自信を持って
陛下のお子達が学校から帰るまでを見守ったあと、近衛はアルバ様への報告を日報帳にまとめて提出する。
勤務記録をつけることで何かあった場合には見返せるし、休暇時の引き継ぎも出来るようになっているそうだ。
練兵場には近衛隊の詰め所があるが、アルバ様は本日分の書類を棚に納めている。
俺が提出した日報も速読で読み切ると、閉じて一つ頷いた。
「貴族関連の管轄はラフィネルだから、スランシュベルク侯爵令嬢の行動は報告にあげておく。
エリクセル、お前も今日一日ご苦労だった。上がって良い」
「あの、アルバ様。お咎めなどは」
「……? 咎めるような内容があったのか?」
チュルカ様のクッキーを受け取ったことは叱られると覚悟していたから、まさかの何もなしに息を呑む。
黒髪黒目の近衛兵長は小さく笑うと、俺の肩を叩いた。
「王城勤めの近衛ともなれば、貴族子女だけでなく一般の女性であっても狙っている。
女学生からすれば、勤務中の騎士がよく見えて恋心を抱くこともあるだろう。
近づかれることも、たまにあるから気にしなくて良い。
それ以上構われるような事態に発展すれば問題だし、居づらいなら配置転換もするが……そこまでか」
「いえ、そのようなことは」
チュルカ様の婚約者として知られたことで注目を浴びたことはあっても、それ以上のことはなかった。
近衛の役割をわかっているから姫君たちも特段構ったりはしなかったし、授業の気を散らしたりもしなかった。
「娘たちはお前にそばにいて欲しいからこそ、特別扱いは控えたはずだ。
チュルカが泣きながら帰って来たなら一言でも言うが……お前は自分にできることをした。
正しい判断だったと、ボクなら胸を張る。自分の判断に自信を持て」
不安も何もかも晴れる言葉に、頷く他ない。
アルバ様の力強い励ましを反芻していると、ため息を吐いた彼が天井を見上げた。
「どうせ聞いているだろう、ティフォルナ。安心していい、エリクセルの近衛としての配置に何もありはしない。
お前たちが楽しみにしている修学旅行も、このまま何もないなら連れて行って良い。チュルカを大人しくさせるのに、交渉したはずだ」
(……何もないところに話しかけておられるのを、突っ込んで話を聞いても良いのだろうか)
目を瞬いていると、アルバ様が俺を見た。
「学校で、二月後に修学旅行があるんだ。
例年国内旅行と決まっているが、今年はサイルアに行くらしい」
「サイルア、ですか……エルタニアの東部に位置する、自然豊かな島だと聞いています。
父上も遊びに行ったことがあると、自慢されたこともあったかと」
「そうだ。初等舎から中等舎に上がるときに、あくまで勉学の一環として、子どもたちだけではなかなか行けない場所へ、学校が旅行に連れていく。
ヨアとシェレイアの時も近衛がついていったのを見ているからな……うちの娘たちには企み事があるんだ」
「……企み事?」
何やら恐ろしい話になってきたが、アルバ様は肩をすくめた。
「大した話ではない。
……一緒に旅行に行きたいだけだ」
あ。
なるほど、近衛の勤務にも休暇はある。
サイルアまでは道のりも遠いと聞いていたし、休暇日にならチュルカ様たちも旅先で、遠慮なく俺に声をかけられるのか。
「エリクセル」
「はい」
「お前を信頼している」
低い声が響いて、胸の奥まで届いた気がした。
多くを語らずとも、その信頼は深く重いものだ。
ありとあらゆる意味がこもった言葉だと理解して、胸に手を当てた。
「信頼にお応えします」
「良い返事だ。……ほら、勤務初日で疲れただろう。
今日は体を休めることが訓練だ。質問がなければ戻れ」
アルバ様に胸に手を当てて挨拶すると、近衛の詰所を後にした。
練兵場から王城につながる廊下を歩く。
柱の影ではそわそわした婚約者が、肩を落とす妹と二人で待っている。
「どうしよう、どうしようティーちゃん。
父様、反対に『何かあったら文句は言わせない』って言いたいんだよね?
