携帯電話と手
自転車に跨がり、二度目の坂道。
今度は無事に最後まで足を付かず、乗り切る。
涌き水場の近くの木陰に自転車を停める。
カゴからボストンバッグを引っ張り、山の入口を見る。
このまま、引き換えしても一向に構わない。あれを掘り返すのは、パンドラの箱を開けるのと同じだ。
覚悟を決めるしかない。
息を吸ってー。吐いてー。
「すー、はー」
大丈夫だ。あまり怖くない。
嫌な予感しかしないが、なんとかなる気がする。
山の中へと足を踏み入れる。
今日二度目のこの山は一度目より涼しい。そよ風が木々を縫って、肌を撫でていく。
落ち葉や小枝を踏み鳴らし、歩みを進める。
秘密基地を作る、あの場所はあっさりと到着することが出来る。
もうすぐだ。この小道を抜けて、ポッカリと切り取られた空間が広がる。
木々から伸びた小枝がどうしてもどこかに生傷を付けてしまう。小道を抜け、高く伸びた草を払えばいつものあの場所。木々に閉じられたあの空間。
狭いが息苦しさは感じない。むしろ、生命の息吹を纏い、エネルギーがわいてくるような気持ちにさえなる。
ボストンバッグを地面に置き、シャベルを取り出す。
携帯電話を吸い込んだ場所へ近づく。先刻に来たときに、地の上をあらかた払ったため、剥き出しの細く深い穴が口を開けて出迎えていた。
いきなり穴をほじくり返すのは躊躇われた。まずは、もう一度手を。一旦シャベルを脇に放る。
肩までTシャツを捲くる。心を落ち着かせる。
何事もなければそれでいいじゃないか。だけど直感が告げる。
何かが起こるに決まっている。真佐美や勝人、そして和博に僕の携帯電話からメールを送れるのはダレだ。無言電話が出来るのはダレだ。
たまたまここに来た誰かが、たまたま拾ったのならば納得ができる。残念ながら、こんな人目の付かない場所に落ちている携帯電話を発見するという可能性は低い。
どちらにせよ、自分自身に説明するにはこの穴の正体を暴くしかない。
ゆっくりと手を伸ばす。手を伸ばす。
伸ばして。
伸ばして。
伸ばして。
捕まれるのだ。
人の手に。
震えが止まらない。冷たい手の平の感触、腕を伝わり、頭まで支配されて行くようだ。
僕は叫ぶしかなかった。この穴にむけて、あらんかぎりで問う。
「おまえは誰だ!」
冷たい手の平の感触が無くなる。助かった。助かったけれど何も解決していないと気づく。
穴のなかを覗き込む。何も見えない。ギリギリまで穴に顔を寄せる。
「おい。誰かそこにいるのか!」
すると、僕の顔に直進に飛んでくる物体。僕の反射神経では反応出来ずに、見事なクリーンヒットをする。
無様に尻餅をつき、当たったオデコを摩る。
薄汚れてしまっているが、僕の携帯電話が直撃したようだ。
僕の携帯電話は無事に見つかった。
しかし、開いたままの携帯の画面にはこう書かれていた。
ーあなたは誰ですか。
こっちが聞きたい。君は誰なんだ。
もう一度手を穴に突っ込む。今度は強く握られることはなく、驚くことはなかった。
穴の中に声を響かせる。
「君は誰だ」
返事はない。喋れないのだろうか。
何かの私情により、声をだせない状況なのだろう。
考えた末に、しぶしぶ携帯電話をもう一度穴の中に落とす。
10分は待たされただろうか。穴の中に手を入れても反応がなく、携帯電話の安否が心配になったが、無事に穴から携帯電話が飛び出す。
ー教えることはございません。
ふざけている。なんでこれだけの情報しか綴らないのか。
もう一度、声をかける。
「君は、そのまま死んでしまうよ」
率直に尋ねる。普通に考えて地中に埋まった人間が無事なはずがないのである。
そして携帯電話を、再度穴の中に。
またもや、待たされる。
穴から携帯電話が吐き出される。
ー私の脈を計ってみてください。
嫌な予感がする。無理矢理嫌な物を飲み込まされる、そんな感覚。
手を何度目かの穴の中に。
ゆっくりと冷たい手が僕の手に絡む。穴の中は視界は暗く、様子を伺うことは出来ない。
けれども、脈を計ることぐらいは出来る。出来るけどやりたくない。
ほら。やっぱり。
血はながれず、僕には全く刺激が送られない。
僕だけの心臓の音が寂しく響く。
受け入れなければならない。
これは亡霊か幽霊か、いずれにせよ、この世のものではないらしい。
よく、考えろ。ここで秘密基地を作る。
このままでは、落ち着かない。この穴がある限り。
こんなのがひっそりと存在してるとなれば、喜ぶ奴は和博ぐらいだ。
明日、みんなを集めて会議をするしかない。
真佐美は和博を、秘密基地作りに参加させることは出来たのだろうか?