第五十九話『魔導書の覚悟』
翼を伸ばし、固い鉄の兜で視線を塞いだアーリシア。
否、正義の魔女ヴィルターの『使徒』。
裁定者というジョブに相応しい使徒だ。元々から素養があったのだろう。
「ああなっちゃ、話は通じない。能力としてはアーリシアのレベルを引き継いでるはずだ。となれば、俺達は協力すべきだと思わないか、ヘルミナ、ズシャータ」
「私はぁ、構いませんけどぉ」
レベル五十の使徒。ゲームのアテルドミナなら最終戦の水準だ。おまけにゲーム外の存在となれば手の内も明らかじゃあない。
本来なら、複数のキャラクターを並び立てて戦う相手。ここは対立するより、肩を並べて戦うべきだ。
ヘルミナはあっさりと頷いたが、ズシャータが吐き捨てるように言った。
「……何でもかんでも、てめぇの言う通りってのは気に食わねぇな。まさか、ここまで計算ずくだったんじゃねぇよな」
「それこそまさかだ。俺は神様でもなんでもない」
「そうかい?」
ズシャータは匪賊の装飾を傾け、低く構えながら口を歪める。
「てめぇは俺達以上にこの世界を知ってる。胡散臭くて、今一信用しきれねぇ」
「ちょっと、私のグリフが胡散臭いのはそうだけど。そこまで言う必要はないでしょう」
ヴァレット。そこで同意する必要あったか?
「事が終わったら洗いざらい、知ってる事は話してもらうぜ。共闘するなら当然だ」
「そうですねぇ。私も、それくらいは飲んでほしいかと~」
ヘルミナまで乗って来たか。風向きが悪い。ここで断りでもしたら、確実に話がこじれる。
しかし、ならば何処まで話すべきだろうか。俺がアテルドミナの開発者だと彼らにぶちまけるのか。こんな様になった原因も分からないままに。
一瞬の逡巡を挟んで、言葉を魔力で響かせた。
「……良いさ。よく分かったよ、俺に陰謀は向かないらしい」
言葉には諦めを含んでいた。事実、こういうのは向いていない。
今回、俺なりに上手く立ち回ろうとしてみたが、どれもこれも不発だ。結局、必要なのはそんなものではないらしかった。
「全部終われば教えるさ。アテルドミナの開発期間とかで良いか?」
「何? カイハツキカン?」
ヴァレットが小首を傾げるが、異郷者の二人には十分伝わったらしい。彼らは互いの武器をがちりと鳴らし、敵と相対していた。
「どおりで、何でも知ってる面してると思ってたぜ」
「取り合えず、後で一杯お話きかせてくださいね~」
「幾らでも時間は取ってやる。だが、今はその分の時間を稼いでくれ。ヴァレットが砲台、君らが壁だ」
返答はなく、彼らは行動でそれを示して見せた。
ヘルミナは素早く突剣を両手に構え、正面から使徒と相対する。逆にズシャータは匪賊が得意とする高速の空中戦だ。
ヘルミナのレベルは使徒よりも高いが、余裕というわけではない。アテルドミナにおける使徒戦は、相手の権能を理解した上でなければ、たとえレベルが上回っていても猶予なく敗北してしまう。
間合いを取って対応する事が求められるが。
「――アーリシア様には指の一本として、吾輩が触れさせんぞ。逆賊ども!」
問題は騎士たるバグリッシ。出来るなら、彼も殺したくはない。彼が死んでしまえば、それは歴史通りの動きでしかない。
「彼を殺してくれるな。無力化させれば良い!」
「ええ~。面倒なんですけどぉ」
ヘルミナめ。すっかり感覚が麻痺してやがる。ただのエネミーじゃない。人間なんだぞ。
だが一応は考慮してくれたのか、バグリッシを圧倒しながらも命は取ろうとしていない。彼には悪いが、ヘルミナでは相手が悪すぎる。
なんにしろ、本来は敵だったはずの二人が味方に回ってくれたのは助かる。前衛であるはずのアニスがいなかったからな。
二人が前衛になってくれるなら、こちらは存分に後衛としての役目が果たせるというもの。
「グリフ。よく分からないけれど、貴方の話というのは私にもして貰えるのよね」
ヴァレットは唇を尖らせながら言う。まるで目の前で行われている戦いよりも、そちらの方がよほど重要だと言わんばかりだった。
