手紙
人の心はうつろいやすい。
父上を見れば、愛情を注ぐ相手もすぐ『新しく魅力的な誰か』へと変わっていくこともわかった。
それでも、きっと『古く手元に残った自分』のことも大切にはしてくれている。
父上に十一だった俺を抱き上げてもらったとき……母上がいなくても、父上は俺のことだけでも愛してくれていると理解した。
王としても大きな偉業を成し遂げた父上のように、俺も立派になる。
エルタニアを出る時、そう決めて国に戻ったけれど……旅を続けて疲れれば、弱音を吐きたくなる時もあった。
俺は元々、そんなに強くない。
強ければ王位継承権争いなど、貴族の失望など、どこ吹く風でいられただろう。誰かの期待に応えなくてはと、怯えながら努力することもなかった。
境遇を理解し、まっすぐな背中で俺を守ってくれた人がいた。
そんな陛下の娘に、俺も相応しい相手になりたいと願ったけれど……うまくいかない日もあった。
やがて、擦り切れ始めた心は考える。
旅から戻ると、机の上には必ず手紙が届いている。
長旅なら山のようになり、一日一通書いているのではないかと思うくらいの量になる。
今はまだ、彼女の愛情が手元に届く。
しかし……幼いチュルカ様は、どれだけ俺を『新しく魅力的な誰か』として見てくれるだろう。
恋心をあてにして努力を続けた先で、やがて他の『新しく魅力的な誰か』がいれば。
やはり俺への愛情も薄れるのだろうと『古く手元に残った自分』を卑下していた。
エルタニアは重婚が許されている。
父上と同じように、誰を愛してもいい。何人愛してもいい。
旅が終わると届けられている手紙を読みながら、自分に『まだ大丈夫だ』と言い聞かせるのを、やがて情けなくも思った。
彼女への手紙にうまく返せなければどうしようと悩んで、悩んで……ある時、結局何も差し出せないまま旅に出た。
陛下から返事がなかったことが伝われば、きっと彼女の愛情も薄れてしまうだろう。
それでも疲れた気分に一度だけ、手紙を返さないまま旅立った。
再び城に戻った俺には、一通だけ手紙が届いていた。
いつも何枚にも渡っていた手紙が、たった一枚の便箋とわかる薄さで、部屋に置かれていた。
検閲を通った証を見ながら、中身を取り出した。
少しだけシワのついた、いつもの紙よりも少しだけ、硬い感触のある紙だった。
『えっちゃんへ。
お元気ですか?
母様から、長旅から無事に戻って来られたことを聞きました。無事を聞けて、とても嬉しかったです。
これからパルムクル王国は寒くなると聞きました。どうか旅先で体調など崩さないように、精一杯の能力を込めて手紙を送ってみました。固定化の妖精の力までは使えなかったけど、消えずに少しでも届くといいな。
あまり長い手紙をいくつも送るものではないと母様に聞いたので、ちゃんと守ろうと思います。
この手紙をえっちゃんが読んだとき、少しだけでも能力が届きますように。チュルカ』
当たり障りのない手紙と言われれば、その通りだ。
しかし、何よりも。
彼女がどう考えながら手紙を書いたのかを思えば、きっと俺からこぼれ落ちた後悔も、同じ形をしている。
硬い感触は、いくつかのシワを手紙に作っている。
全て、丸い粒状になっている。
精一杯の能力を込めた紙に、溢れて沁みた水滴が。
何であるのかを、わからないはずがなかった。
すぐに便箋を手にした。
彼女に素直な気持ちを伝えようと思った。
『チュルカ様。
いつもお手紙をありがとうございます。
俺も疲れていました。
読んでも返事を出来るほどの気力がなく、旅に出てしまいました。
あなたのせいではありません。
きっといつか、こうした手紙のやり取りも終わる。
そう思うことが怖くて、自分から送るのをやめました。
俺の父上は愛情の多い人です。
あなたもまだ七歳と幼く、これから多くの人と出会うでしょう。
俺よりも良い相手と出会った日、きっと母上のように置いていかれると思うのが怖かった』
情けない話だ。
それでも、言えずにいた本音だった。
手紙を送っても、彼女に届くまでの間に旅に出された。
再び戻ってきた日、本音を書いたことへの後悔と……何が届いているのか、何も届かないのかと恐ろしく思いながらも、部屋を開けた。
エルタニアの飛脚を経由したことがわかる印章が押された手紙が、一つだけ、机には残されていた。
『えっちゃんへ。
手紙を送らなくなる日はありません。
初めて出会った日、私はえっちゃんに恋をしました。
父様がたったひとり、母様と決めて、何年でも愛し続けるように。
優しいえっちゃんのそばに、私も一生いたいな、って思いました。
遠く離れていても、えっちゃんのことだけが、ずっと、ずっと、ずーーーーーーーっと大好きです。
どうか、この手紙がすぐに届きますように。チュルカ』
東の国から砂漠を経由し、西の国まで届けられた手紙は、間に合わなかった。
軍事情報などのやり取りで陛下が使うとされる妖精の飛脚を使っても、届きはしなかった。
きっと陛下も、中身を知っている。
それでも俺を案じてすぐに差し出されたことも、何もかも。
皆が俺をずっと気にかけてくれているのだと、背中を支えられている気がした。
『チュルカ様へ。
俺こそ、手紙を早馬で出せばよかったと後悔しています。
飛脚まで使って届けられたことに驚き、しかし嬉しく感じました。
パルムクルの北部に雪が降る地方があり、雪中行軍などさせられていました。
一体何の役に立つのかと、父上に後で聞いてみるつもりです』
格好を付けたくて、背伸びしていたこともやめた。
当たり障りのない言葉も、やめた。
彼女にとって、耳障りの良い言葉もない。
それでも彼女は必ず一つ、手紙を送ってくれる。
旅に出ないうちにと、きっと届いたその日のうちに、心をしたためてくれる。
『えっちゃんへ。
父様から雪山は精神修行になると聞きました。
じゃあ私も雪山に放り込んでとお願いしたら、考えた末に「また今度」と言われました。
きっとまたがくる日はありません。私にはさせられないと思われてるみたい。
えっちゃんはすごいね。雪山なんて場所から無事に戻ってきてくれてよかったです』
自分を認めてそばに寄り添ってくれている言葉の数々が、彼女の本心だと思わせるくらい、すぐに返事は届く。
荒んだ心も、たった一通に想いを込める妖精が癒していく。
努力を続けるのは辛くて、やめたくなる。
それでも一度折れた心にも寄り添い、支えて、少しずつ前を向けるように、手紙は届く。
約束通り一度の返事に、一枚だけ。
城にいるうちは何度かやりとりして、また旅へ出た。
そうして、届いた手紙が積もるほど。
彼女からの愛情は消えることなく、どれだけの思いを寄せてくれているのか、知らせるように増えていく。
本音を始めてから、ただ一つ、彼女に書けなかった言葉があった。
しかしやがて、心が癒されて……ずっとそばにいる彼女からの手紙に、その言葉を書きたくなっていく。
『えっちゃんが元気でいられますように』
毎回、少しでも癒されるようにと、彼女の能力がかけられた手紙を受け取って。
『あなたを愛せたことを幸せに思います』
たとえ会えなくても、育つ心があるのだと知った。
いつだって俺だけを想って、会いたい気持ちで手紙をくれた。
彼女にとって俺は、『古く手元に残った自分』にはならない。
ずっと『新しく魅力的な自分』であろうと、思えた。
幼くして、たった一人だけを愛すると決めた姫君。
彼女の隣にいても、恥じない自分であるために。




