第十話 「公爵令嬢は料理場を訪ねる」
屋敷に戻るとセバスティアンの指示で、医者を連れて来てもらい、急いで診てもらう事となった。幸い、頭など打っておらず、手足の掠り傷と打ち身のみで、全治一週間と診断を受けた。命に別状は無く、結構な高さから斜面を落ちた身としては運が良かった。
しかし、護衛として付いていながら、私の身の安全を守れなかったと言って、ミシェルは自分を責めていた。王都にいる公爵家当主である父に今回の詳細を話して、護衛としての務めを果たせなかった件の罰を受けたいと言い出し私は焦った。
「やはり王都のブランシュフルール公爵に、今回の件をお伝えしようと思う……」
「その必要は無いわ……。私の不注意で起こった事故でも、王都にいるお父様の耳に入ったら……」
当日一緒にいたミシェルが護衛としての責務を果たさなかったと、真っ先に責められかねない。あれは完全に私の落ち度だ。私が勝手に蛇に驚いて、勝手に足を踏み外し、勝手に斜面を落ちたのだ。こんな事でミシェルが咎められるのは理不尽過ぎる。
「今回のエリナの怪我は、私がもっと気を付けていれば防げた事態だ……。このまま何の処罰もなく、今まで通り、のうのうと護衛を続ける事は出来ない……」
「何を言っているのミシェル!? 貴方に非は無いわ!」
「それを言うなら、私にも非がございます……」
「セバスティアン!?」
傍らに控えていた老紳士が、落ち着き払った声で語りだす。
「散歩に裏山を勧めたのは私でございます……。裏山に危険な生き物は居ないと私は断言いたしましたが、エリナお嬢様は蛇に驚かれて足を踏み外したと、お聞きしました」
「そんな事は……」
「いえ、危険の可能性を考慮しなかった、私にも非はございます……」
ミシェルに続いて、セバスティアンまで自分に非があると言い出し困惑してしまう。私としては、こんな事で咎めるつもりは無いというのに。しかし、二人の意思は固そうで私は溜息を吐く。
「……そんなに処罰が必要というなら、まずミシェルには今の護衛に加えて、重要な仕事を追加でして貰うわ」
「!」
重要な仕事と聞いたプラチナブロンドの騎士が何事かと身構え、顔を上げる。私は真っすぐ、彼女を見据えながら告げる。
「ヴィクトルと私が、深い仲にならないように監視する仕事よ!」
「は?」
唖然とするミシェルに私は続ける。
「もし、ヴィクトルと私が、深い仲になりそうだったら、必ず止める! これが今回の処罰!」
「そ、それでは今まで通りで、処罰にならないではないか!?」
「何言ってるの!? もし今回の件がミシェルの不手際だと責められて、私の護衛を解任されたら、一体、誰があのヴィクトルを止められると思ってるの?」
「!?」
「ミシェルが私の傍から居なくなって万が一、私とヴィクトルが深い仲になったら、これはブランシュフルール公爵家にとって由々しき事態よ!」
真剣な表情で語気を強める私に、ミシェルはたじろぐ。
「そ、それは確かにそうだが……」
「それともミシェルは、私とヴィクトルが結婚すれば良いと思ってるの!? そうなれば、ミシェルとヴィクトルは縁戚関係になるのよ!」
「じょ、冗談じゃないっ!」
「そうでしょう? だったら今回の件は、王都のお父様に報告無用! これにて一件落着!」
「はぁ、お前には負けたよ……」
ミシェルがティーカップを掲げ、苦笑してからハーブティーを飲み干すと、セバスティアンが呟く。
「エリナお嬢様……」
「?」
「私めへの処罰は如何致しましょう?」
「…………何で皆、揃いもそろって処罰を受けたがるのよ?」
げんなりする私に老紳士はいつも通りの穏やかな笑みを浮かべる。
「仕事を全う出来なかった、けじめとでも言いましょうか……」
「セバスティアンは全く、悪くないわよ……。あの裏山には、確かに熊も狼も出なかった。毒持ちの危険な生き物もいなかったもの」
「しかし……」
それでも引き下がらないセバスティアンに、私は自分が思う所を語る。
「それに、よくよく思い出せば、裏山で私が見た、暗黄色の蛇はクスシヘビだわ……」
