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第一話 「公爵令嬢は平穏に暮らしたい」

 私には、前世の記憶がある。前世ではとある国の姫だった。実り豊かな土地と温暖な気候に恵まれた国。私はその国の城で暮らしていた。ところがある時、何の前触れもなく隣国が戦を仕掛けてきた。


 敵国の兵が城内まで攻め込み、私を守る近衛兵たちが善戦するも多勢に無勢で一人、また一人と倒れていく。私をかばった侍女が敵兵に切り伏せられ、最後の一人となった近衛が倒れ、私は敵兵の手にかかって殺される。


 前世の記憶はおぼろげだけど、最後の殺される瞬間だけは嫌になるくらい鮮明だ。今でも夢に見ては夜中に飛び起きてしまう程。もう、あんな絶望や恐怖はたくさんだ。私は平穏な一生を送りたい。




「そう思っていたのに、まさか公爵令嬢として生まれてしまうなんて……」


 そう、今の名前はエリナ・アンジェリーヌ・ド・ブランシュフルール。公爵家の令嬢である。何の因果か上級貴族として生まれ変わってしまった。前世では国の戦争に巻き込まれて殺されているだけに出来れば国に対する、しがらみが薄い身分に生まれ変わりたかったのだけど悔やんだ所で仕方がない。



 公爵家といえば広大な領地から徴収される税収に加えて、それなりにまとまった額のお金が毎年、国から支給されるので公爵令嬢ともなれば高級なドレスと宝飾品で着飾り、昼はお茶会、夜はパーティへと繰り出す生活を送っているのが一般的なイメージだ。


 しかし、私が生を受けたファムカという国のブランシュフルール公爵家は、祖父が友人の事業の連帯保証人となった結果、その友人が事業に失敗。莫大な借金を祖父が肩代わりする羽目になった。というか詐欺に遭ったも同然にブランシュフルール公爵家の財産と所有していた土地は、ほとんど取られてしまった。


 祖父の代だけでは返しきれなかった借金は、現在も返済中である。そんな訳で公爵家とは名ばかり。出費は必要最低限にしつつ、我がブランシュフルール公爵家は節約生活を送っているのである。

 


 邸宅は長年使われてる為、痛みも激しい。しかし大規模改修するお金もないので、最低限の見栄えだけは取り繕いつつ。両親や弟と共に、質素倹約を旨として慎ましやかに暮らしている。


 ブランシュフルール公爵家は祖父の代で大部分の財産を失ったが、北の国境沿いにある領地は残された為、かろうじて没落貴族となる憂き目は避けられた。とはいえ多くの貴族令嬢のように煌びやかで値の張る、流行のドレスやアクセサリーを購入するほどの余裕は無い。



「私が平民なら働くという選択肢もあっただろうけど……」


 仮にも現在、学園に通っている公爵令嬢という身分では働くことも出来ない。よって今の所、実家に負担をかけているだけの存在だけど、いつの日か育てて貰った恩を返したいと思っている。


 学園を卒業しさえすれば、幼い貴族令嬢の家庭教師などしてお金を稼ぐことも可能なはず……。もしくは、良いタイミングで募集があれば王宮で侍女として働くことが出来るかも知れない。


 幸い、長い倹約生活のおかげで、間もなく借金を完済出来ると公爵家当主である父上から聞いているし。これからは、きっと良いことがあるに違いない。



 そんなブランシュフルール公爵家に生まれた、私の趣味は読書。とは言っても本は大変高価な物。前世で姫だった頃は気にしていなかったが、長期保存を前提に作られた本の場合、劣化しにくい紙である羊皮紙を作るのに手間がかかる上、すべて手書きである事などから、本というものは一冊で家が購入できてしまうほど高価な物だ。


 没落の手前で細々と暮らしている名ばかりの公爵令嬢には、とてもじゃないが手が届くものでは無い。しかし、この国は過去、熱心に本を収集した王侯貴族がいたおかげで王立図書館がある。


 しかも他国から視察団が訪れるほど希少価値の高い写本が数多くあり、充実した蔵書数を誇る立派な図書館。おまけに建物にはジャルダン伯爵という、庭園に造詣が深い人物が監修した噴水庭園まである。その王立図書館に、貴族か研究者であるなら自由に入館できる。