これって私にも釘刺したってことだよね?!」
「多分、そういうことよ。
……全く、父様ったら鋭いわよね。私たちも話題に出さずに隠していたつもりだったのに」
「修学旅行のお話ですか」
「正解。恋に憧れる子女の定番でしょ?
修学旅行で、好きな人とちょっとだけ二人きりになりたい。
自然豊かなサイルアを、星を見ながら一緒に歩きたい……なんて、単純なお話よ」
「単純って言わないでよティーちゃん。そのために頑張ってるんだよ?」
「ただの近衛としてえっちゃんを扱わなかったら、修学旅行になんて一緒に行けるはずないものね」
今日も出かけるまではバタバタしていたが、学校ではただの近衛として努めて扱ったのはそのためか。
アルバ様も察している通り、旅行という大局を見た結果、手作りクッキーをすぐに渡したい気持ちも彼女は堪えていた。
……俺も学校には行ったことがないから、あんなに大勢の学生が入り混じる場所を知らなかった。
ずっと思っていたことがあったから、チュルカ様に声をかける。
「もう近衛の勤務は終わったので、ただのエリクセルとしてよろしいでしょうか」
顔を上げたチュルカ様が、俺に目を向けた。
「チュルカ様のクッキーも嬉しかったですし、俺も一緒に修学旅行に行けるのを楽しみにしています」
素直な気持ちをお伝えすると、チュルカ様は首を縦に必死に動かした。
――廊下では今日あったことを話しながら、学校のこともお二人に伺った。
国王専属医の先生のもとへ勉強に行く彼女たちを見送った後は、夕食の時間までと決めて、俺も自室で体を休めた。
(……だめだ、横になっただけで眠くなってきた……アルバ様の言っていた通り、疲れていたのだろうな……やはりムルカナの英傑だけ、ある……)
やがて、控えめに扉を叩く音が聞こえた。
重い瞼を開けると周囲が暗くなっていることに気づいたから、慌てて鍵を開けに走る。
廊下では勉強を終えたチュルカ様が、不安そうにシャツの胸元を握っていた。
「えっちゃん、起こしてごめんね。晩御飯、どうかな?
疲れてるならお部屋に持ってくるよ。……ぼうっとしてる……大丈夫?」
「すみません、ご心配おかけしました。
気候が良いので、ついうとうとして、眠ってしまいました……起こしていただいてありがとうございます」
「食堂に行くなら、一度鏡を見た方がいいかもしれないわ。
目立ちにくいけれど、後ろ髪が跳ねているもの」
一緒に迎えにきてくれたティフォルナ様が後頭部を示したから、急いで金の髪を隠した。確かに寝癖の感触がある。
「ご指摘、痛み入ります……身支度を整えますから、チュルカ様とティフォルナ様は先に行っていてください」
「ううん、ここで待つよ。ティーちゃんとお話ししてる」
「母様はお休み前で忙しいはずだから、えっちゃんより早いということはあり得ないわ。
だから気兼ねなく、お直ししてきてちょうだい」
優しい双子姉妹の気遣いを受けて、俺も身支度を整えた。
終えれば部屋を出たが……歩き出しても、まだ眠い。
「……」
寝起きのせいか本調子ではないのも、やはり妖精兵に比べると体力が足りないせいだろう。こればかりは俺の鍛え方不足だ。
あくびが出そうなのを静かに耐えていると、ティフォルナ様が笑いながら俺を見上げた。
「眠そうね。疲れた時はあまり無理しないほうがいいわ。
妖精には妖精風邪っていう、妖精の子供や人間にもかかる超強力な風邪があるのよ」
「父様とシャーちゃんも初めてかかった時は辛かったんだって。
体が変だと思ったらすぐに言ってね、責任を持って私が治療するからねっ」
「妖精風邪ですか……噂だけ聞いています。
妖精の子供しかかからないということは、お二人はもう終わらせたのでしょうか。平気だったのですか」
「当然」
「「辛かった」わよ」
思わず声が揃うくらい、大変な病気だったのだと察した。
――楽しく話をしているうちに食堂についたため、チュルカ様の隣の席に座り、陛下のご一家と共に食事をした。
ラフィネル陛下も遅れてやってきたが、最奥の席に座ると、器に注がれた水を口にしながら俺を見つめた。
「ふふ、エリクセル殿下が今日は大活躍だったと聞いたぞ。
チュルカが皆の前でクッキーを渡したそうだな」
「うん。アイリースに先を越されそうだったんだけど、えっちゃんが私のところに真っ先に来てくれたんだよ。
えへへ……えっちゃんかっこよかったし、手作りのお菓子も食べてもらえて、すごく嬉しかった……っ」
「あ、それ俺も聞いた。
……なーなーエリクセル、聞きたいことがあるんだけど」
「はい。なんでしょうか、エイル様」
「チュルカ姉様とは小さい時と、パルムクル王国に遊びに行った時の二回しか会ってないんだろ?