「ああ、クスシヘビでございましたか……」
「ええ。以前、図鑑で読んだ事があったけど、本物の蛇を初めて間近で見たものだから、気が動転して冷静に判断出来なかったのよ……。恥ずかしい……。あの蛇は攻撃的な性格だけど、人間が致命傷を負うほどの殺傷能力は無かったのに」
「…………」
「つまり、勝手に取り乱して、勝手に足を踏み外した私が全面的に悪いのよ」
肩をすくめて苦笑する私を、老紳士は静かに見つめ続ける。
「エリナお嬢様……」
「分かってるわ……。それではセバスティアンの気が済まないって言うんでしょう?」
「はい……」
「それじゃあ、セバスティアンは今後、執事関連の直接の業務は極力、他の召使に任せて、監督、指導に留めるように! これが今回のセバスティアンへの処罰よ」
「それは……」
「セバスティアンが、あの日、私にコートを着て行くよう強く勧めなかったら、私は多分、死んでたわ……。あの白いコートが斜面の樹の枝に引っかかってくれたおかげで、ダメージが緩和されたのよ……。命の恩人に重い処罰を与える事は出来ないわ」
「エリナお嬢様……」
「それに、セバスティアンは自分で動きたいタイプなのでしょうけど、上に立つ者は、下の者を信頼して仕事を任せる事も大事よ」
「……かしこまりました」
うやうやしく一礼する老紳士の姿を見て頷く。セバスティアンには私の元婚約者である、アルヴィン王子に関する情報を集めて貰っている最中。この領地近辺の事にも精通している、セバスティアンを処罰してしまっては、私個人としても困る。
ご老体に鞭打つようで申し訳ないが、セバスティアンにはもう一頑張りして貰わなくてはいけないのだ。
そんな事がありながら数日経って、手足に負っていた掠り傷も癒えた私は、とある目的の為にこっそり料理場を訪ねた。中を覗くと、黒褐色の作業台や木棚の上に美しく磨かれた銅製の寸胴鍋や小鍋、ボウル、計量カップなどが整然と並べられており、元々は真っ白であったであろうが現在は若干、灰色がかった壁面には大小様々な大きさのフライパン等が綺麗に掛けられていた。
出来れば人目につかないで目的の物を手に入れたいと思っていたが、そう都合よくは行かないもので、調理場には料理の下ごしらえ真っ最中の料理人が居て、目があってしまった。
「あ、ヴィクトル……」
「おお、天使! すっかり怪我が治ったようで良かった! 早く天使の傷が治るようにと毎晩、願った俺の祈りが神に通じたに違いない!」
大げさな身振りで、立て板に水の如く語り出す赤毛の料理人に、私は苦笑する。
「そ、そうなの? ありがとう」
「こんな所まで天使が俺に会う為、人目を避けて来てくれるとは嬉しいぜ!」
「あ、違うのよ」
「?」
首を傾げるヴィクトルに、何と言うべきか少し思案した私は少し、躊躇しながら要望を伝える。
「その……。小鳥にエサをあげたくて……」
「え?」
「毎朝、窓の外から、綺麗な囀りで私を起こしてくれる可愛らしい小鳥がいて……」
「あー。つまり鳥のエサを探しに料理場を訪ねた……。と」
「そ、そうなの。……ちょっと小鳥のエサになりそうな食べ物を、分けて貰えないかしら?」
申し訳なさそうにヴィクトルの顔を覗き込むと、料理人は何とも言えない微妙な表情をしている。
「…………」
「……ダメかしら?」
「まさか! 俺が天使の頼みを断るなんて、ありえないさ!」
私が小首を傾げているとヴィクトルは、ガサゴソと調理場の白磁壺の蓋を開け、中からザッと米を取り出して小袋に入れると、ウインクして私にその袋を手渡してくれた。
「こんなに貰って大丈夫かしら?」
「いや、パエリア用に余分に用意しておいた分だし、元々、天使の家の食料なんだから、俺が天使に渡しても何も問題ない筈さ……。ただ、どうしても俺に、お礼をしたいって言うなら今度、デートでも……」
「ありがとう! ヴィクトル!」
「…………」
目的の物である、鳥のエサを手に入れた私は料理人の言葉を遮って、足早に調理場を後にした。