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第十三話 「公爵令嬢は白鳥を助けたい」

 片翼を矢で射られ、ぐったりとした白鳥の首を狩人らしき男が掴み、ぎりぎりと長い首を絞めている。今まさに息の根を止められようとしていた白鳥を目の当たりにして、考えるより先に身体が動いた。


「やめて!」


 私は足早に駆け寄り、白鳥の首を絞めていた狩人の腕を掴んで制止する。


「その白鳥を殺さないで!」


「な、何だアンタは!?」


 突然、腕を掴まれ、驚く狩人に私は名乗る。


「私はエリナ・アンジェリーヌ・ド・ブランシュフルール! 公爵家の者です!」


「ブランシュフルール……。領主の……」


「お願いです! その白鳥を見逃して下さい!」


 必死に懇願する私を一瞥した狩人は、忌々しそうに顔を顰める。


「っ! いくら公爵家のお嬢様の頼みでも、こいつは俺の獲物だ!」


「!」


「この白鳥の羽を毟れば、羽毛布団の材料になるし、肉は食える。さっさと絞めてダガーで白鳥の血管を切って血抜きをしたい。その手を離してくれ」


「そんな……! 酷い!」


 冷徹な狩人の言い分に、私はショックを受けて涙ぐんだが、彼も私の言い分が癪に障ったらしく、ムッとして反論する。


「酷い? アンタ、今まで肉を食った事が無いとでも言うのか!?」


「えっ」


「アンタみたいなお嬢様には分からないんだろうが、食べ物は最初から、食べ物として存在してるんじゃない! 生き物を殺して食べ物になってるんだ!」


「っ! それは……」


「目の前で殺されるのは可哀想だから、殺すなと言われたんじゃ、こっちが飢え死にするんだ!」



 狩人の言葉に愕然としていると、それまで黙って見守っていたミシェルが口を開く。


「……確かにお前の言う通りだ」


「ミシェル!?」


「だから、お前の獲物である、その白鳥を我々が買い取ろう……。今、手持ちがこれだけしか無いのだが……」


 そう言いながらミシェルは上着の内ポケットから薄茶色い革袋を取り出し、狩人に手渡す。怪訝そうに眉根を寄せた狩人は小袋の口紐を解き、袋の中を確かめて驚嘆した。


「き、金貨!? こんなにも!」


「それなら問題あるまい? この金額で足りるか?」


「あ、ああ……。十分だ……。この白鳥は確かにアンタ達に売った。後は生かすも殺すも、好きにするがいいさ」


 狩人はぐったりとした白鳥を地面に置き、金貨が入った革袋を握りしめて、足早にその場を去っていった。


「ミシェル、ありがとう」


「エリナ……。後先考えずに、飛び出すな」


「ごめんなさい。気が付いた時には身体が動いて……」


「はぁ……。まぁいい。それで白鳥の様子はどうだ?」


 岸辺でうずくまっている白鳥に近寄った私は、思わず悲鳴が出そうになる自分の口を手で押さえた。 狩人の矢が翼の肉を貫通し、思った以上に出血し、純白の羽がどんどん血の色に染まっている。


「血がこんなに……!」


「脈は……。あるな……。翼に矢を受けた上、首を絞められたショックで気絶したか……」


「この白鳥の傷を手当したいわ! ミシェル!」


「仕方ないな……。乗り掛かった舟だ」



 意識を失った白鳥を抱いて屋敷に戻った私たちは、セバスティアンに手を貸してもらい、使っていない部屋に急遽、白鳥の寝床を用意した。


 ヴィクトルは鶏を飼っていた経験があるからと、自ら白鳥の手当てを買って出てくれた。翼の傷の手当てが終わった頃、白鳥がゆっくりと目を開いた。近寄った私たちを警戒して、頭を持ち上げた白鳥と私の目が合う。


