到着時検査
ラフィネル陛下の御一家との挨拶が済むと、エルタニアの王配のお一人で、妖精医師のシャグマ様が行く先を示した。
「それじゃ、エリクセルはこのまま医務室においで。到着時検査するよー」
到着時検査とは、城内に病気などを持ち込ませないための医学検査だ。幼い頃にも受けたことがある。
白髪に褐色の肌、世界で一番と称される美貌の彼は、案内するため先を歩いていく。
チュルカ様も立派な石造りの王城を示し、俺の隣を歩き始めた。
「あのね、えっちゃん、私も今日は医師見習いとして同席するね」
幼い頃に親しくなったからこそ、彼女は砕けた話し方をしてくれる。
背丈は俺より頭一個分小さいチュルカ様が、気さくな笑みを浮かべた。
「実は今日、学校ズル休みしちゃったんだ」
「ズル休み? それは珍しい……陛下もお許しになられたのですか」
「渋々……? あっ、でもねでもね、シャーちゃんが『お手伝いする?』って誘ってくれたんだよ。
だから今日は、医師のお仕事の実習をするってことになってるんだ。
検査でも身長体重とか、簡単な記録は私が担当するねっ」
「しくしく、学校をズル休みするなんて、お父さん悲しい。
……なんてね。ラフィネルが『到着してすぐは殿下もお忙しい、学校に行っていなさい』って言うのに『どうしてもえっちゃんに会いたい』って必死だったから、せめて検査補助っていうお仕事を与えました。
ティフォルナたちは学校に行ってるから、また帰ってきたら会ってあげて? エリクセルに会えるのを楽しみにしてたよ」
「わかりました。……優秀なシャグマ様が検査補助をお許しになるなんて、チュルカ様の妖精医師になるためのお勉強は、手紙をいただいていた通り順調そうですね」
「うんっ。国内最高峰の医師二人が見てくれるから、頑張ってるよ!」
まだ四歳の時にも、医者を目指していると話してくれたしっかり者の女性だ。
夢に邁進している姿が眩しく、今は何を勉強していると必死に話すのを聞くだけでも、笑みをこぼしてしまう。
和気藹々と話すうちに検査用の医務室にも到着し、中へ案内される。
シャグマ様が準備をするため奥の部屋へ入ると、チュルカ様が席へ促してくれた。
戻ってきた白衣姿の医師が目の前に座ると、消毒などを終えたチュルカ様が、次に使う器具をさまざまに用意する。
「はい、じゃ口開けて?」
デア王国の王弟でありながら、妖精医師としても優秀なシャグマ様が滞りなく検査を進めていく。
チュルカ様も身長や体重の記録など、手伝える範囲で活躍を見せた。
血液検査も行ったが、彼女は黒の瞳を逸らすこともなく、次世代の医者らしい冷静な補助でシャグマ様を助けた。
「それじゃ次の検査。
全身脱いでもらおうか。変なあざや蕁麻疹、全身症状がないか見るからね」
自国でも流行病などを王城内に持ち込まないよう、必ず受ける検査だ。
言われた通り、立ち上がって旅装に手をかける。
気になって婚約者を見ると、父譲りの金髪に碧眼の俺を、チュルカ様の鏡のような黒の瞳が映している。
しかしボタンを外していくとチュルカ様は記録板を抱いて真っ赤になり、目を閉じてうつむいた。
「まっ待ってっ、シャーちゃんっ」
「ん?」
「恥ずかしいから、えっちゃんの検査しないでぇっ」
切実な願いが、医務室に響く。
(……チュルカ様の容姿は大人びていても、まだ十二歳だからな。お可愛らしい)
俺が上着を脱いだだけで指先まで朱に染めたチュルカ様を見て、ほっこりしてしまう。
反対に検査中のシャグマ様は父親だから、複雑そうに緑の瞳を向けている。
「医者が患者の体を見られなくてどうするの。
エリクセルは近衛志望で怪我する可能性が高いし、いずれ見るかもしれないんだから、諦めて検査に進もうね」
「だっ、だって、恥ずかしいよぉ……っ」
「じゃあ荒療治しようかな。
はいエリクセル、まずは上半身出して?」
指示通りシャツも全て脱ぐと、チュルカ様が医者の矜持と格闘して顔を上げたのに気付いた。
でも目が合うと泳いで、唇があわあわと震えている。
