第三話 騎士の名は
彼が登校して一番に起こるのは下駄箱に詰められた大量の手紙との遭遇だ。シンプルな白無地の封筒から可愛らしい花柄の封筒まで、宛名は全て『日下くんへ』と書かれている。入学してからほぼ毎日、優一の下駄箱にはラブレターや手作りのお菓子が入れられており、全て彼に惚れた女子たちから贈られたものである。優一は無言でお菓子やラブレターを丁寧にまとめ始めた。
「また大量に入ってるねえ」
同じく登校してきた翠は優一の姿をすっかり見慣れているようだが、一緒に見ていたエレナはあ然としていた。
「またってなんだよ。靴入れるとこに菓子入れるってどんな神経してるんだよ汚えな」
「そこの観念はあるんだ……。日下くんはモテるから色んな子から告白されまくってるんだよ、ほら」
翠が指さした先を見ると、さっそく優一は女子たちに囲まれてしまっていた。女子はどの子も美人ばかりで黄色い声をあげている。
「日下くんおはよ!」
「今日も髪かっこいいね!」
口を揃えて優一に目にかけて貰おうと必死なのか、誰かの足を踏んだり、肘で邪魔したり水面下で激闘が繰り広げられている。優一は顔色一つ変えずに女子たちを見て一言。
「……ありがとな。早く行かないとお前らも遅刻するぞ」
一見ごく普通の発言だが女子生徒たちは目をハートにしたり、顔を覆ったりして教室へ去る優一の背中を見送っていた。天然過ぎるのが惜しいが顔が良いからこそ許される行いである。
「これも日常茶飯事だよ」
「アホしかいねえのかここは……」
*
昼休み後の体育ほど面倒なものはない。自分の運動音痴がばれて恥ずかしい思いをするのが怪我をするよりよっぽど恐ろしい。今日の体育の授業は体力テストであり、他のクラスと合同で行われていた。私はクラスメイトたちが五十メートル走のタイムを計っているのを木陰に座って眺めていた。
「運動できる陽キャはいいな……」
「いやーそれな! うちも走るのキラーイ」
うつむく私のとなりには陽気に笑う杏子がいた。必要ないだろうが、杏子もそれなりに運動が出来るとここで宣言しておく。杏子は私の肩をバシバシ叩くと「あ、星守さんじゃん」とグラウンドの方を指さした。
スタイル抜群なエレナはクラスメイトの中でもいっとう目立つ。合図と共にその長い脚を思い切り伸ばして風のように走り出す。ボリュームのある髪が陽光に当たって時折光るように見えた。そしてあっという間にストップウォッチを止めさせた。
「はや……!」
「運動出来る美人ってチートじゃん。あ、頭良いのかな。知らないや」
エレナはだるそうに顔をしかめながらひとりでその場を離れてしまった。そういえば知り合って一、二週間経つというのに彼女のことを魔女ということ以外、何も知らないのだ。出身や家族、魔法のこと、襲い来る悪魔たちのこと。いつか知ることができたら――。
「まあチートといえば男子にもいるよね」
「男子?」
「ほら、あの人。日下優一」
そう言って杏子は立ち上がり、グラウンドへ小走りで向かっていった。男子たちは女子たちから離れた所で同じように五十メートル走のタイムを計っていた。優一はすでにタイムを計り終えたようであり、ほかの男子生徒たちと談笑していた。彼はほとんど頷くだけであり、返答しているのはわずかに見えた。そんな持っている人の姿を見ると「自分もそうだったら」と考えない日はない。自分では到底不可能な現実を変えられる力を持っているのだから。エレナは迷わず私の元へ歩いてきて横にドカッと座る。その顔には汗ひとつかいていない。
「お疲れ様。すごい速かったよ」
「ただ走っただけだろ」
「まあそうなんだけど……でも私は出来ないから羨ましいよ」
「お前運動オンチだもんな」
「う、運動始めたからちょっとは出来るようになったもん!」
「ほおー? じゃあさっさと走って来いよ」
「分かったわよ!」
私はいつになくむきになって、さっさと歩き出した。スタートラインに立つと、短く見えた距離がやけに遠く感じる。横に並ぶ生徒たちはきっと私より速い。そうだと分かっていても私は――。
「いちについて、よーい」
負けたくない!