「もう、大丈夫よ。傷の手当は終わったからね」


 私が優しく声をかけるが直後、白鳥は力なく頭を垂れ下げ瞳を閉じた。


「!」


「大丈夫。眠っているだけだ」


 心配する私にヴィクトルは優しく声をかけ、ミシェルも冷静に判断する。


「翼に矢を受けて失血していたし、体力が落ちているのだろう。静かに休ませた方がいい」


「ええ……」




 ひとまず白鳥を休ませるべく、その場を後にする。事情を話して湖にあの白鳥一匹だけだった事をセバスティアンに尋ねると「ふむ」と頷いた。


「それは、ミシェル様のおっしゃる通り、迷い鳥でしょう……。本来なら、今は白鳥が滞在している時期ではございません」


「何で迷い鳥になってしまったのかしら?」


「渡り鳥は大変な長距離を飛ばないといけませんから、傷を負った個体や、体力が落ちた個体は群れについて行けず、迷い鳥となってしまうと聞きます。それにしても、白鳥を餌付けとは……」


「う……。白鳥は危険って言うんでしょう? でも、あの子は大人しい白鳥で人を襲ったりしないのよ!?」


 危険は無いと主張するが、セバスティアンは静かに首を横に振る。


「それだけが理由ではございません」


「え?」


「野生の生き物に人間がエサを与える事によって本来、その生き物が自然から得られるはずの栄養が摂取できなくなってしまうのですよ?」


「…………」


「与えられるだけ食べた生き物は満腹になり、その時はそれで良いと思うでしょうが、偏った栄養しか取らなかった個体は徐々に身体が弱くなります……」


「そんな……」


「自然界で生き抜くだけの免疫力がつかないのです。充分な体力の無い個体は、野外で雨風に晒されたり、厳しい冬の寒さを乗り越える事が出来ません」


「あ……」


 自分は白鳥に良かれと思って餌をあげようと思っただけだ。しかし長期的に見れば確かに、野生の生き物に人間が餌を与える行為は、良い結果を生み出さないと気づき、私は愕然とする。言葉を失う私にセバスティアンは続ける。


「さらに言えば、人間が無闇に湖にエサをばら撒けば、湖の水質汚染にも繋がってしまいます」


「その……。ごめんなさい……。私、そこまで考えてなかったわ」



 この地域に住む住人にとっては、大切な水がめである湖。もちろん今日、一回程度ならば然程の汚染でも無いだろうが、何も考えずに毎日、湖に食べ物をばら撒いていれば美しい湖は次第に汚れていったに違いない。私は自分の浅はかさを反省した。そんな私を見た老紳士は柔らかに微笑む。



「分かって頂ければよろしいのです……。エリナお嬢様の生き物を労わる、優しいお心は尊い物だと思います……。ですが、ご自身の行動がどのような結果を生むのか、しっかりとお考え下さい……。どうか公爵家の令嬢として相応しい振る舞いをなさって下さい」


「忠告してくれてありがとう、セバスティアン……。私、考え無しだったわ……。これからも間違った行動を取ってしまった時は、私を諫めてね」


 自戒の念を込めて、今後も苦言を呈してほしい旨を伝えると、白鬚の老紳士は穏やかに頷いてくれた。




 出血して弱っている白鳥を屋敷の外で世話すれば、血の匂いに引き寄せられた獣や猛禽類に狙われる恐れがあるという事で、傷が塞がるまで屋敷内で世話することになった。


 それから毎日、私が持って行ったエサを白鳥は食べてくれた。保護する前にエサをあげていたのが功を奏したのか白鳥はしっかりと私の顔を視認し、攻撃してくる様子は全く無い。


 傷口も塞がったので少しは外で歩かせた方が良いだろうと白鳥を庭園内に出して歩かせていると、その様子を見ていた庭師のラウルが呟いた。


「白鳥を保護されたのですから、計画を前倒しして小さな池でも作りましょうか?」


「計画を前倒し?」


「あ……。いえ、この屋敷の庭園を全体的にどうするのか、ずっと考えていたんですが、この敷地、すべてに植物を植えるんじゃなくて、一部は水を引こうかと思っていたんです」


「水?」


 小首をかしげる私に、ラウルは以前から考えていたらしい計画を説明してくれた。


「はい。この屋敷の近くには美しい湖がありますし、裏山からは湧き水も流れてきます。水が豊富ですから、それを利用して水路を作ったり、高低差を利用していくつか、簡単な噴水を作るのも良いかと……」