「つまり名ばかりでも、れっきとした貴族である私は堂々と自由にファムカ王立図書館を利用できるのよね!」


 王立図書館内にある本はすべて羊皮紙製。どれも非常に高価な物。本の窃盗や紛失を防ぐ為、王立図書館内の本を館外に持ち出すことは厳禁。


 しかし、司書に申請して許可が下りれば、一度に一冊ずつ、図書館内の閲覧室で本を読むことが出来る。私は貴族である利点を最大限に生かすべく、連日のように図書館に通った。



「前世では他国の事をよく知らず、無知なまま暮らしていた末、隣国の状況すら把握できていないまま攻め込まれ、殺害された……。あの苦い経験を教訓として、今生では出来るだけ色んな知識を蓄えておかないと……」


 平穏な人生を目指すにあたって、何が役立つか分からない。私は動植物の図鑑や世界各国の文化、産業、農作物、特産品、料理、神話や宗教関連の本まで片っ端から読み漁った。


 ただ、いまだに前世の最後。殺害される時の記憶を思い出すのは辛いので王族関連の詳細なことは、あまり調べる気にはなれず、最低限の情報のみを頭に入れる事にした。




 学園で級友たちがガールズトークに花を咲かせ「近隣諸国で一番、素敵な王子は……」「私は第二王子のファンで……」とか、王族の話題をしていたら適当に相槌を打ちながら、窓の外で小鳥たちが戯れるのを眺める。


 どうせ貧乏令嬢である私に、王子様など関係ない。だいたい平穏に暮らすことが目的なのだから、どんな素敵な王子様だろうが、むしろ接点が無くて万々歳だ。




 こんな感じで学園生活を送りつつ連日、王立図書館に通い詰める内に、図書館の司書さん達とも、すっかり顔見知りになった。


 仮にも公爵令嬢といういう身分でありながら、連日熱心に蔵書を読み続けている為、司書からファムカ国で一番読書家の貴族令嬢だと、他国から視察に来た役人に冗談めかして紹介された事がある位だ。図書館常連の貴族令嬢というのは、やはり珍しいのだろうなと苦笑しながら応対したものだ。



 そんな平穏で何でもないような生活を送っていた時、ファムカ王宮から我がブランシュフルール公爵家に早馬で書状が届いた。いったい何事かと気になった私は父に尋ねる。



「お父様……。王宮からの書状には、何が書かれてましたの?」


「エリナ……。お前に縁談の話だ」


「え、私!?」


 まさか王宮から、自分に縁談話が来るとは思っていなかった私は驚愕した。



「あの……。お相手は?」


「グルーテンドルスト国の第三王子、アルヴィン王子だ」


「……」


 私は全身の血の気が引いた。あれほど今生では関わりあいたくないと思っていた、王族から縁談話が来るとは目の前が真っ暗になる思いだった。



「エリナ、顔色が悪いぞ。大丈夫か?」


「お、驚いてしまって……。それにしても何故、私にグルーテンドルスト国の王子との縁談が?」


「以前、グルーテンドルスト国の役人が、我が国を訪れた時に、お前と言葉を交わしたそうじゃないか」


「!?」


「王宮からの書状に、そう書かれているのだが覚えは無いか?」


「確かに以前、王立図書館に視察へ来た他国の方と、言葉を交わした覚えはありますけど……」



 私が閲覧室で本を読んでいる時に、視察で来たという他国の役人を伴った図書館の司書がやってきて


「ここの蔵書を、この国で最も多く読破されている公爵令嬢ですよ」


 などと笑いながら、冗談半分に私の事を説明したのだ。質問されるまま、今まで私が読んだ本の話を軽くした覚えは確かにある……。


 そして、その役人の国で羊皮紙並みに耐久性があって、ほとんど経年劣化しない画期的な製紙技術を開発中だと話を聞いたので


「それが流通すれば、誰もが本を読んだり出来ますわね」


 とか言った覚えがある……。事実、羊皮紙製の本以外で安価かつ、長期保存が可能な紙が流通しさえすれば、私のように高価な本が購入出来ない層でも、もっと気軽に本を買えるようになるからだ。私が以前のやり取りを回想していると父上は書状を見ながら呟く。