スタートの合図の笛が鳴った瞬間、私の身体は地面めがけて勢いよく押し出された。
保健室で砂まみれの足を抱えて小さく丸まった私を杏子とエレナが見下ろしている。
「……たまには、ああいうこともあるよね…………ブフォッ!」
杏子は思わず吹き出してしまい、ひとりで勝手にゲラゲラ笑い転げていた。エレナは珍しく憐みの目をこちらに向けている。これだから運動できない自分は嫌なのだ……。羞恥心で消えたくなる。おまけにその後の体力テストは全て散々な結果であり、一層落ち込んでいた。今なら闇が深い私の心が悪魔を上回るかもしれない。
「次があるだろ……多分」
「……エレナちゃんは記録残せていいよね……はは」
エレナはソフトボール投げや握力、シャトルランなどの全ての種目で一、二を争う記録を叩き出していた。これも彼女が魔女だからという理由なのだろうか……。
「じゃあ先に教室戻ってるね。橡川先生には言っておくから」
「うん、ありがとう杏子ちゃん」
杏子が去ると、エレナは保健室の空きベッドへ横になり始めた。まだチャイムが鳴るまで時間がある。授業に参加せずに他の場所でぼうとする気分は少々、心地良い。
「……ねえ、エレナちゃんって出身はどこ?」
「別に知る必要ねーだろ」
「必須ではないけどさあ……あと家族とか、悪魔のこととか。他にも魔女っているの?」
「知らねえでいいだろ」
「良くない!」
私はばっと立ち上がってエレナを無理やりベッドから起こす。
「私エレナちゃんの友達だもん! エレナちゃんのこともっと知りたいの!」
「……」
その瞬間、保健室のドアからノックオンが二回鳴る。私は慌てて座っていた椅子に戻り、エレナはそのままベッドに座り直す。
「ど、どうぞ!」
「……あ」
入って来たのはジャージ姿の優一だった。優一はきょとんと二人を見つめて立ち止まる。
「……先生は?」
「今日出張でいないみたい、です」
「そうか、ありがとう。高槻は優しいんだな」
「ヴェアッ?! な、なんで私の名前……!」
「知ってるよ。あんたが魔法を使ってることも、星守の正体も」
「え……」
一瞬にして部屋の中の空気がピンと張りつめたように止まる。息をすることさえはばかられるこの空間で最初に口を開いたのはエレナだった。
「てめえ……クセェと思ったらそっち側の人間か」
「話がしたいだけだ」
「じゃあその持ってる剣はなんだ! どこで手に入れた! 敵ならこの場でぶっ飛ばす」
「ちょ、え? どういうこと?」
「そいつから離れろ! そいつは魔女の敵、聖騎士だ」
「聖騎士……日下くんが?」
もちろん彼は剣なんて持っているようには見えないし、どこからどう見ても普通の男の子だ。優一は静かに続ける。
「……その通りだ。俺と、俺の剣は浄化の加護を受けた聖騎士だ。魔女である星守にとって良くない存在だけど、俺もあんたらと同じく悪魔を倒してきた。理由は違えど共通の敵がいるなら一緒に戦った方が良い」
「ふざけるな! んな戯れ言聞くわけねえだろ!」
エレナはベッドから勢いよく立ち上がると大きな音を立ててドアを閉め去ってしまった。声を荒げることはよくあるが、あそこまで怒った彼女を見るのは初めてのことで内心恐怖を感じていた。
「…………その、ごめんなさい。エレナちゃんが」
「いや、怒って当然だ。魔女と教会の歴史は戦いしかないから」
「教科書とか本に書いてあるやつ……魔女狩りとか?」
「ああ。でも俺はずっと一人で戦ってる。大昔のように組織が残ってるわけじゃない」
「……」
保健室を出て教室に戻ると、エレナはいなかった。大方、どこかで苛立ちを抑えようとしているのだろう。突然現れた天敵。動揺して当たり前だ。しかし目的が一致しているなら話は別だ。私は休み時間になる度にエレナを探しに出たが、見つかることはなく、そのまま放課後のチャイムが鳴ってしまった。
「もう……エレナちゃんどこ行ったのよ」
はあと大きなため息をついて、私は中庭のベンチに腰掛けた。校舎は小さな噴水のある中庭を囲むようなコの字型をしており、ここは昼食を食べる人や談笑をする場として最適である。温かな気温が眠気を誘うが、エレナを見つけなければならない。
「連絡先聞いておけば良かったな。今日は諦めるか……」
私はとぼとぼと校舎へ足を踏み入れた瞬間、何かがおかしいことに気が付いた。
「……? 今何か……」
何か、全く別の場所へ来たような違和感がある。周りを見回してみたが、変化は無い。気のせいだと思って校内を進むが、すぐに実感に変わった。いつまで歩いても誰ともすれ違わないのだ。教室の中にも誰もおらず、声一つすら聞こえない。
「なんで誰もいないの……もしかして、悪魔の仕業……?」