将来の夢のために剣の稽古はたくさん受けてきたし、パルムクル王国は大熊や大猪などの凶暴な生物も多いから、俺も戦えるように鍛えている。
(大丈夫だ、恥ずかしくない)
自分にも言い聞かせて、ぐるりと一周をシャグマ様に見せる。
細かく皮膚の状態を確認した医師は、手元の紙に記録しながら頷いている。
「肌は綺麗。問題なしかな。
じゃあ、次は下脱いで……」
「先生っ、やっぱり私、少しだけ席外しますっ」
指示通り腰のベルトに手をかけただけで大慌てのチュルカ様が、診察結果を記した板を置いてすっ飛んで行った。
扉が激しく開閉してお団子頭の少女がいなくなると、シャグマ様が笑っている。
「血を見て卒倒する助手はたまにいるんだよね。
でもチュルカは練兵場で訓練もするし、何見ても平気だからいけると思ってたんだけどな。
エリクセルの裸が駄目かぁ、思春期になったね、お父さん寂しい」
チュルカ様は、もう一人の王配アルバ様の娘だ。シャグマ様との血縁関係はない。
それでも自分の娘として大切にしているシャグマ様が俺に笑いかけて、全身をくまなく見つめた。
「はい、次は人間専用の検査行こうか。これが検尿で、これが……」
続く検査用の小部屋を案内されると、さまざまな項目の検体も提出する。
終わった頃には、扉が軽く叩かれた。
「チュルカかな。はいどうぞ、もういいよ」
「……失礼する」
入ってきたのは、黒髪黒目の近衛兵長アルバ様だった。
チュルカ様は不機嫌そうな父親の腰をしっかり抱いて、背中に顔を埋めたまま引きずられている。
四十代後半になっても俺と同い年くらいにしか見えない童顔のアルバ様は、後ろに引っ張ろうと踏ん張るチュルカ様がさらに力を入れたことに顔を顰めて、ため息を吐いている。
「待って父様、心の準備がまだできてないよぉ」
「医務室の前でひたすら素振りしていた上、ボクが入ろうとするたびに騒いで止めるんだ。
チュルカ、シャグマは終わったと言っているぞ」
「検体は!? シャーちゃん、全部しまったよね!?」
「大丈夫、全部検査室に回したから安心して。
アルバにまず結果報告するけど、帰国時検査としては今のところ特に問題なし。
練兵場だけなら行っていいよ。城内の移動を自由にしていいかは、追って連絡入れるね。
エリクセルは、今日提出されたものに関してはどんな結果でも一度呼び出しかけるから、その時にまた話そうね」
「わかりました。シャグマ様、お時間ありがとうございました」
「では練兵場に案内しよう。
……レイトからも鍛えたとは聞いているが、実力を見せてもらおうか」
低く凛々しい声の指示を受けた俺は、シャグマ様に改めて腰を折ってから歩き出す。
チュルカ様が耳まで真っ赤にして、俺の隣に戻ってきた。
年頃の少女は両頬を押さえて、目を潤ませている。
「お医者様のお手伝いなのに、医務室で騒いで、ごめんなさい……」
「はは、まだ見習いですから、慣れないことがあっても仕方ありませんよ。
練兵場ではチュルカ様も護身のため、二刀流の訓練中だと聞いていましたが、そちらは順調ですか」
「うん……戦うのは平気。
エイルとも練習するけど、まだ私の方が勝率いいんだよ」
「エイル様はかなりお強かったと父から聞いています。
チュルカ様は、それ以上にお強いのですね……。
ああ、ですが……パルムクル王城に大蛇が出た時のチュルカ様の落ち着きっぷりを思えば、当然でしょうか」
「やだやだえっちゃん、あのときのことは忘れてよぉっ」
今は真っ赤になりながら両手を顔の前でブンブン振っているが……二刀を腰に履いて、両手を剣にかけた気迫溢れる少女を、俺は覚えている。
バルコニーに隣接する窓を前にして、背中には諜報部所属の妹と退路を守り、姫でありながら自ら戦おうとしていた。
身体能力全てが人間より優れている妖精だ。
さらにアルバ様の血筋として、彼女は剣の才能も受け継いでいる。
しかし姫君として、戦うそぶりを見せたがらない愛らしい女性は、俺を見上げながら首を傾げた。
「えっちゃんはどうして、近衛志望なの?