「その者から、グルーテンドルスト国王の耳にお前の事が伝わったそうだ」


「え」


「ファムカ国の王立図書館に毎日のように通い、蔵書を読み解き、あらゆる分野の知識に精通している、大変な才女がいると……」


「えええ!」



 私が図書館に通っているのは、家が貧乏で本が買えないからというのが理由だし、別に大変な才女という訳ではない。本を読んでいるだけだ。私は内心、役人に対して呪詛を吐かずにいられない心境だった。


「あの役人……。グルーテンドルスト国王に視察先を報告する際、興味をひくため相当、話を盛ったに違いないわ……。余計なことを……。こんな事態になると分かっていれば会話をしないで逃げたのに……」


 平穏に生きる知識を得る為に、王立図書館に通い詰めた結果、王族から縁談が来るなど夢にも思ってなかったのだから。私は愕然とした。そんな私の胸中を知らない父は、さらに王宮からの書状に目を通す。



「何でも、今回の婚姻をきっかけに友好国として、我がファムカ国の主要農作物である、小麦、とうもろこし、果物、オリーブ、ぶどう酒、綿花の一部をグルーテンドルスト国へ優先的に輸出する事が決まっているそうだ」


「農作物……」


「グルーテンドルスト国側からは近年、市場で高騰しているガラス製品をはじめ、大豆、砂糖、香辛料などをファムカ国へ輸出することが決定しているそうだ」


「……」



 グルーテンドルスト国側は力を入れている国内産業に必要な農作物を、我がファムカ国から独占的に輸入する為、より強い友好関係を築きたい。


 我が国も友好関係を築くのは大歓迎で、ファムカ国内の市場では過剰気味の農作物を高値で買ってくれるグルーテンドルスト国側とは長く友好関係でありたい。ならば両国で年頃の王侯貴族を結婚させておけば友好関係がより盤石。


 グルーテンドルスト国側が王子と、この私エリナ・アンジェリーヌ・ド・ブランシュフルール公爵令嬢との婚姻を望んだ事は我がファムカ国にとって渡りに船だったようだ。


 しかし……。私にとって王族になるなど、トラウマそのもの……。王子に嫁ぐなど、考えただけで立ちくらみを起こしそうになる。



「お父様……。大変申し訳ないのですが、お断りする事は出来ないでしょうか……?」


「エリナ、突然の縁談話で不安なのは分かるが……。今回の話は、すでに私の一存ではどうにもならない」


「そんな……」


「これは国家間の政略結婚だ。貴族として生まれたからには、家の為、国の為となる者と、婚姻を結ぶ事が避けられない責務である事はお前も重々、承知しているだろう」


「…………」


「それに我が公爵家に唯一残された、北の領地がどの国に隣しているか考えれば……」


「あ……」


 我が公爵家に唯一残された北の領地は、大きな湖を挟んでいる物の、グルーテンドルストの国境に近い。仮に今回、私が無理に婚姻話を蹴った事で、かの国の怒りを買う原因となり、国境から侵攻される事態にでもなれば、真っ先に戦場となり、グルーテンドルスト国に切り取られるのは我がブランシュフルール公爵家の領地である。



「ちょうど、お前が生まれた頃から戦争は起こらず平和だが、どんな切っ掛けで戦争の火種が燃え上がるか分からない。突然の話で戸惑うのは分かるが、近隣諸国と友好な関係を築く為にも、今回の縁談話は運命だと思って受け入れなさい」


「…………」


 そう。私がどれだけ嫌がった所で、これは国家間の政略結婚。持ち上がった縁談話を、名ばかりの貧乏公爵家の令嬢が断るのはまず不可能。私はガックリと肩を落として項垂れた。




 その後、公爵家当主である父が速やかに、グルーテンドルスト国の王子との縁談を謹んで、お受けする旨を我が国の王に伝えた。


 一方、私は縁談の話が来て以来、憂鬱な毎日を送っていた。基本的に貴族の結婚は親が決める。私の父は質素倹約が旨だから、娘の結婚相手としては、そこそこ安定収入が望めて、地味だけど堅実な男性を選ぶと思っていたし、私としても今生では平穏な人生を送りたいと願っていた。


 それなのに、またもや王族になるなんて悪夢でしかなかった。



「せめて私と結婚する予定の第三王子、アルヴィン様とやらが良い人だといいのだけど……」


 そんな事をぼんやりと考えながら、学園での授業を終えた。ほぼ日課となっている図書館に寄ろうか思案していると後ろから声をかけられた。


「姉さん!」


「あら、ルーベル……」


 蜂蜜色の髪を揺らしながら、嬉しそうに駆け寄る弟に手を繋がれ、今日はそのまま帰宅することにした。ルーベルは貧しい我が家に不平不満を言うこともない、利発で姉思いの弟だ。可愛いルーベルの為にも、私はしっかりしないといけない。