なんで姉様のことそんな『好き』って言えるの? 気遣ってるだけ?」
食堂が一気にシンとした。
女性陣が空色の瞳を丸くし、エイル様を見ている。
しかし首を傾げた弟君は、真正面から俺に向き合っている。
「姉様は一緒に過ごした時に好きになって、ずっと追いかけてた相手だからってことは分かる。
でもエリクセルは婚約者がチュルカ姉様に決まって、戻ってくる約束をしても置いて行けた。手紙も一時期、来なかった。
復縁したのは分かるけど、エリクセルが姉様を好きになった理由って、何?」
声音は疑問に満ちている。
陛下譲りの空色の瞳が不思議そうに瞬くのは、純粋な興味のためだ。
しかし周囲は繊細な話題だとわかっているから慌てふためき、クラエッタ様までもエイル様の首に腕を絡めて締め上げた。
妹に組みつかれてもエイル様は意にも介さず、褐色の細腕を外しながら首を傾げた。
「近衛が姉様のクッキーを受け取った話は、学校中に噂として流れたんだ。
けどさ。『えっちゃんなんでそこまで姉様のこと好きなんだろう』とか、クラエッタもエルテも本人に聞けばいいのに、聞けないって言うし。
俺も「どうやって遠距離で王子を射止めたと思う?」とか代わりに聞かれても分からない。
だから直接聞くよ。なんで?」
「はっ、はいはーいっ、エルテがエイルに聞きました!
えっちゃんにお話し聴きたい! だってニアちゃんは知ってても、教えてくれないんだもんっ」
「人の恋路に首を突っ込む者は、こうして馬に蹴られてしまうの。ニアはもう今、お腹いっぱいなの」
諌める声など様々な意見が聞かれたが、わずかに隣に目線を送ると、指を膝の上で握りしめるチュルカ様は不安そうにしている。
人の心は普通、見えたりしない。
チュルカ様が俯くのは、まだ一度も聞かせていない俺の本音を恐れているからだろう。
でも、婚約者への気遣いや口先だけの言葉じゃない。
何も恥ずかしがる必要はない。
――俺は自信を持って、彼女に恋をしたと言える。
「っ!?」
だから震えるチュルカ様の指の上から、手のひらを重ねた。
膝に置かれた手を握って、エイル様に向き合った。
「この七年、俺がチュルカ様と手紙のやり取りをずっとしていたことは、知っているよね」
「知ってる。手紙が届くたび、姉様が嬉しそうにしてた」
「俺はね。エイル様の言うとおり、チュルカ様に不義理を働いたことがある」
隣にいる婚約者が顔を上げたけど、彼女だって、わかっている。
「だからこそ、チュルカ様に恋をしたんだ」
黒の瞳を潤ませながら俺を見上げる少女は、いつだって深い愛情を向けてくれた。
この華奢な手が紡ぎ続けた優しさがあったからこそ……手紙のやり取りだけでさえも、人は恋に落ちることを知った。