「まぁ、面白そうね!」


「はい。幸い、噴水の仕組みと作り方は心得ておりますし、そう難しい施工ではありませんので、少しずつやっていきますね」


「あ……。でも、大掛かりな物なら、とてもお金がかかってしまうんじゃないの? あまり大規模な物はうちでは……」


「ああ、お金の事なら大丈夫です。華美な装飾などは使用しませんし、幸い湖の周辺から石灰が取れます。先に提示して頂いた予算に収まる範囲で作ります」


「そう? それじゃあ、楽しみにしてるわ!」



 ラウルは屋敷の裏に穴を掘り「この周辺の土は良質なので、良い仕事が出来そうです!」とエメラルドグリーンの瞳をキラキラと輝かせながら、嬉しそうに土と砂利と石灰を混ぜ、速やかに作業に取り掛かった。そして、あっと言う間に池を作ってしまった。


 出来たばかりの池に水をひけば、白鳥はさっそく池に入り気持ちよさそうに水中に潜ったり、すいすいと水をかきながら優雅に水面を移動した。その様子を庭師と共に微笑ましく見守った後、鳥のエサを貰う為、調理場へ向かう。


「ヴィクトル、おはよう」


「やあ、天使! 今日も可愛いな! 俺の天使は会うたびに可愛さが増していって、眩しい位だ!」


 相変わらずな赤毛の料理人に苦笑しながら、私は目的の物を所望する。


「あ、ありがとう……。悪いけど、今日もアレを頂けるかしら?」


「悪いなんて、とんでもない! こんなに可愛らしい天使が頼みごとをしてくれるなんて、むしろ光栄なくらいなんだから! さぁ、用意しておいたぜ!」


 料理人は穀物が入った袋を私にくれた。


「いつもありがとう、ヴィクトル! ……あら?」


「ん?」


 調理台に置かれた、まな板の上に無造作に散らばった沢山の食パンの切れ端が私の視界に入った。


「ねぇ、ヴィクトル……。あれは?」


「あれは、まかないのサンドイッチを作った時に切り落とした物さ」


「あれ、鳥のエサになるんじゃなくって? この穀物より、パンの方がいいんじゃ……?」


 破棄される予定のパン屑があるなら、それを鳥に与えれば、破棄予定だったゴミも減り、鳥のお腹もふくれて、まさに一石二鳥だと思った私に、料理人は眉間に皺を寄せ、思いのほか難しい顔をした。



「よく道端で、鳥にパン屑を与えてる奴がいるから、そう考えるのも無理はないと思うんだが……。鳥に人間の食べ物を与えるのは良くないんだ……」


「そうなの?」


「ああ……。特に鳥にパンなどの、人間が調理した食べ物を与えると『そのう炎』っていう、病気にかかるリスクが一気に高まる」


「…………」


「『そのう炎』にかかった鳥は苦しんだ末、死ぬ事になるんだ……。人間が良かれと思って、優しさからやる行為でも、残酷な結果になってしまう事もある……。だから不用意に人間の食べ物を、鳥に与えようと思わない方がいい」