 殺風景な自宅の庭園を横目に帰宅し、玄関の扉を開けた途端、私と弟は我が目を疑った。我が邸宅のエントランスに、大小様々なサイズをした複数の木箱が積み上げられていたからだ。


「うわぁ……!」


「こ、これは一体何事ですの!?」


「エリナ、お帰りなさい。ちょうど良かったわ……!」


 大量の荷物に気押され気味な母上は、私が帰宅したのを確認して、ほっと胸を撫で下ろしている。一方、私は困惑するばかりだ。


「お母様、お父様、これは一体……?」


「これは全部、お前宛ての物だぞ」


「は?」


 唖然とする私に父は続ける。


「先程、グルーテンドルスト国の使いの者たちが訪ねてきて、置いていったんだ……」


「グルーテンドルスト国……」


「婚約が成立した祝いの品だそうだ。アルヴィン殿下から、お前への書状も預かっている」


 父から書状の入った筒を受け取る。グルーテンドルスト王家のシーリングスタンプが施された封蝋を開けると、中には私がこれまで見たことが無い、丈夫できめ細やかな純白の上質紙が入っていた。


 書状には美麗な文字で、今回の婚約を喜ばしく思う旨が、簡潔にしたためられていて、婚約の祝いも兼ねてグルーテンドルスト国で独自開発された品を贈ると書かれていた。その書状を覗き込んだ弟が感嘆の声を上げる。



「うわ~。綺麗な文字だね~! アルヴィン王子が自ら書いたのかな? それとも、やっぱり書記官みたいな人が代筆したのかな?」


「…………」


 蒼い目を輝かせながら書状を覗き込んだ弟が美麗な文字を見て、しきりに感心している。当の私は突然の事に若干、放心状態となり言葉も出なかった。


 まさか会ったこともない相手から婚約祝いで、こんな大量の荷物が送られてくるなんて夢にも思っていなかったからだ。



「姉さん! 箱の中、見ていい?」


「ええ……」


 弟が箱を開けると、赤や青のコントラストが鮮やかな色被せガラスのグラスセット、美しい絵付けが施されたガラス花瓶、植物文様が刻まれたクリスタッロ製法ガラスの大皿、優美なフォルムに濃紺のグラデーションが印象的な吹きガラス製ランプ。


 薔薇の銀細工に縁どられた姿見鏡。さらに、大きな箱の中から現れたのは、ひときわ見事な輝きをはなつ、豪奢なクリスタルガラスのシャンデリアだった。


「すごい……!」


「あわわわわ……。こ、こんな高価な……! ああっ……」


「!?」


「お母さま!?」


「母上っ!?」


 次々出てくる豪華な贈り物の数々に母は驚きのあまり、白目をむいて倒れてしまった。長い倹約生活で豪華な品々に縁が薄い生活をしていた為、高価な贈り物の山を前に気が遠くなってしまったようだ。どうやら命に別状は無さそうなので、母をソファに寝かせて再び贈り物を検分する。


「姉さん、すごいね! 僕、こんな透明なガラス初めて見るよ!」


「ええ……」


 弟が興奮するのも、尤もだ。ガラス製品はただでさえ貴重で高価。その中でも、美しい無色透明なガラスを作る技術はつい最近、開発されたばかりの為、かなり希少品だ。


 各国の貴族は美しい絵付けが施された、高級ガラス製品を持つのが一種のステータスになっている。市場では美術的価値の高いガラス製品が、とんでもない高額で取引されていると聞く。


 そして、目の前にあるガラス製品は美術品としても一級品。一体どれだけの価値があるのか考えるのも恐ろしかった。弟はそれを知ってか、知らずか高価なガラス製品の数々を手に取り、大はしゃぎしている。


「特に、このシャンデリア! 本当にクリスタルみたいだね!」


「…………」


 グルーテンドルスト国で近年開発されたという、透き通るような透明のガラス。水晶の如き輝きを放つ事から、クリスタルガラスと名付けられたそうだ。熟練の職人の手によるカッティング技術によって生み出された一級品の数々を前に、私は言葉を失った。


