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魔犬サラマー その3

 赤色回転灯を車の屋根の上にポンと取り付けた白いセダンの覆面パトと数台のパトカーが、道幅の広いバス通りを次々と走り去って行くと、沿道で立ち止まった国内外の観光客や通行人たちは、一体何事が起ったのかと驚きと心配の表情を浮かべながら見送っていた。

病院近くまで次々と集結して来たパトカーと白バイは、スピードを落とすと、サイレンの音を消して近づいた。すでに上下線の両サイドには警察関係の車両が駐車されていた。集結して来たパトカーがその背後に連なるようにして駐車すると、所轄の警官たちはそれらの対応に慌ただしく動き廻り、現場を遠くから見守っている多くの見物人たちからも、その物々しさと仰々しさが判別できるほどの大騒動になっていた。

―――

 5階4人部屋の窓際で、ぼんやりと外の景色を眺めていた長身の「和田」は、次々と表通りの路肩に集結してくるパトカーなどの警察関係車両の多さに驚かされた。

「マジか?」

 パッ!と振り返った和田は、同室で同年代の若い男性患者3人に緊迫した外部の状況を告げた。

「スゲーことになってるぜ」

 四つに区切られていたカーテンはオープンの状態で、ベッドの上で読書やテレビ鑑賞をしていた残り3人は一斉に和田を見た。

「どうした?」

「パトカーがワンサカ集まって来てるぜ。どっかの誰かさんを捕まえに来たのかも知れねーな?」

 顔は青白く細身の東郷が、隣のベッドでテレビを観ていた小柄で色白の後藤を指差した。

「お前じゃねーのか?」

「えッ?」

「早く逃げろ! 捕まるぞ!」

 慌てて逃げようとしてベッドから飛び降りた後藤は、ピタリと動きを止めると、口を尖らせながら東郷に問い返した。

「なぜ俺が逃げなきゃならねーんだ?」

 東郷は怒ったように、ぶっきらぼうに言い放った。

「知らねーよ。冗談で言ったつもりだったのに、こっちの方が逃げる理由を聞きてーくれーだ。心当たりが有るから逃げ出そうとしたのじゃねーのか?」

 東郷の問いに答えずゆっくりと窓際に近づいた後藤は、和田の横に並び立つと、騒然としている下の様子を見ながらおもむろに呟いた。

「小学5年の時だった。親父から言われたことがある。『ワシのようにヤクザと警察の世話には絶対になるな』ってね。事情が有って別れてしまったが、親父が残したその言葉が、警察を嫌がる遠い原因になっているようだ」

 眼下の騒ぎを見ながら和田は、しみじみと言った。

「それは一種のトラウマだ。親父さんがどういう仕事をしていたのか知らねーし、エラそうに言えた柄でもねーけど、人間ってモノは色ンな重いモノを背負って生きている。だからってワケじゃねーけど、知らねー間にトラウマになっちまい、自然とヤクザと警察を嫌うようになったのじゃねーのかな?」

 二人に近づき横一列に並び立った東郷は、腕組をして騒動を見下した。

「俺と一緒じゃん」

 話しの中に入って来た東郷を、後藤は怪訝な顔で見つめた。

「警察は正義の味方、弱い者の味方だと言ってるが、あれはテレビや映画の中だけの話だ。全部が全部とは言わねー。そりゃあ中には立派な警察の人間がいるかも知らねーが、警察ってのは相手が弱いと知ると結構強く出て来るもんだ。先日もスーパーで婆さんが『ちらし寿司』を万引きした容疑で三日間半にも渡って身柄を拘束されてたっていうのに、強い方の政治家の『裏金問題』は、今年も記載漏れだと言って素っとぼけてやがるぜ。メッチャ悪質だってーのに、毎回毎回、規制法改正案とか何とかで一件落着だ。今の世の中、余りにも不公平過ぎて『どうなってんだ』と俺は言いてーよ」    

僅かに遅れて幸本が、ゆっくりと3人に近づいた。

「どうもこうもねーよ。3人とも司法や行政にある程度の期待を持ってるから腹が立ってくるんだ。俺のように何一つとして期待してねー人間は、『おい、おい。またかよ』で呆れて済むだけだ。悪いことは言わねー。警察とか政府には期待をするな」

