第十二話 「公爵令嬢は餌付けする」
湖の畔で一人になった私は、白鳥に気づいて貰えようにブンブンと手を振ってみる。すると岸から離れた水面に浮かんでいた白鳥がスーッと湖面を滑るように、こちらへ近づいて来た。一定の距離を取りながら、じっと私の顔を見つめる白鳥に笑顔で話しかける。
「貴方……。この間、蛇を撃退してくれた子よね?」
「……」
「あ、私は決して怪しい者では無いのよ?」
「……」
「あの時、助けてくれた貴方に、お礼がしたくて来たの……。これなんだけど……」
小袋を取り出して中身を見せると、白鳥の目の色が変わった。
「!」
「うちの料理人に小鳥のエサが欲しいって言ったら、これを用意してくれたんだけど白鳥でも、お米って食べられるかしら?」
米を軽く一掴みして湖面に撒けば、白鳥は水面に浮いた米をパクパクと食べていく。
「よかった! 白鳥って、お米も食べられるのね!」
湖面に浮いていた米をひとしきり食べ終わったのを見て、私は再び白鳥に話しかける。
「袋から直接の方が食べやすいわよね……。はい、どうぞ……」
口を大きく開けた袋を地面に置けば、白鳥は湖面から陸に上がり、すぐに食いついた。物凄い勢いで小袋の中にある米を食べていく。
「ガッガッガッ」
「良い食べっぷりね……。お腹が空いていたの?」
「ガッガッガッ」
「食欲旺盛ねぇ……」
白鳥の食欲に感心しながら、ふと周囲を見る。たくさんの高い針葉樹の木々に囲まれた、透明度の高い澄んだ水を湛えた湖。
今日のように天気の良い日は、太陽に照らされて水底の白砂や湖の中。泳ぐ魚影まではっきりと見渡せて一際、美しい。湖の場所によっては、まるでサファイアやエメラルド、アクアマリンを溶かしたかのような、えも言えぬ色合いを見せている。
視線を上に向ければ、頭が青く身体は赤茶色や灰緑色のズアオアトリという小鳥や、頭のてっぺんと羽の青色が印象的なアオガラという小鳥たちが、可愛らしい鳴き声でさえずりながら針葉樹の間を飛び交う様子が窺える。
他にも目の周りとクチバシが鮮やかなオレンジに全身が漆黒色のクロウタドリという鳥や、ハイイロガラスが岸辺の浅い場所で水浴びをしたり、湖の水を飲みに来ている姿も見える。
しかし、ほかの白鳥の姿は見当たらない。思えばここに来てから、この子以外、湖で白鳥の姿が全く見えない。
「貴方……。仲間はいないの?」
「ガッガッガッ」
「白鳥って群れで過ごしてる印象があるんだけど……」
「ガッガッガッ」
「この湖で白鳥は一羽だけよね?」
ふむ。と自分の顎に指を当てて考えてみるが、よく分からない。首を傾げていると背後からガサリと音が聞こえ振り向く。そこには私の護衛をつとめるプラチナブロンドの騎士がいた。
「おそらく、迷い鳥なのだろう……」
「ミシェル!? 一体、いつから……?」
「いつからだと? 最初からに決まっているだろう!?」
「!」
片眉を上げて、私を見据えたミシェルは早口に捲し立てる。
「仮にも公爵令嬢ともあろう者が、誰にも知られずに屋敷と湖を移動できると思ったら大間違いだ! 私もセバスティアンも、庭師のラウルだって皆、お前が一人で屋敷を出ている所を目撃している!」
「そ、そうだったの……?」
まんまと単身、屋敷を抜け出せたと思っていたが、大きな間違いだったようだ。唇に手を当て、驚く私に金髪の麗人は呆れ返る。
「まったく……。自分とヴィクトルが深い仲になるのを止めろと言っておきながら、こそこそとヴィクトルに会いに行った上、妙な大男と話をしたり……。一体何が目的かと見ていれば白鳥とは……」
「ごめんなさい……。白鳥に会いに行くって言ったら絶対、止められると思って……」
「当たり前だ! 特にあんな事があった後なのだから、みんな心配するに決まっている!」
「そうよね……。でも、この子は私がケガをした日、助けてくれた子で、どうしてもお礼がしたかったのよ」
「?」
私はミシェルに先日、自分がケガをした時、この白鳥が蛇を退けてくれた事を話した。
「……事情は分かった。こいつは白鳥の中でも、大人しい性格の個体だったのだろう。……エリナは運が良かった。他の白鳥がこんな大人しいとは絶対に思ってはいけないぞ?」
「ええ……。それで、迷い鳥って?」
「普段、群れで集団生活を送ってる筈の白鳥が、一匹しかいないのだから、何らかの理由で群れから、はぐれてしまったんだろう……」
「…………」
「私よりも、この地に長く住んでいる者の方が、白鳥には詳しい筈だ……。屋敷に帰ったら、セバスティアンに聞いてみればいい」
そうこうやりとりをしている間に、白鳥は袋の米を食べ終わり、最後の一粒を啄ばんだ後、名残惜しそうに空の小袋を突っついた。
「ちょっと物足りなかったかしら? ごめんなさいね……。白鳥が、こんなによく食べるなんて、思ってなかったの」
「……」
項垂れる白鳥を見かねて、声をかける。
「また食べ物、持って来るからね?」
「!」
私の言葉が通じたのか、白鳥は頭を上げ、つぶらな瞳を輝かせているように見える。
「じゃあ、またね」
「……」
小袋を回収し、手を振りながら去る私を白鳥はじっと佇んだまま、見送り続けていた。
セバスティアンから、白鳥は獰猛で、危険な鳥だと聞かされていたから、白鳥にエサをあげたいと言えば絶対に止められると思っていたけど、来て正解だった。
白鳥は思いのほか大人しかった。適度に距離を保ちながら、変に刺激しないでエサをあげるだけなら問題無さそうだ。このまま餌付けしていけば、いずれ仲良くなれるかも知れない。鳥を飼うことに憧れていた私は、思わず顔が緩む。一方、ミシェルはやれやれと肩を落としている。
「全く……。こちらの気も知らないで……。今後は絶対、近場でも外に出る時は、必ず私に声をかけてくれ」
「わかったわ……」
屋敷に帰るべく二人で歩いていると不意に湖の方から、けたたましい鳥の鳴き声が聞こえ、辺りに大きく響いた。私はミシェルと顔を見合わせた後、小走りで来た道を引き返し、湖に戻る。
湖に着くとバサバサと大きな羽音と、異変を知らせる鳥の鳴き声が再び聞こた。鳴き声のした方に視線を向ければ片翼を矢で射られ、ぐったりとした白鳥の首を狩人らしき男が掴んでいる。狩人に捕えられた白鳥は、ぎりぎりと首を絞められながら、今まさに息の根を止められようとしていた。