「父上、このシャンデリア、客間に? それともダイニングに?」


「いや」


「姉さんへの贈り物だから、姉さんの部屋に飾るの?」


「このシャンデリアは、一先ずしまっておこう」


「え~! せっかく貰ったんだから飾ればいいのに~!」


 不満を訴えるルーベルに、父は眉根を寄せながら答える。


「お前……。この老朽化した邸宅の天井が、この大きなシャンデリアの重量に耐え切れなかったら、どうなると思う?」


「……あ」


 仮にダイニングあたりに飾って、食事中に天井からシャンデリアが落下して来たら、色んな意味で大参事である。私と同じことを想像したであろう弟は言葉を失った。


「この屋敷の痛みが激しいのは仕方ないが、それを理由に隣国の王家から頂いたばかりの贈り物を破損させてしまう訳にはいかない」


「う……」


「それに、こんな豪奢なシャンデリアをエントランスのような人目のつく場所に飾って、強盗にでも狙われたら目も当てられない……」


「うう……」


「エリナもそれで良いか?」


「私は構いませんわ……」


 結局、破損させる恐れがあるという理由でシャンデリアをはじめ、グラスセットや大皿も仕舞い込まれる事となり、弟はとても残念そうにしていた。


「エリナ、王子殿下へお礼の手紙を書いておくんだぞ」


「はい……」


 私は王子からの書状を持って階段をあがり、自室に入った。深く溜息を吐いて椅子に掛ける。改めてアルヴィン王子からの書状を見るが、純白色をした紙の丈夫さと繊維の細やかさに改めて驚く。


 今まで私が目にしてきた植物性の紙は、粗い繊維質が残った物だった。王子の書状は、一般に流通している紙とは明らかに違う高級感がある。


 よく見れば書状の紙には王冠と盾をモチーフにした、グルーテンドルスト王家紋章の透かしまで入っていた。自国の工房で、王家の指示により作られた証だ。


「羊皮紙に劣らない耐久性を持つ、植物原料の紙を開発中と聞いていたけど、本当だったのね……」



 書状の文字を眺め、改めて思う。文字が美麗過ぎる……。そして行間が寸分の狂いも無い。文字を書くのを生業とする、書記官が書いたのではないかと弟が疑問を持ったのは尤もだ。


 いや、仮にも婚姻を結ぶ相手へ初めて送る書状を、書記官に代筆させるとは思えない。……というか思いたくない。


 もし、この書状がアルヴィン王子直筆で無いなら、仮にも婚約者でありながら直筆の書状すらしたためて貰えない私は、あまりにも哀れで惨めなのではなかろうか。それとも所詮は政略結婚の相手だと、最初から気にかけるつもりは無いのだろうか……。


 いや、勝手に悪い方向に考えるのは良くない。気にかけるつもりがないのなら、そもそも、あのような豪華な硝子細工の品々を婚約祝いとして、贈る気遣いはしないだろう。きっと王子殿下は美麗な文字で書状をしたためる事が出来る方に違いない……。



「とにかく、お礼の手紙を書かないと……」


 私は目の前の窓を開けて換気し、机の引き出しから紙と羽ペンを取り出す。そしてインクを作るべく鉄の溶液が入った小瓶と、没食子酸の溶液が入った小瓶を取り出し、中の溶液を別の容器に入れた。


 鉄の溶液と没食子酸の溶液の蓋を開けたおかげで、鉄臭さとツンとした独特の匂いが少し鼻につくが、気にせずに容器を揺らし、混ぜ合わせていくと黒褐色をした没食子インクが出来た。



 ふと王子の書状と、自分が作った没食子インクを見比べて気づく。王子の書状に使用されているインクは驚くほど鮮やかで濃い漆黒だ。没食子インクでは、このように見事な黒色を作ることは出来ない。


 一般的には私が、たった今作った没食子インクが最も世間で流通している筈だが、あの国では最新の製紙技術があるだけにインクも、より濃くて良質な物を開発したのだろうか……。


 疑問は尽きないが羽ペンを手に取り、ペン先に没食子インクをつけて王子への返礼の手紙を書く。いずれ近い内に直接、アルヴィン王子に会う機会もあるはず。その時にでも書状に使用された、漆黒のインクについて尋ねよう。そう思いながら手紙をしたため、グルーテンドルスト国へ送った。

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