 自嘲気味に話す幸本に、黙って聞いていた和田が青筋を立てて怒った。

「バカ言ってンじゃねーよ! 若けーくせに夢も希望も捨てやがったテメーのような大バカ野郎がいるから、この世の中、ちっとも良くならねーんだ! テメーのようなクソ野郎はとっとと捕まり、腐ったその性根を叩き直して貰えッ!」「な、なんだとォ!」

 後藤が慌てて二人の間に割って入った。

「体力もねーのにケンカなんかするなよ! ケンカするんだったら退院できるほどの身体になってからにしろよ!」

二人とも反論はしなかった。眼下の騒ぎとは真逆に4人部屋は冷たくどんよりとした重い空気が漂い始め、静寂な部屋に変わっていた。

―――

 所轄の警官に案内された丈二と政岡たちが向かった先は東病棟・905号室の前だった。病室前には「立入り禁止」のテープが物々しく張られ、室内では鑑識課の職員たちが現場検証を行っている様子がつぶさに窺い知ることが出来た。政岡たちとともに鑑識が終わるのを廊下で待機していた丈二は、病室番号を見て愕然とした。

「なんてこった。イヤな予感が的中だ。俺がこの病室を訪れるのは、これでもう、三度目だ」

「一度目は、俺が『快炎鬼』だった頃、奪衣婆と共にこの部屋の前に来た時だ。出入り口のドアは内部から凄まじい勢いで外に吹っ飛ばされ、部屋の前の壁に激突したドアは、無残な形でこの廊下の床に散らばっていた」

「二度目に来たのは真央が交通事故で緊急搬送された時だ。そして、真央が入院したのがこの病室だ。因縁めいたイヤな繋がりはそれだけじゃない。天邪鬼の娘の『アララ』が消えたのも又、『この病院のこの病室』だ」

 病室から出て来た鑑識課の若い職員の男が、部屋の前で待機していた刑事たちに声をかけた。

「鑑識、終了しました。どうぞ」

 白手袋をしながら刑事たちは、張られていたトラテープを潜り抜け、鑑識課の職員とともに室内に入った。

―――

 現場検証に於いて誰がどこを担当するかは決まってはいない。刑事たちは誰に指示される訳でもなく、その時の状況、その時の成り行きで阿吽の呼吸によって自分が担当するべき場所を選択し、それぞれの場所へと移行して行った。

 鑑識課の若い男性職員に案内された森野刑事は、若者が横たわっているベッドに近づくと合掌して冥福を祈った。

 ベッドに寝かされた若者の目はすでに閉じられていた。首を保護していたコルセットは取り外され枕元近くの小さな台の上に置かれてあり、粉々にされた両手足のギブスからは僅かに血がにじんでいるように見える以外、血痕は一滴として残されておらず、現場検証を続けている森野刑事には、若者は安らかに眠る遺体のように感じた。

 合掌を終えた森野刑事は振り返り、背後に立つ職員に質問した。

「殺されたようには見えん。何やねん? 死因は……」

 コルセットを手にした職員は、森野に差し出して見せた。

「この頸椎カラーを見て下さい」

提示されたコルセットに、森野は顔を近づけた。

「事故で元々痛めていた頸椎けいついを、細くて短い鉄棒かパイプのような物で一撃されています。頸椎が粉砕骨折してしまったのが致命傷になったと推測されます。おそらく、即死状態だったかと」

「即死?」

「はい。この部分をよく見て下さい」

 ゆっくりと若者の身体を横に向けた職員は、セットされていたコルセット跡の一部分を指差し、僅かに残っていた首の傷跡を森野に示した。

「人間の首の骨というのは早々簡単には折れない仕組みになっているのですが、解剖するまでも無く犯人は簡単に首の骨を折っています。凶器が金属ですと、頸椎カラーの傷跡は均一になって衝撃を受けて凹みますが、この傷跡はそうではありません。謎の凶器で首を殴られた可能性が有ります」

