第六十三話『一つの結末』
白光は破壊の痕跡だけを残しながら、完全にこの地から消え去っていった。
かつて魔女が自らつくり上げ、何時しか飲み込まれた魔神。彼らの残り香など欠片も無かった。
見えるのは半壊した本邸と、そこから見上げられる空。何時しか陽光は傾き、もう世界は夜を迎えようとしている。
「ねぇ、グリフ」
「どうした、ヴァレット」
ヴァレットは俺を両手で抱えたまま、茫然とそれを見ていた。自らが吐き出した熱量の多寡を測りかねているようかのよう。
数秒、じっくりと言葉を探してから彼女は言う。
「……もう、座っても良いかしら」
言葉通りの意味ではない。そこにはもっと深く、俺にさえ覗き込めない意味が込められている。
思えば彼女は、走り続けてきたのだ。
殺されかけたあの日。いいや、ひょっとすると物心ついた日から。
命を危機に晒され、多くのものを失い、欠片も心の底から安堵出来ない日々。今を生き抜くために、ただ目の前の脅威を必死に押しのける。
そんな日々を、彼女は駆け抜けた。
果てに反乱の兵を挙げ、内乱を起こす事になろうとも。
――全力で生きようと、あがき続けてきた。
今、ようやくその一つの結末がここにある。
「勿論、この場で寝ても良いくらいだ」
「――そう、よね。もう、良いわよね」
返事をする間もなく、ヴァレットはその場で膝を崩した。そのまま顔から倒れこみそうだったのを、魔力の外殻を展開して受け止める。
寝ているのか、失神したのかさえ分からない。無理もなかった。彼女が全身から吐き出し、世界にぶちまけた魔力は、即座に気を失ってもおかしくない量だ。
少しでも会話ができたのが奇跡だった。
「……これが狂乱魔導の神髄ですか。見れて嬉しいような、見るべきではなかったようなぁ」
「ふざけんなてめぇ。見なかった方が良かったに決まってんだろうが!」
「そうですかぁ。ちょっと興奮するものはありません~?」
ヘルミナとズシャータは流石に健在だった。彼らは相応のレベルを有しているのもあるし、『狂乱世界』を正面から受けたわけでもない。その余波を掠めただけだ。
それでも未だ足元がおぼつかない所を見ると、今のヴァレットの魔力量でも、十分に効果があったらしい。
「そう言ってくれるな。製作者としては、立つ瀬がなくなる。是非見れてよかったと言って欲しいね」
「……あんたなぁ。呑気を言ってる場合じゃないぜ」
眠気眼のまま恍惚としているヘルミナを軽く押しのけ、ズシャータはぐいと顔を突き出しながら言った。
「盛大に使いすぎだ! ゲーム以上の過剰演出じゃねぇか! こんなザマ晒せば、何処の誰だってヘクティアルのお姫様が力を手にした事に感づきやがる。異郷者集団ってのは、俺たち異郷旅団だけじゃねぇんだぞ」
まるで嚙みつくような様子でズシャータが言う。
彼は獰猛なようでいて、案外律儀な男だ。それに義理を通す精神もある。
だからこそヴァレットを抱えたまま言った。
「想像はしてる。異郷者だからと一枚岩で纏まれるわけがないし、まともな人間ばかりじゃないだろう。君らのように破滅を防ごうという集団がいるなら、全く逆に破滅を望む連中がいたっておかしくない」
そこまで過激ではなくとも、例えばこの世界を当初の歴史通りに進めよう。そんな考えに至っている連中がいたとして、何ら不思議ではなかった。
人間が一つの思想や信条の元に纏まれないのは、歴史が証明している。
――新たな世界に来たから、自分たちは同じ境遇をを持つから、一致団結出来る。一つの目的につき進める。
そんなわけがない。絵空事にもほどがある。
ヘルミナやズシャータ、メロン――異郷旅団はまだ大分まともな方だ。現地社会に適応し、協調しながら自らの住処をつくり上げようとしている。
そうでない連中。異郷者が持つ力を頼りに、よからぬ事を考える輩は必ずいるはずだ。
自分の利益にしか目がいかない人間というのは、何処にでもいる。
「そんな連中が今のヴァレットを知って、放っておくはずがない。必ずその裏を知ろうとするし、必ずこちらを利用しようとする。彼らにとってみれば、その先にあるものなんてのは興味ないだろう」