「そうなのね……。知らなかったわ……。教えてくれてありがとう、ヴィクトル」


「天使の為なら、この位いくらでも教えるさ!」


 料理人は真面目な表情から一変、ウインクしておどけた。


「まぁ、どうしても天使が、教えてくれたお礼がしたいって言うなら、俺はいつでも……」


 料理人は両手を広げ「さあ! 俺の胸へ飛び込んでおいで!」といった雰囲気だが、私は華麗にスルーさせて頂く。


「じゃあ、白鳥が待ってるから、私そろそろ行くわ! またね!」


「あ、ああ……。また……」



 調理場を後にした私は白鳥の元へ向かう。池に浮かぶ白鳥に手を振ると、私を視認した白鳥が嬉しそうにすいすいと近寄ってくる。


「今日も持って来たわよ! はい!」


 いつも通り、白鳥に穀物を与えると相変わらず、物凄い勢いで食べていく。


「ガッガッガッ」


 白鳥がエサを食べていると、騎士服を身にまとったミシェル・ド・ブレイズが現れた。エサを食べ終わって満足そうにしている白鳥に金髪の麗人は語りかける。


「お前も、ここで世話になっているなら覚えておくんだ」


「?」


 話しかけられた白鳥は、きょとんと小首を傾げているが、ミシェルは構わず話し続ける。


「赤髪の軽薄そうな男がいるだろう? あいつは女の敵だ」


「……」


「奴の毒牙にかかった女性は数えきれない程だ」


「……」


「エリナを奴の魔の手から守るんだ」


「もう、ミシェルったら、白鳥にそんな話をするなんて……」


 私は苦笑したが金髪の麗人は真剣な面持ちだ。


「動物は人間が考えてるより案外、頭が良いものだぞ」


「それは、そうかも知れないけど……」


「少なくともあの男より、犬猫や鳥の方がよっぽど信頼できる」


「酷い言いようだな? ブレイズ?」


 腕を組んで生真面目な表情で語っていたミシェルの言葉を、ずっと聞いてたらしい赤毛の料理人が物陰から颯爽と現れ、私は驚く。


「ヴィクトル!?」


「ちっ、噂をすれば何とやらか」


 舌打ちして美麗な貌を顰めるミシェルを横目に、料理人は大げさな身振り、手振りを加えながら大いに嘆き悲しんでる風を装い、高らかに宣言する。


「確かに過去は変えられないし、そういう事実があったことは否定しない……。だが、それは俺が天使に出会う前の話だ!」


「!?」


 おもむろに距離を詰めた赤髪の料理人は、そっと私の手を取り、両手で包むと至近距離で私を見つめた。


「天使と出会ってからは、俺は他の女なんて目に入ら……痛っでえ!」


 突如、ヴィクトルが悲鳴を上げたので何事かと見れば、白鳥がヴィクトルの脚を黄色いクチバシでガッ! ガッ! と突いていた。


「てめぇ! このクソ鳥! 何しやがるんだ!」


 怒りを露わにする料理人に負けじと、白鳥もヴィクトルに対してぶわっと全身の羽毛をふくらませ「シャー!」と威嚇の声を発した。


「驚いたな……。まさか本当に奴から、エリナを守ってくれるとは……」


「本当に頭の良い子ね……」


 二人で感心していると、庭師のラウルが口を開く。


「ミシェルさんの言葉が白鳥に通じたのかは分かりませんが……。人間の成人男性から虐待を受けた猫やカラスは、その後も人間の成人男性を敵と見なして、攻撃的になる事があると聞いたことがあります」


「ああ。この白鳥は、狩人から翼を矢で射られた上に、首を絞めて殺されそうになった事があるからな……。人間の男から虐待を受けた記憶があると言えるな……」


「俺はてめえがここに来た一番最初、手当てしてやったんだぞ!?」


「シャーッ!」



 仮にも白鳥のケガを手当てしたのに、攻撃対象になるのは理不尽だと赤毛の料理人が主張するも、白鳥の方は完全にヴィクトルを敵と認識してしまったようで威嚇の声をあげながら、隙あらば再び攻撃しようとしているのが、ありありと分かる。その様子を見ていたミシェルは冷静に分析した。


「ここに運び込まれた時、この白鳥に意識は無かったからな……。当然、お前が手当てをしてやった記憶も無いだろう……。その後は、ずっとエリナが手当てと世話をしていたしな」


「何て恩知らずな鳥だ! てめえ、焼き鳥にするぞ!?」


「シャーッ!」


「勇ましい白鳥だな。幸い、エリナに懐いているようだし、害虫よけにちょうど良い」


「美しい上に、賢くて頼りになるなんて、白鳥って素晴らしいわね」


 ミシェルと私が感心していると、庭師のラウルも笑顔で頷く。


「番犬がわりにもなりそうですね」


「ちょっ、俺がこんなに虐げられてるのに、お前ら酷くないか!?」



 約一名、白鳥に虐げられて涙目になっている者がいたが皆、特に気にすることなく白鳥の有能さを褒めたたえたのだった。


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