婚約者との再会
パルムクル王国の第二王子エリクセルとして生まれたが、俺の人生は決して順風満帆ではなかった。
六歳にして、母上は亡くなった。
おそらく毒殺だ。
ひとりになった俺は貴族に利用され、王位継承権争いの神輿として担ぎ上げられた。
父上から引いた血筋以外に、俺の価値などない。
薬と偽った毒を飲まされ続け、右腕もうまく動かなくなり、それでも俺は孤独に戻れず、傲慢な王子と指差される日々を過ごした。
十一のとき、第一王子の派閥に暗殺されかけたことで転機は訪れる。
攫われた俺は巨大生物の跋扈する森に放置されることで、殺されかけた。
――しかし、このときばかりは。
侍女のふりをして、共に攫われてくれた人がいた。
「……エルタニアの女王を食おうなど、不遜な獣よ。貴様に喰われてやれるような身ではないわ!」
叡智の妖精とも名高いラフィネル陛下が身を挺して、俺を守ってくれた。
七色に光る羽を広げて、俺を背中にかばいながら巨大な熊にだって立ち向かった勇敢な女性は……怪我の治療を申し出て、妖精王国エルタニアへも連れて行ってくれた。
――後に最愛の女性となるチュルカ様と出会ったのは、この時だ。
王城の馬車着き場で、まだ四歳だった彼女の小さな手と、右手で握手した。
毒にやられた腕に広がったのは、雷が落ちたのかと思うくらいの痛みと衝撃だった。
(ついに、動かなくなったのか)
激しい痛みとともに恐れていた日が来たのだと、覚悟しながら右腕をかばった。
しかし……力を込めれば、動く。
思い通りにならなかった右手が、自由に動いた。
筋力の衰えは感じても、毒の影響など忘れるくらい、かつてのように、俺の右手は指先まで意識した通り動くようになっていた。
「え、あれっ、ごめんなさい、痛かったですか」
エルタニアの姫君は顔を上げた俺を見て、黒曜石にも似た瞳を丸くする。
同じ色の髪をお団子頭にしていた彼女は父親の後ろに隠れて、申し訳なさそうに俺の様子を見ていた。
「チュルカ、能力を使ったのか?」
女王陛下に発言を促された少女……チュルカ様はうつむきがちに唇を震わせている。
「痛そうなところがあったから、触ったついでに治してしまったの。
でも、内緒じゃなくて、ちゃんとやりますって伝えたほうがよかった。痛くして、ごめんなさい……」
彼女は生まれつき『癒しの妖精』としての能力を持っている。
だから毒を飲まされ続けてきた俺の患部を見抜き、握手ついでに治してくれたのだという。
――痛みを与えるつもりはなかった。
ただ目の前の相手を救おうと、チュルカ様は自身の能力を使った。
動くようになった右手を確かめながら、思いがけず差し出された奇跡を噛み締めるほかなかった。
「素晴らしい能力だ、チュルカ様。
……ずっと、この手のことで長い間、色んなことを悩んでこの国にきた。
でもまさか握手だけで治されてしまうなんて、奇跡のようだ」
「痛がらせてしまったのは、事実です。
それに、兵にも傷は勲章だと言う者もいるのだから……勝手に能力を使うべきではありませんでした」
「そのように落ち込まれては困る。
この通り自由に動かせるのが、俺は心から嬉しいんだ」
落ち込む第二王女の頭を撫でる。
もう長く忘れていたような笑顔が、自然に浮かんだ。
悩みが失せた奇跡に、何より見知らぬ俺でも治そうとしてくれた彼女の優しい心に……涙ぐむチュルカ様を慰めながら、俺は彼女への快い気持ちを感じていた。
それからは、あっという間の三月だった。
陛下のお子達とともに、俺はエルタニア王城で学び暮らした。