「言うてる意味がよう判らん。何やねん? 謎の凶器と言うのは……」

「そうですね。例えて言えば、肉片で覆われた鉄筋かパイプのようなモノで一撃されたように感じられます」

 職員の説明に森野は、納得出来なかった。

「おいおい。犯人はわざわざ凶器に肉を巻いて、ガイシャ(被害者)に襲いかかったっちゅーんかいな?」

「そうです。手刀が謎の凶器に相当しますが、手刀では強固なPVC(塩化ビニール樹脂)製の頸椎カラーをこのようにすることは出来ません。空手の有段者であっても無理だと思います。とても人間の仕業とは思えません。人間でしたら化け物のような怪力の持ち主でありながら、女性のように柔らかで華奢きゃしゃな手の持ち主だったということになります」

 森野は苦笑した。

「そんなヤツ、おらんやろ?」

若い鑑識課の職員は、森野につられて苦笑した。

「……ですよ。ねぇ」

森野刑事はきっと姿勢を正すと、険しい表情でおのれいましめた。「笑いごとやない。見た目は穏やかな死に見えるけど残酷で無残な殺し方や。どんな角度からでもええさかい、ホトケさんの為にも、もっとしっかり調べてやってくれ」

「了解しました」

―――

 警察官に案内されて部屋に入って来た担当ナースに政岡が、手帳にメモしながら、ドアの近くで事情聴取を行っていた。

「部屋には被害者が亡くなる直前まで、見舞客が居たんですね?」

「はい」

「その人の、お名前を教えて頂けるでしょうか?」

「川添美也子さんです」

「……何歳くらいですか?」

二十歳はたち過ぎの人です。私には亡くなった舟木さんの恋人のように見えました。彼女は聡明なだけでなく、とても爽やかな女性です。以前に舟木さんから伺ったお話では、京都美大の学生さんだと仰っていました」

「その、川端美也子さんなのですが……。当日、何か不審に感じたようなことは無かったですか?」

「はい、何も……。いつも通りの明るい感じのお嬢さんでした」

―――

 部屋の中央に立っていた丈二は、天井に設置されている一個のスプリンクラーを、険しい表情で見つめていた。

「あの時、俺は目撃した。僅かであったが天井には火炎放射器かガスバーナーで焼かれた焦げ跡が残っていた」

 目先を足元に移した丈二はその場にしゃがみ込むと、白手袋の指先でサラリと床をなぞった。

「不審に感じたのはそれだけじゃない。勢いよく水が噴き出すスプリンクラーの下には、ずぶ濡れの白衣と一本のペン。そして、聴診器だけが残っていた」

 すっくと立ちあがった丈二は、窓の外に目をやった。

「俺と同様に天井の焦げ跡を見上げながら『西獄龍のリュー』が言った。『まるでゴジラだな』……と。ゴジラはともかく、火を噴き出す犬なら俺は知ってる。珍皇寺の境内で『閻魔の息子の魔餓鬼』と共に地獄の底から出て来た悪魔のような犬だ。リューに続いてエバも言った。それは『魔火丸のことね』……と」

 当時を回想しながらおもむろに、丈二は窓際に近づいた。

今は頑丈なサッシだが、リューと奪衣婆たちと病室に飛び込んだ時は、すべてのガラスが吹っ飛び、サッシの上部が少し歪んでいた。

「俺たち4人が羅獄殿を発つ時に、閻魔が教えてくれてたので魔火丸の正体は既に知っていた」

閻魔の一言一句を、丈二は思い出した。

「あの犬は、以前は『神犬しんけんサラマ―』として、時にはあがめられ、時には畏怖いふの念をいだかれるほどの犬だった。ところが、似た者同士と言おうか、るいは友を呼ぶとでも言うべきか。神犬だったサラマ―が魔餓鬼と行動をともにするほどまでの駄犬だけん凶犬きょうけんちぶれてしまったということだ。堕ちぶれた犬だからと言ってサラマ―を決してあなどってはならぬ。神犬サラマ―は、今は『魔犬』と化してしまった化け犬だ」