パルムクル王国でのお勉強は終わったから、もう妖精兵に守ってもらいながら自由なことしてもいいと思ってるよ。
えっちゃんがそばにいてくれるだけで、私もお医者様として頑張れるし……母様も護衛ならつけてくれるから、安心していいよ」
俺の夢は、エルタニアの近衛兵になることだ。
近衛兵長であるアルバ様にもすでに伝えていたからこそ、前を歩く彼にも案内してもらえている。
「実は……俺自身の手でチュルカ様をお守りしたいと考えています」
彼女は癒しの妖精だ。
国によっては『攫ってでも欲しい能力』になる。
癒しの能力は自分の意思で使わない限り発揮されないが、使わせるために卑怯な手段を取らないとも限らない。
エルタニアの妖精兵は信頼しているけれど……俺自身が配偶者として、家族として弱くあっては、万が一の時を考えた時に後悔するのだと、前を歩く近衛兵長の背中を見つめた。
「ムルカナの王弟であるのに、アルバ様がラフィネル陛下を守ってこられたことに憧れてもいました。
たとえ他国の王子であろうと、俺もチュルカ様を守りたい。そう陛下に願ったのです」
「えっちゃん……」
「……もしかしてチュルカ様は、俺に守られるのは嫌ですか」
「そんなことない! 近衛になったら、ずっと一緒にいられるね。
……うう、どうしよう、考えただけで嬉しすぎちゃうよ……っ」
両頬を押さえたチュルカ様を微笑ましく思いながら話していると、練兵場への到着はあっという間だった。
第一練兵場を使えるのは、妖精兵長が直々に鍛える精鋭部隊だ。
砂地の上では戦う者たちが多くいて、今日も賑わっている。
しかし訪れた俺を見て練習を止めると、周囲も壁へと下がっていった。
取り残されて戸惑う俺たちを前にして、アルバ様は平然と後ろ手に手を組んで『休め』の姿勢をとっている。
「実力を見るのにも、今回はチュルカとエリクセル二人で戦わせようと考えていた。
近衛に入る実力が見られなければ、悪いがエリクセルには一般兵から始めてもらう」
え。
東方で言う『寝耳に水』とはこのことだ。
とんでもない試験が始まったことで、チュルカ様も二刀を渡そうとするアルバ様を押し返している。
「何それ、父様。えっちゃんはパルムクル王国の王子様だよ!?
一般兵じゃなくて、最初から近衛として父様が鍛えればいいでしょっ」
「兵は皆、実力主義で中央に上がってきている。
縁故採用で突然近衛入りなどと思っては、ボクの部隊であっても士気が下がる」
確かにそうだ。
俺が努力してきたことを認められない限り、これからともに過ごす相手も、心から俺を受け入れられはしない。
それでもこそりと、筋骨隆々の妖精兵長がアルバ様に近づいた。
「アルバ。チュルカ様の実力は、近衛も一部凌駕すると思っているが。本当にいいのか」
「尚更です。
……娘を超えられないような護衛なら、ボクもいらない」
アルバ様は長い戦争を経験し、軍部で厳しく叩き上げられてきたムルカナの英雄だ。
……話しているだけなのに、今は厚い壁として感じる。
黒の瞳を俺に向けた長身の王配は、圧倒的な存在感で、周囲の誰もに待機姿勢をとらせ、息を潜ませていた。
「負けるようなら、一般兵から改めてボクが鍛え直します。
……チュルカも。学校のズル休みを許したんだ。戦うくらいできるな」
どこまでも冷静なアルバ様に、チュルカ様が唇を噛んでいる。
手渡された武器を持ち、お互いに距離を取ったが……やがてチュルカ様も受け入れた様子で、二刀を腰に履いた。
――風の音が、耳に痛い。
先ほどまでは、甘えた雰囲気もあった。
久しぶりに会えた婚約者相手に、照れて恥ずかしがったり、お淑やかな部分も多かった。
しかし静かに呼吸を整えたチュルカ様は、目を閉じて、集中し始めている。
「抵抗しないな、チュルカ。……まさか大人しく負けないだろうな」
アルバ様も、少々気がかりな様子だ。
けれど黒髪の姫は、顔を上げた。
「手加減したって、父様にはわかっちゃうもん。
だったら私に出来ることは、一つだけ」
あの日見た、大蛇すら恐れない背中を、俺は覚えている。
「えっちゃんの実力は誰よりすごいって、私が戦って、認めさせる」
父親に似た、鋭い黒曜石の瞳が、俺を向いている。
触れるだけで指が切れてしまいそうなほど冷静な瞳が、空より注ぐ光を反射している。
自らの能力と、エルタニアの姫という立場。
それらを誰にも利用させぬように鍛え上げられたチュルカ様が、腰の二刀に触れながら立ち塞がった。
「……やはり、チュルカ様はすごい」
渡された剣を抜きながら、俺も向かい合う。
――肌ですら、彼女の強さを感じる。
緊張に、心臓の鼓動が自然と跳ね上がって……それすら心地良い。
「戦う相手として……いいえ、これからあなたを守る相手として、俺も不足はさせません。
ぜひ、お相手願いたい」
「両者承諾と見て、試合を開始する。
戦闘準備……はじめ!」
アルバ様の、合図とともに。
俺も全力で、剣を抜いた婚約者に向けて駆け出した。