兄弟姉妹の仲が良い妖精たちと過ごす毎日は、思い出すたびに心の支えになるくらい、何よりも楽しくて……かけがえのない時間となった。
コトコト。コトコト。……ガタン。
馬車が揺れたことで、不意に目が覚めた。
膝の上に手紙を広げて、掴んだままだったことを夢現に理解する。
(……ああ、懐かしい。思い出を、夢に見ていたのか)
パルムクル王国からエルタニアまで、約十日の旅路を過ごしてきた。
疲れもあって長く眠っていたことに気づいた俺は、体を伸ばす。
自然と顔が上がったが、明るい日が差し込む窓の外には、懐かしいエルタニアの光景が広がっていた。
(……ついに、戻ってきた……)
幼い頃にも驚いた広大な国が、目の前にある。
美しい青空の下、森や平原の緑は燦々と輝いている。
王城に近づくにつれ、石造りの街並みは一層栄えて行く。
経済大国としても知られるエルタニアらしい豊かな光景に逸る気持ちを抑えながら、灰色の王城が悠然と佇むのを見つめた。
俺は十八を超えて成人し、大陸の西に位置する母国から東のエルタニアへ改めて差し出された。
生涯をこの国で過ごすため、自国の知識を学び、体躯を鍛えて戻ってきた。
『えっちゃんが来る日を、楽しみに待っています』
風に揺れた手紙の音に気付いて視線を落とせば、婚約者からの文字が温かく映る。
旅先から戻るたび、いつも心尽くしの手紙を送ってくれていたチュルカ様からの言葉を改めて読んで、自然と心が浮かぶ間にも……馬車は前へ進んでいく。
昼を少し過ぎた頃だ。
俺を乗せた馬車は無事、エルタニア王城の門をくぐった。
鍛えられた妖精兵が油断なく警戒にあたる道中を進み、かつて訪れた馬車着き場へと導かれる。
(あ……。あのお姿は……っ)
桃色の髪に、空色の瞳。
王配二人を共に、歓迎のための明るい色のドレスに身を包んだ美しい女性がいる。そばにはまだ学校に通っていない小さなお子達と、その姉君がいる。
馬車の窓からは、ラフィネル陛下のご一家が迎えてくれる姿が見えた。
……その中でも特に黒髪の女性が、ソワソワしながら待ってくれているから手を振った。
馬車が止まる。
踏み台が出されて扉が開くと、彼女は自らの足でまっすぐに、俺の元まで駆けてきた。
「……っ、えっちゃんっ」
黒曜石のように輝く、綺麗な黒の瞳は潤んでいる。
かつて会った日のように、艶やかな黒髪はお団子頭にまとめられて、可愛らしい印象だ。
『えっちゃん、行かないで、ねえ、えっちゃんっ』
まだ四歳だったあの日、突然の別れに泣いた姿はもはや遠いほど背が伸びたのだと、同じ景色で感じる。
十二歳ですでに大人の容姿に近付いたチュルカ様は、清楚なワンピース姿で俺を迎えてくれた。
「……っ」
目が合うと泣きそうに胸の間を押さえて、震える唇を閉じている。
俺も婚約者が心待ちにしてくれた姿が何より嬉しくて、湧き上がる気持ちのまま彼女に笑いかけていた。
「チュルカ様。ただいま戻りました」
「っ……おかえりっ、おかえりぃ、えっちゃんんっ……っ」
そのまま弾けるように泣き出してしまうから、ハンカチを取り出して涙の粒を拭う。
愛らしい妖精が受け取って自分でも必死に涙を拭く姿に、ラフィネル陛下も笑っている。
「到着はまだだと伝えたのに、今か今かとここで飽きずに待っていたんだ。
娘に声をかけてくれたこと、心より感謝しよう。
改めて……我が国は貴殿を歓迎する。
ようこそ、エリクセル殿下」
妖精らしい綺麗な髪が、爽やかな風に靡く。
エルタニアの空を移したと称される瞳を和らげた女王陛下は、俺を救ってくれた日と変わらぬ美しい姿のまま、右手を胸に当てて……歓迎の挨拶をしてくれた。




