悪い人倶楽部
私はいい人だ。誰に対しても平等に優しく接している。そうするのが性にもあっているし、なにより楽なのである。しかし、楽とは言ってもストレスは溜まる。人遣いの荒い社長の元で働き続けて何年になるだろう。我慢するにも限界がある。そんな中で出会ったのが悪い人倶楽部、私の秘密基地である。
悪い人倶楽部は繁華街の狭い路地裏にひっそりとある。扉を開けてみる。すると、そこには客の罵詈雑言、店員が平謝りするといった光景がそこら中で見られる。ああ、またここに来たんだ。私の心が注がれた赤ワインのように満たされていく。しかし、何もかもが許される場所ではなく、ここにもルールはある。暴力は禁止だ。私はそれに従って、悪い人になりきるのである。
まず手始めに注がれたワインに文句を言う。
「ぬるい、まずい」実際は最高級の美味しいワインだが、それを否定してこそ背徳感が生まれる。ワインを残しボトルキープする。
店員は平謝りする。ちなみにこの赤ワインは一杯一万円する。色々込みの値段なのだろう。従業員の給料もいいはずだ。私は優越感に浸る。
「お水をちょうだい」さすがに喉が渇くのでお水をいただく。「水道水かしら」
次は料理だ。
「こんな不味いもの食べられないわ」美味しい。一口食べて残し、後はタッパーに入れて持ち帰る。店を出て帰るまでの我慢だ。
「本当この店は最低ね」
突然、大声で叫ぶ男の客が現れた。何を言ってるか分からないが、店のコンセプトを理解していなそうだ。店員はただ平謝りするばかりで、他の客はツマミ出せと文句を言うばかり。いつもの癖で私は男の客に近づいた。「どうしましたか」 男は私は思い切り突き倒した。何が起きたか分からなかった。
目を覚ますと病院のベッドの上にいた。頭を打って気を失ったらしい。軽症で済んだのが幸いであった。誰にでも話し掛けるものじゃないな。
後から聞いた話によると犯人は悪い人倶楽部で働いていた元従業員で、安い月給とストレスにより体を壊したとのこと。それによる恨みで、犯行に至ったという。我慢の限界だったのであろう。
では、今も働いている人たちは何がメリットで働いているというのだろう。怖くなり、私はしばらく悪い人倶楽部から足を遠ざけた。
しかし、人間ストレスが溜まるものだ。私は一年もしない内に、再び倶楽部に足を踏み入れた。「いい新人が入りましたよ、ぜひ楽しんでいってください」「うるさい」店員に悪態をつく。「新人です、よろしくお願いします」「…」
なんと社長が働いていた。
秘かに誰かを怒りたい人間がいるように、秘かに誰かに怒られたい人間もいるようだ。
私は運ばれた赤ワインゆっくり口を付けながら言った。
「本当この店は最低ね」