「心してかかれ!」

激励とともに現世に送ってくれた閻魔を思い浮かべていた丈二の顔が、僅かに曇り始め、不安と疑心の表情が現われた。

「復活したと言うのか? 『魔犬サラマ―』が……」

 丈二は確信した。

「大いに有り得る話しだ。閻魔の息子の魔餓鬼とともに自爆したこの俺が、奈落の底から舞い戻って来たんだ。『魔犬サラマ―』が復活したからと言って、何の不思議も無い」

 ドア付近が騒動しかった。数人の警官と何者かが揉めているようだった。

 背後で騒ぐ気配を感じた丈二がクルリと振り返ると、警察官たちの制止を振り切った川端美也子が髪を振り乱し、悲鳴にも似た声を上げながら、ベッドに駆け寄るところだった。

「イヤアアア―――ッ!」

 ベッドに近づき両膝をガクッと床に付けた美也子は、号泣しながら舟木の遺体に抱きつき絶叫した。

「なぜよ! どうしてなのよォ―――ッ!」

―――

京都五花街の一つ、祇園甲部の歌舞練場(京都市東山区、国登録有形文化財)が震度7の地震にも耐えられる改修工事を約3年間で終え、芸舞妓げいまいこによる春の公演「都をどり」での「こけら落とし」が関係者にお披露目されたのは2024年の4月のことで、オープンされたのは5月15日のことだった。

オープン当日は芸舞妓が拍子木を打ち鳴らしながら祝い言葉を歌う「手打」や京舞井上流五世家元の井上八千代さんが地唄「倭文やまとぶみ」を披露して喝采を浴びた。

臈長ろうたけた美貌を持つ女性に変身していた「魔犬サラマ―」は、女性用のバッグも持たずに手ぶらで、花見小路の人混みの中をゆっくりと、周囲の風情ふぜいを楽しみながら、ぶらついていた。

華やかな花見小路に沿ってサラマ―が通りを進むと、通りの奥に東山区の祇園を代表する格調高き祇園甲部の歌舞練場(有形文化財)建物が見えてきた。

花見小路と違い歌舞練場に通じる広い石畳の通路は人通りも少なく、サラマ―は軽くステップを踏みながら奥の歌舞練場に向かうと、花壇ブロックの上で一匹の茶トラ猫が暖かな冬の差しを浴びながら気持ちよさそうに眠っていた。眠れる猫の前でしゃがみ込んだサラマ―は、人間に話しかけるように声をかけた。「よかったわ。今度もここにいてくれて……。私を『生の六道』まで道案内してくれた仲だから、お願いがあって、もう一度ここに来てみたの」

何の反応も見せず、猫は眠っている。

「聞こえてるのでしょう? 答えなさいよ。ギドン……」

 鬱陶しげに目を開けた猫は、鋭い眼光でサラマ―を見上げた。

「どこの世界の妖怪か知らねーが、なぜ俺の名を知ってる?」

「あらま、とぼけちゃって。以前にあんた自身が言ってたじゃないの。どこのクソ猫どもが言い始めたのか知らないが、俺は祇園街ぎおんがいで巣くっているドン的存在の妖怪だから、祇園のドンで『ギドン』と呼ばれるようになったって……」

「言った覚えはねーぜ。テメーのような胡散うさん臭いオチャラケ野郎の妖怪に、この俺さまがギドンと呼ばれるいわれを話すハズがねー」

「オチャラケ野郎の妖怪ですって!」

「そうとも。間違っているなら訂正してやるぜ。テメーは、ふざけやがったクソ野郎の妖怪だってことだ!」

「……クソ野郎?」

「そうだ。臭い立つほどのクソだ」

 出会って僅かな会話だったが互いに礼儀を欠いていた。すっくと立ち上がったサラマ―は、憎々し気な表情で声高に言い放った。

「ふざけているのはどっちの方よ! 下手に出ていればいい気になって、なにが『祇園のギドン』よ! このクソ化け猫がッ!」

「なんだとォ?」

「何よ! やるってのかい」

「おもしれー」

 おもむろに身を起こしたギドンは、鼻でせせら笑うようにして応えた。

魑魅魍魎ちみもうりょうのように人語を話せるバケモノは、このギドン様が足腰立たねーほどに、叩きのめしてやるぜ」

今にも飛びかかろうと身を丸め、虎視眈々とギドンが身を構えれば、一歩、大きく足を引いたサラマ―は、冷たい視線で出方を窺った。

                                 続く


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