私はポケットに入れていたマナクオーツを握りながら進んだ。すると、氷塊に背をつけているような、異様に冷たい空気を感じたのだ。ぞくりと鳥肌が立って、身体が動かなくなる。
「……ソレ、チョウダイ?」
ああ、振り返らずとも分かる。後ろにいるのは悪魔だ。今まで会った奴よりずっとまずいものだ。どうしよう、今はエレナも優一もいない。私がなんとかしなきゃ。
「オマエモ、イッショニ、ハラノナカ」
「!」
「消えんのはテメエだけだ」
杖を振るのと同時に、悪魔は陽炎のように霧散してしまった。その後ろにはエレナが立っていた。私は安心したせいか、腰から崩れ落ちてしまった。
「こ、怖かったあああ~! ありがどおおエレナちゃん~!」
「うわ、ひっつくな暑苦しい!」
すがる私を引っぺがしてエレナはさっきいた女の悪魔が学校を異空間に引き込んだこと、自分はまだ見つけていないが優一の気配も感じるとのことを話してくれた。元凶である女の悪魔を倒せば元の空間に戻るという。
「学校自体を……すごく強い悪魔なんだね」
「今ここは人間界と『冥界』の狭間にある。悪魔にとって冥界は有利だからこの手を使うやつは一定数いるさ」
「冥界って、死んだ人が行く?」
「ああ。生を司る『天界』と対を成す、死を司る世界だ。そこで生まれた悪魔は生きてる人間を糧にする。だから悪魔は人間界に多く出現するんだ」
「……生と、死と、人間界。エレナちゃんは、どこから来たの?」
「…………」
すると、何の前触れもなく学校が激しく揺れ出した。エレナは私の服を掴んでホウキに乗せる。ガタガタを大きな音を立てて建物が軋み、私たちは中庭へ飛び出した。そこには真っ白な女の顔が張り付いた、羽虫の身体を持つ悪魔がいた。悪魔はこちらを見上げて気色の悪い笑みを見せる。
「ミツケタ。イシ、チョウダイ?」
「きしょい見た目してんなあ、ったくよお!」
エレナは私を屋上に降ろすと、一気に急降下して魔法で悪魔を叩く。確実に攻撃が当たったはずなのに、土煙が晴れるとエレナがなぜかボロボロになってしまっていた。エレナ自身も、繰り返し攻撃するが一向に歯が立たない。
「エレナちゃん! あの悪魔、エレナちゃんの攻撃を跳ね返してるんだ……!」
「だったら返せないくらい、デケえやつくれてやる! 『星天順行』!!」
深い闇の中に星が無数に瞬き、悪魔を囲んでいく。激しい光に飲まれた悪魔だが、光はそのまま激しさを失って収束してしまった。
「チッ、まだ駄目か!」
「エレナちゃん逃げて!」
そう叫ぶも、あの距離は間に合わない! 攻撃とエレナの間に入ったのは、他でもない、優一だった。
「てめえ! 何してやがる!」
「俺も戦う」
優一は何もない場所をなぞるように、手のひらから青白い光を放ち、その光からは青い柄を持った美しい剣を生み出したのだ。
「剣?!」
優一は剣を掴み、そのまま勢いよく振り上げた。悪魔は甲高い悲鳴を上げて大きく後ずさりした。傷口は大きく抉れてどす黒い泥のような血を流している。
「攻撃が入った!」
「……あの悪魔が跳ね返せるのは魔法攻撃だけだ。物理的攻撃なら、通じる」
「じゃあどうやって封じンだよ!」
「俺が奴の魔法障壁を壊せば魔法も効く。俺の魔力量じゃ封印できないんだ」
「……くっそ。手ェ組むのは今回だけだぞ!」
優一は剣を構え、悪魔に駆け寄っていく。悪魔は優一に必死で攻撃するが、パルクールのように軽々とよけられ当たらない。
「オマエ、キライ! キライ! キモチワルイ!」
たん、と悪魔の頭上へ飛び上がるとそのまま女の顔を真っ二つに切り裂いていく。
「星守!」
「あたしの名を呼ぶんじゃねえ! 天に座す星よ、彼の世の者を流転せし運命に還せ! 『グランド・セクスタイル』!」
悪魔はドロドロと溶けていき、魔法陣の中へ飲み込まれていった。私はエレナたちの元へ駆けて行った。気付かなかったが、既に街の騒音や生徒たちの声は元に戻っていた。
「エレナちゃん! 日下くん! 大丈夫?!」
「痛くもかゆくもねーわ」
「そんなボロボロで言われても……」
「星守。俺を信じてくれてありがとう。俺一人じゃ対処できなかった」
「あたしはまだ信用したわけじゃねえからな!」
「エレナちゃん……」
「良いんだ。これから行動で示していく」
優一の顔は、今まで見てきたどの表情よりも柔らかく、心地良さそうに笑った。少しだけ、綺麗だと思った。
*
「ちょっと翠!」
「はいっ?!」
後日焦り気味な杏子に呼ばれた私は肩をすくめてしまった。
「日下くんといつ仲良くなったのよ! 超羨ましいんですけど!」
「ええ……なりゆきというか、まあ」
「翠……進展あったら教えてね!」
「無いよ?!」
正直、彼とエレナが打ち解けてくれればいいのにと思わずにはいられなかった。
次回:第四話 仁愛の魔女




