないから、謝らないで……。それにしても、王子は行方が分からなくなる当日、確かに城内にいたのよね?」
「はい。あちらの召使いから、複数の証言が出ております。アルヴィン様は当日、確かに執務室にいたと……。城の外に出たのを目撃した者はおりません」
「……」
「城には門番がおりますし、王子が城から出た記録は無かったと……。これらの証言は信憑性が高いと思われます」
「……」
少し前に、私がこっそり一人で湖に行っていた時ですら、私の行動は筒抜けとなって、セバスティアンや庭師のラウルに屋敷を出る所を目撃され、ミシェルが密かに尾行して護衛についていた……。
この辺境の屋敷より遥かにセキュリティの高い城から、王子が忽然と姿を消すなんて、ちょっと考えられない……。
「王子の置き手紙には、私が原因と書かれていたそうだけど、私には全く心当たりがないわ」
「……」
「アルヴィン王子には表だって言えないような……。失踪する理由があったのかしら?」
「私は王子に長らく仕えておりましたが、殿下が自らの意志で、失踪する理由に心当たりはございません……」
「例えば……。密かに恋仲の女性がいて周囲に結婚を反対され、駆け落ちなんて可能性は……?」
「いいえ。私の知る限り、そのような事実は一切ございません」
「……」
「特に最近は……。エリナ様とのご婚約が決まり、お喜びのご様子でしたし……」
フィリップの言葉を聞いて私は驚き、思わず彼に聞き返した。
「王子は国王の命令で仕方なく……。政略結婚として、私と婚約したんじゃなかったの?」
「それは誤解です! 国王陛下から政略結婚を命令されて、仕方なく婚約した訳ではございません」
「え?」
「アルヴィン殿下は、エリナ様とのご結婚を望んでおられました」
「嘘……」
とても信じられなくて呆然とする私に、黒髪の従僕は首を横に振る。
「決して嘘ではございません! 王子は婚約祝いの品を送る時、自分が生産に携わったガラス製品を贈ろうと決めて、贈られる品を一つ一つご自身で選んでおいででした」
「じゃあ何故、置き手紙に私の所為だなんて……」
「私も、そこが府に落ちなかったのです」
視線を床に落としたフィリップは眉根を寄せて、悔しそうに右手に力を込めた。
「……」
「置き手紙に書かれていた内容を見た時、半信半疑でしたが、学園でエリナ様のご様子を直接見て、その可能性は無いと確信いたしました」
「ええ。神に誓って、私が王子を傷つけた覚えは無いわ」
私が改めて自身の潔白を口にすれば、黒髪の従僕は真剣な表情で頷く。
「それに……。ジュリア様が発見したという、アルヴィン殿下の置き手紙を見た瞬間、私は違和感を感じました」
「違和感?」
「はい……。あの置き手紙に書かれていたインクはアルヴィン殿下が普段、使用されていた物とは異なりました」
「インク?」
ジュリア姫が学園に来た時、眼前で見せられたが、短い文章が走り書きされていた位の印象しかなくて戸惑っている私に、フィリップは続ける。
「置き手紙の文字は、紫黒色でムラがありました……。不審に思って香りを確かめると微かに鉄の香りが……。あれは没食子酸と硫酸鉄を合わせて作る、没食子インクで書かれた物だと思われます」
「ちょっと待って、没食子インクなら私も使ってる。……というか、この国や周辺国なら、誰もが使っている一般的なインクじゃないの?」
「そうです。世間で一般的に使われているのは、没食子インクです。……ですが、アルヴィン殿下は違いました」
「え?」
「アルヴィン殿下が愛用していたインクは墨なのです」
「墨……。王子はそんな物を使って……」
遥か遠い東の国では『墨』という物を使って文字や絵を書くと本で読んだことがある。王子は東方からの希少な輸入品で文字を書いていたのか。
遠方からもたらされる品だけに相当な高値の筈だが、さすが一国の王子ともなると高級な消耗品を用いるのだなと感心していると、フィリップは予想外の言葉を告げる。
「はい。コウイカの『イカ墨』が原料の、墨をインクとして使用されていたのです」
「!?」
まさか、海の生き物が黒色インクの原材料だとは思ってもみなかった私は驚嘆した。
「な、なんで、イカ墨なんて……」
「没食子インクで紙に文字を書くと最初は淡い色でも時間が経過すると、どんどん色が濃くなります」
「ええ……」
「没食子酸と硫酸鉄による、化学変化で文字の色が濃くなっている訳ですが、その酸性ゆえに没食子インクで文字が書かれた紙は劣化が非常に早い……。文字の色ムラに加えて、劣化が起こり、紙が痛む事をアルヴィン様は避けておられました……」
フィリップのいう通り、没食子インクで書かれた物は劣化が激しい。酷い場合は数年で紙に穴が開いてしまう程だ。
「確かに、それはそうだけど……」
「それにアルヴィン殿下が没食子インクを利用されない理由があります」
「?」
「アルヴィン殿下は金属製の付けペンを愛用しておられたのです」
「金属製? 羽ペンじゃなくて?」
「はい……。大きな羽をナイフで切り込んで、そのままインクに漬けて書く一般的なタイプでは無く、金属製の付けペンと呼ばれる物を愛用されていました」
「金属製のペンなんて、初めて聞いわ……」
「無理もありません。一つ一つが職人の手作りなので非常に高価な為、市場には殆ど出回っていないのです」
「そんな特殊な道具で……」
「はい……。そして、金属製の付けペンを愛用されているアルヴィン様は、金属に著しいダメージを与える没食子インクを忌避されていたのです」
そもそも没食子インクは、鉄と酢を入れた溶液に加えて、没食子の抽出物を合わせて作る物だ。金属製の付けペンで、酢の入った没食子インクを使えばどうなるかは火を見るより明らかだ。
「没食子インクは金属を錆びさせてしまうものね……」
「ええ。ですから、アルヴィン殿下が自ら進んで、没食子インクを使用される事は先ず、ありえません」
「その事を他の方には?」
「勿論、話しました……。しかし、他の方に言ってもインクなど、どれも同じように考えられてるらしく……。また、仮にインクが普段使っているのと違う物だとしても、愛用していたインクが切れていたのだろうと、取り合って頂けませんでした」
「そんな……」
「エリナお嬢様」
私が眉根を寄せていると、セバスティアンが私に声をかける。
「?」
「仮に、置き手紙が偽物なのだとしたら……。王子が自発的に行方知れずになったのでは無く、誘拐か何らかの事件に巻き込まれた可能性が非常に高いかと……」
「そうね……」