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魔犬サラマー その6

 そこに立っていたのは課長の遠藤だった。課長の目元は優しげだったが、言い放った言葉は強烈だった。

「病院へ行って来い!」

「えッ?」

「お前は『突発性・イカレコロ症候群』という名の重~い病気にかかっとる。一回、精密検査を受けた方がええ」

「聞いたことも無い病名です。ホントに有るんですか?」

「お前が知らんだけのことや。どこの職場にでもおるんや。イカレコロ病の一人や二人は……」

 課長の言葉に不服ではあったが反論はしなかった。今の自分は何を言われても仕方の無い立場だ。

「…………」

「お前さっき、キーボードで頭打ったやろ?」

「ええ……」

「イカレコロは怖い病気や。頭を打ったら急激に悪化する恐れがあるさかいに、早よ医者に診てもろた方がええ」

「大丈夫です。検査するほどのこともないです」

「勝手に自己判断したらアカン。中学の時の同級生やけど、今では病院長にまでなっとる男をワシは知っとる。連絡しとくから、今すぐにでも診てもろて来い」

 課長と丈二のやり取りを聞いていた政岡が、追い打ちを掛けるようにして言った。

「行って来いよ。病院へ……」

 クルリとイスの向きを変えた丈二は、険しい表情で政岡を一喝した。

「うっせぇーわ! 黙ってろってンだ。 お前は……」

 政岡は、ニヤリと薄笑いを浮かべながら、尚も丈二をあおり立てた。

「早期発見、早期治療だ。十日と言わず、一ヶ月ほど入院して来い」

「笑うな!」

「ン?」

「お前が笑うと、俺は向かっ腹が立つンだ!」

「ガハハハ……」

 高笑いした政岡は、丈二を指差し強い口調で言い返した。

「二ヶ月だ! 二ヶ月、入院して来い! 出て来るな!」

 丈二の後ろのデスクの森野刑事が、丈二と政岡のやり取りを笑顔で見ている課長に近づいた。

「課長……」

「何や?」

「大学とちごて、中学の時の同級生が病院長をやってはるんですか?」

「そや」

 目を細めながら課長は機嫌よく、得意げに話し始めた。

「病院長の住所が京都でのうて大阪の茨木やさかいに、京阪神に住んでるワシら中学の同級生は梅田まで出て、『料亭・へんこ』で、年に一、二回、飲み会をしとるんや」

「聞き始めですわ。その病院長は、市内のどこの病院ですかぁ?」

「ここからちょっと距離はあるけど、右京区の『六道総合医療センター』や」

 課長たちの話を耳にした丈二が、目を丸めて仰天した。

「え、えーッ!」

 パッとイスから立ち上がった丈二は、真顔で課長に聞いた。

「課長……」

「何や?」

「俺に行けと言った病院は、先日、殺人事件が起きた『六道総合医療センター』ですか?」

「そや」

 丈二の左の肩に課長の右手が、ポンと優しく乗せられた。

「病院長の『浜田』にはワシから連絡しとくから、今すぐにでも行って、徹底的に診察してもらえ」

パソコン画面の映像の中で、丈二に向かって白頭ガラスの懸衣翁けんねおうが「来い」と言っていた「生の六道」とは、明治の頃に廃寺になった福正寺のことで、現在は右京区の清凉寺嵯峨釈迦堂近くに建てられた「六道総合医療センター」のことだった。

偶然とは恐ろしいものだ。課長の中学の同級生が六道総合医療センターの病院長とは願ったり叶ったりの展開だ。これでエバと病院で再会することが出来る。エバが呼んでいるということは、今は無力の快炎鬼でも何かの役に立つかも知れない。もしかしたら、課長が病院行きを進めに来たのもエバのシナリオ通りの展開だったかも知れないが、物事は好都合に進んで運んでくれている。喜色満面となった丈二は、大声で快諾した。

「やっぱりボードで打った頭が痛いです。検査しに行きます。今すぐに……」

素早くイスをデスクの下に押し戻した丈二は、政岡に向かってグイと指を差した。

「聞け、政岡!」

「何だ?」

「次は『お好み焼き』だ。一緒に食べながら、笑おうぜ」

「はあ?」

丈二は軽く課長に会釈をした。

「では、行って来ます」

「診断書を貰うのを忘れるな。休暇届けはアトでゆっくり出したらええ」

「そうします」

 足早に部屋から出て行く丈二の後姿を、森野刑事は呆れた顔で見送った。

「なんやねん? あの急変は……。さっきまで、病院へ行くのを嫌がっていたくせに……」 

 政岡が森野刑事と課長に近づく。

「いきなりですよ。いきなり『お好み焼き』の話ですよ。丈二とよく一緒に飲みに行きますけど、一緒に『お好み焼き』を食べに行った記憶はありません。イカレコロ病が急激に悪化してきたきざしですかね?」