「それが分かってて、なんでここまで――っ」
食って掛かるようにしていたズシャータが、目を見開く。
傍らではヘルミナが、得心いったようにうなずいた。
「ああ。だからこそですかぁ。――私たちを利用するつもりで?」
「おいおい、そこまで性格は悪くない。それに俺たちは、今だって協力関係だろう?」
異郷旅団は、当然に俺たちの裏も表も知っている。ヘクティアルの東西紛争が、なぜこんな帰結を迎えているのか理解している。
仮にここで彼らがヴァレットを殺したなら――他の連中は、異郷旅団がこの力の秘密を抱え込んだと見るだろう。
そうなれば、もはや彼らも平穏ではいられない。破滅ルートをたどる前に、異郷者同士の内紛の始まりだ。そうなれば現実同様、全く先が見通せない明日がやってくる。
「だが俺やヴァレットがいれば、君らも連中の考えが見通しやすくなる。お互い協力しやすい体制を作る。これが一番だろう?」
「……」
ズシャータが、幾つもの言葉を飲み込んだかのように頬をひくつかせた。
別に騙し討ちしたつもりはない。しかし、彼らとの協力体制は随分ぎこちなくなっていた。こうなったら、協力するだけの理由を拵えてやるのが一番良い。
組織というものは、常に理由によって動くものだ。
ズシャータは片手で自分の頭を抑えて言う。瞳には幾つもの感情が宿っていた。
「二度とてめぇは信用しねぇ」
「酷いな。俺は君を信用してるんだが」
「俺がしてねぇんだよ!」
ズシャータが思い切り床に蹴りをいれた。瓦礫同然だった床が、なお一層酷い有様になっていく。
全く、誰が修理すると思っているんだ。
「私は構いませんけどねぇ~。協力できる間柄だとは思ってますし。それにぃ」
怒り心頭のズシャータとは違い、ヘルミナは何時もの様子で言った。
何時いかなる時も、彼女は自分のペースを崩さない。それこそが自分の信条と心得ているかのようだった。
しかし、何故だろうか。今この時ばかりは少し、そのペースが加速した気がする。
「製作者さんなんですよねぇ。なら、まだまだ伺わないといけない事が盛りだくさんですからぁ」
ぎらりと、彼女の瞳が明滅する。
「極北にぽつんと置かれた沼の意味とか、序盤に出てきたっきり再登場しなかったキャラクターの行方とか、思わせぶりな南方の塔の賢者とか、魔女は一体どれくらい存在しているのかとか、そもそもどうして魔女はこの世界に君臨していたのかとか―――」
「わかった、止まれ、ストップ。よくわかった」
「いぇ、止まりませんけど?」
嘘だろこいつ。
「答えて頂きたい事はまだまだありますしぃ。それに、外部勢力に横取りされるよりずっと良いんじゃないですかぁ?」
ヘルミナの視線がズシャータへと向く。彼は不服だと言わんばかりの表情を見せながら言った。
「理屈だけで言うならな。――だが人間ってのは納得が大事だろ。てめぇみたいな、正しいから良いだろうみたいな真似、そう簡単にはまかり通らねぇんだぜ」
ズシャータの言い分は正しい。実際、ヴァレットへの対応でもそれで間違ったばかりだ。
結局俺は、何時だって独りよがりでしかない。今も昔も、そればかりだ。
だが、今ばかりはそれも許してほしかった。
「それに、だ」
ズシャータはくいと顎で指し示すようにして言う。
その先の床では、ヴァレットの魔導によって屋根が失われ、夕焼けが落ちてきている。
そこに、彼女らはいた。
敢えて直撃をさせなかったがゆえに、瓦礫に吹き飛ばされるようにしながらも、まだ原型を留めている。
「どうすんだよ、あいつらは」
ズシャータは瞳を伏せながら言った。きっとそこにどんな感情を乗せるべきかわからなかったのだ。
砕けそうな鎧を身に着けたままの騎士と、彼に庇われるような形で気を失っている彼女。
その生存を、どう受け止めるべきか。ヘルミナにせよズシャータにせよ、決めかねている。
だが、俺の考えは一つだ。
「――ヴァレットにお伺いを立てるとしよう。まずは、傷の手当をしないとな」