彼女と出会ってから、まだそう時間が経ったわけじゃないが、理解出来た事がある。
彼女は俺が知っている、絶対悪のヴァレット=ヘクティアルで間違いはない。同様の才覚を有し、それだけの熱量を持っている。
だが、決してそれだけの少女ではなかった。寂しがりやであり、嫉妬深く、それでいて自分に自信がない。そんな等身大の人間だ。
決して、絶対悪になるために生まれたのではない。幾重にも折り曲げられ、幾度も染色された結果、彼女はああなってしまうだけだ。
ならば、俺がすべきなのは彼女から離れる事ではなかった。
「勿論だ。思えば、君とじっくり話す時間もなかったな」
一拍を置いて、言う。
「どうせなら、リザに一番良い紅茶を入れて貰って、アニスの武勇伝でも聞きながら話そう」
「! ――ええ。仕方ないわね。公爵位について忙しい私が、貴方のために時間を取ってあげるわ」
頬をたまらなく緩めるヴァレットは、美しいというより愛らしかった。そこには人々を滅ぼし大地を黒に染め上げる絶対悪の面影など、欠片も残ってはいない。
「じゃあヴァレット、そのためにも面倒事を片付けよう。少し、時間はかかるがな」
「今まで通り、魔導を使えば良いんでしょう。すぐに終わるんじゃないの?」
「相手がただの魔性ならな。だが、相手は使徒だ」
狂乱魔導はその多くが対象の状態異常を引き起こすもの。味方へのバフにせよ、敵へのデバフにせよその点は共通している。
だが、相手が使徒となれば抵抗力も高い。そう易々とこちらの思惑通りにはいかない。
それ相応の魔導を拵えてやる必要がある。
「準備時間がいる。君は魔力を集中させてくれれば良いが、一点だけは守ってくれ。使徒を視界から動かすな」
魔導だけでなく、他のアビリティにも言える事だ。原則として各アビリティは対象を視界に捉え続ける必要がある。ゲーム上なら簡単だが、現実ではそうもいかない。
相手の威嚇に怯んだり、攻撃を受けて集中が切れれば即座に魔力は霧散する。
一定の時間を要する魔導の発令には、使用者の精神力が問われてくるわけだ。
「あら、誰に言っているのよ、グリフ」
しかし、俺はその点においては一切の心配をしていなかった。
五年間、彼女を見続けて来た俺は知っている。
「私はヴァレット=ヘクティアルよ。私は特別な力もないし、出来る事なんてたかが知れているけれど」
とっくの昔から、彼女は自分の敵を見つめ続けて来た。
自らの母親、迫害する周囲の人間達、命を突け狙う暗殺者ども。
当時の彼女には力がなかった。抵抗も、反撃も出来ない。ただ足蹴にされ、尊厳を踏みにじられるしかなかった。
それが彼女の根幹をどれほど傷つけた事か、俺には想像も出来ない。
けれど、それであって尚、彼女は彼らを見つめ続けて来た。死を傍らにしながら、それでも最後まで尊厳を手放さなかった。
「私は紛れもなく、貴方の主人よ。貴方の働きを無碍にする事はないわ。安心して励みなさい」
ヴァレットは、決して強くない。決して強く生まれた人間ではない。本当は硝子のように傷つきやすく、今にも壊れてしまいそうな少女だった。
いいやきっと、幾度も打ち砕かれたのだ。その繊細な心には数多の傷と砕けた痕が残っている。
「そうだ、その通りだ。俺は君を信じている。頼むぞ、ご主人」
継ぎはぎだらけの心を、薄い絹のような矜持で覆った少女。
ヴァレット=ヘクティアルの本質はそれだ。砲弾が飛び交い、魔が戦場を席捲する。そんな世界で生きていくには余りにか弱い。
彼女がそんな中で生きていくには、逸脱するしかなかった。才覚のままに振る舞い、自分の心など置き去りにするしかなかった。
その結果が、絶対悪。
世界に適合できない者は、世界を滅ぼすしかない。それだけの能力が彼女にはあった。
だが、本来ならそんな必要はない。彼女は、彼女として生きていける。
いいや、そうあるべきだ。その為ならば。
「――詠唱を開始する」
俺は出来得る限りを尽くそう。
たとえそれが、俺が知るアテルドミナを滅ぼす結果になったとしても。