 課長は小さく笑いながら否定した。

「そんな病気、あるワケ無いやろ」

「えッ?」

「何が原因のストレスか知らんけど、丈二は躁鬱そううつの症状が出てきとった。そやから、暫く丈二を休ますために、ワシが取って付けたウソの病名や」

「え、えーッ?」

「どや? 今の丈二にピッタリの、おもろて、ええ病名と思わんか?」

「ダ、ダメです! ウソの病名で丈二を病院へ行かせるなんて……」

「ガハハハ……。ウソも方便ちゅうやつや。勘弁せい」

「…………」

 病名を知らなかったのは、真顔で憤慨する政岡と早々と部屋を出て行った丈二だけだったようで、静かだった刑事部屋が課長のバラシで、声を殺して笑う様子がそこかしこのデスクで起こっていた。

 片手を軽く上げてデスクに戻る課長の後ろ姿を苦々しく見送りながら政岡は、森野刑事に質問した。

「知っていたんですか? 課長のウソを……」

 政岡を見ることもなく、森野刑事は背中で応えた。

「知らん。初耳や」

 思い出したようにパッと振り返った森野刑事は、笑顔で政岡を見上げた。

「ワシ、近頃、突発性の健忘症になってしもてな。さっき課長が言うとった丈二の『突発性・イカレコロ病』も、直ぐに忘れてしまうねん。悪いな。政岡……」

 呆れた顔で政岡は、半ばヤケクソ気味で

「……そうですかぁ」と笑った。

 隣の席の真田刑事が振り返るようにして

「政岡よ」

「何でしょうか」

「言うの忘れとったけど、ワシも『突発性・アカン、どない症』という病気の持ち主やねん」

「そうですかぁ。ゆっくり治して下さい。お大事に……」

課長と森野刑事達からからかわれただけでなく、少なからず丈二からも反感を持たれたと感じた政岡は、苛立いらだちと腹立たしさが治まらぬままに自分の席へと戻って行った。

「何だよ。この部屋は……。突発性のバーゲンかよ。冗談じゃあねーぜ」

 席に着けども、政岡の立腹は続いていた。

「もう我慢しねー。もう限界だ。マジに切れたぜ、ブチ切れだ。丈二が戻って来たら絶対になってやる。病名は『突発性・大激怒症』ってやつだ。完治不能の難病だ!」

―――

 歌舞練場前の通りに立ち並ぶ五角形の「ぼんぼり」の一本を勢いよく引っこ抜いたギドンがサラマ―に向かって身構えていた。

 引っこ抜かれた鉄パイプは意外にも太く、一握りでは持てないほどの太さで、裕に3㍍は有ろうかと思われる長さだった。鉄パイプの中には一本の電線が地中と繋がっており、その態勢でギドンがサラマ―を襲うには無理があった。

 サラマ―の表情は冷めていた。

「あんた、私を襲う意気込みは買ってやるけどさあ、そのままだと間抜けな子猫ちゃんに見えるから、その電線抜いたらどうよ?」

「言われるまでもねー」

 食み出ていた電線を片足で踏みつけたギドンは、「ぼんぼり」を僅かに前方に倒すと、勢いよく上に突き上げた。

「ぼんぼり」の中でセットされていた電球もろとも、鉄枠とガラスは一瞬にして破壊され、強烈な破裂音とともに、破片はクラッカーのように四方に飛び散った。

 鉄パイプをヒョイと上に突き上げ、パッと下部を掴み取ったギドンは、一気に電線を下に引き抜くと、鉄パイプを2㍍ほどの長さにした。

「覚悟しろ! テメーの頭も『ぼんぼり』だ。原型を失くしてやるぜ」

パイプの先を後ろ斜め上に向けたギドンがジワリと詰め寄るとサラマ―は、嘲笑しながらギドンを誘い入れた。

「いつまでもグダグダ言ってないで、とっととかかって来なさいよ」

ギドンは一歩足を前に踏み出すと、袈裟懸けに近い横殴りのスイングで、大きな気合とともに勢いよく襲い掛かって行った。

「食らえ―――ッ!」

しなりながら唸りを上げてサラマ―の顔面を襲ったパイプは、サラマ―の左の頬の肌に触れたところでピタリと止まっていた。勿論、攻撃したギドンの態勢も、その瞬間を切り取ったように、「マネキン人形」のごとく、ピタリと動きが止まっていた。

 この時サラマ―は、「フェムト秒」と言う名の超異次元の別世界の中に入っていた。

 「フェムト秒」とは時間の経過を表現する単位のことで、1フェムト秒は0、0と小数点の後にゼロが14個も並ぶ秒数で、1秒で地球を7周半する光の速度であっても0,0003ミリしか進めない。1フェムト秒は目にも止まらぬ速さで「一瞬の時間」と言ってもよい。

 空飛ぶ鳥も、そよ吹く風も、あらゆる物が停止している空間で、サラマ―だけが動き出した。

 左の頬に触れていたパイプから、ヒョイと頭を下げてパイプの下を掻い潜り、元の位置に顔を戻したサラマ―は、右の頬をパイプにそっと近づけた。

頬がパイプに触れると同時に、再び、時が動き出した。

袈裟懸けで勢いよく振り下ろしたギドンのパイプは唸り音を上げながら空を切ってサラマ―の顔面を通り過ぎると、広い通りの石畳を激しく叩きつけた。

 乾いた金属音とともにパイプは大きく弾かれて宙を飛び、勢い余ってバランスを崩し前のめりになったギドンの腰に背後からサラマ―の強烈な回し蹴りが入った。

―――

 現場では、真央たち親子3人と外人を含めた多くの観光客たちが、誰が言うとも無しに隠し撮りのロケだと信じ切り、まるで透明の一本のロープが胸元で張られているかのように、それ以上、奥には進もうとはせず、激しく闘う美女とタイガーマスクを、心躍らせながら眺めていた。

 固唾を飲みながら見守る中で、思わず真央は小さな声を上げた。

「凄い!」

 迫力の有る格闘シーンに、同僚の静香も納得した。

「本気で闘っているみたい。『ぼんぼり』だって、地中からホントに抜き取ったように見えた」

 二人の意に反して、間に立っていた母親の小百合が小首を傾げた。

「……おかしいわねぇ?」

「……何が?」

「あれは演技じゃないわよ。どこからどう見たって、二人は本気モードで闘っているわ」

「お母ちゃん。そう見せるのが役者さんなのよ。タレントなのよ」

「……そうかしら?」

「きっとそうよ。お母ちゃんの思い違いよ」

「そうじゃないの。タイガーのマスクを着けているから私たちが勝手にそう思い込んでしまってて、ホントに争っているわ。その証拠に地面を叩いた時に火花が出たし、今も二人は切れ目なく闘っているじゃないの。私、ちょっと確かめて来る」

「やめてよ。本当に争っていたら危険じゃないの。隠し撮りだったら邪魔になる」「心配ご無用」

「危険を感じたら直ぐに戻って来るし、もし隠し撮りだったら通行人の登場でリアル感が出て歓迎されると思うの。だから、あなたたちはここで待っていなさい」

 案ずる真央の言葉に応じることも無く、闘う二人に向かって小百合はゆっくりと歩き出した。

―――

背後からサラマ―の強烈な回し蹴りを腰に受けたギドンは、顔面が地面に激突する寸前だった。咄嗟に諸手を伏せて顔をカバーすることが出来ず、虎顔のギドンの大きな鼻はペシャンコになるほどに激しく地面に叩きつけられた。

 半身を起こして座したギドンの顔に出血は見られなかったが、大きな鼻はブタの鼻のように潰れ、全く別の虎の顔になっていた。ギドンは訳が分からなかった。何が起きたのか分からなかった。

「なぜだッ!」

 知らぬ間にパイプを手にしていたサラマ―は、ギドンの首元にピタリとパイプを当てた。

「私の問いが先よ。でないと、あんたの首が飛ぶよ」

「何が聞きたい?」

 首からパイプを離したサラマ―は、ギドンの「こめかみ」を軽くコツンと打ち付けた。

「魔餓鬼はどうなったの?」

「だから何のことだ?」

 パイプをこめかみから側頭部へと移行させながら

「復活したのかしら? 私のように、アララと奪衣婆は……」

「誰だ? アララってのは……」

 側頭部からパイプをゆっくりと上部に移行させたサラマ―は、ゴツンと手荒くギドンの脳天に落としたが胡坐あぐらを組んだギドンは微塵の顔の歪みも見せず、フンとソッポを向いた。

「ラストにもう一度だけチャンスを上げるわね。教えて貰えるかしら、快炎鬼と名乗っていた男の行く末を……」

 とうとう堪忍袋の緒が切れ、ギドンはひたいに青筋立てて激怒した。

「いい加減にしろ! 何を訳の分からねーことを言ってンだ! バカヤロー!」

激怒するギドンと違ってサラマ―の表情は冷めていた。ギドンは本当に魔餓鬼と奪衣婆たちのことを知らないようだ。これ以上、ギドンに聞く必要は何も無い。このまま立ち去ってもよかったのだが、相手は祇園界隈のドン的な妖怪であり、サラマ―の頭部を狙って打ち砕きに来た男でもある。無慈悲なサラマ―は脳天に置いていたパイプを素早く後方に引いて身構えると、座しているギドンの頭部を狙って横振りで殴りつけた。

                                 続く



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