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第五十五話『武芸者の金色』

 ――相手の息の根を止めるその時まで、何が起こっても不思議ではあるまい。


 その言葉を、メロンは口内で反芻する。


 アニスの台詞の中に、そんな一文があったかを脳内で探し回っていた。


 十字瞳が、ばちりと光ながら刃の軌道を追う。


「どうした! 幾ら意気地がなくとも、守るだけが脳ではあるまい!」


 アニスは笑みさえ浮かべながら、銀の円を幾度も描いて見せる。刃には息吹が込められ、一つでも受ければその場で四肢か、もしくは首が跳ね飛ぶだろう。


 興奮しているようで、アニスの技は驚くほどに正確だ。


「……言ったろ? あたいが得意なのは守る事。それと、隙を見つけて首を落とす事さ」


 メロンは口こそ開いたが、言葉には全く感情が乗っていなかった。


 本来であれば、アニスを仕留めて早々にヘルミナやズシャータと合流しておきたい所。


 よもやとは思うが、奥にまで行ってしまったヴァレットが何かをしでかすかもしれない。


 このアニスの様子を見れば、懸念は更に深まった。


「それは重畳。だが、これより先はそれも出来んぞ」


 やはり、とメロンは確信した。瞳が瞬き、全身の血液が凝固していく。


 ――本来、アニス=アールビアノというキャラクターは、このような台詞を持っていない。


 無論、この世界は非常に現実的に作られている。日常会話や、簡単な受け答えであれば本来の台詞から逸脱する事も多い。


 しかし、このような戦場。特に命が掛かった場では別だ。彼女らの多くは、与えられた台詞に近い言葉を喋る。


 メロンはその度に、彼女らの機械的な様子に怖気を抱いたもの。


 だというのに。


 メロンの目線の先で、再び刃が煌めく。刃に魔力が集中していくのがはっきりと見えた。暴力的な、刹那的な魔力の収束。


「アビリティ発令――ッ」


「――やめなってば」


 即座にメロンが接敵し、くるりと脚を伸ばしてアニスの刃を叩く。


 紫色に収束しかけた魔が、途端に霧散して消えていった。


「流石にさ、あんたの得意技を出されると面倒だから。正面から受ける気はないよ」


「……ふむ。英雄の子孫たる己も、有名になってしまったものだ」


 メロンは跳ね飛ばした刃が返ってくる前に、即座に一歩を引いて間合いを取る。


 予備動作が激しい『金色一閃』は、一対一の状況でそう怖いものではない。冷静に対処さえすれば、幾らでも防げる代物だ。メロンが恐れるものでもなかった。


 元よりパターンはほぼ全て読み切った。すでにメロンの勝利は確定している。はずだ。


 ――先ほどの一撃が、偶然に過ぎなければ。


「だが、悲しいかな。己は未熟者。異郷者殿と相対するのに相応しい技はあれしかない。勝利とは、無理を通した先にあるものだ。押し通す他はないな」


 メロンは咄嗟に数歩の間合いを取った。


 アニスの性質を考えれば、無理を承知で前進し、『金色一閃』を連打する。そんな想定が頭に思い浮かんでいた。命中率を考えると現実的な脅威というほどではないのだが。


 だが――ここは一つの現実だ。ゲームのように、運が悪い乱数を引いたからロードをする、という無作法は出来ない。


 ならば、何があろうと避けられるだけの間合いを取るのが最善策だった。お互いに攻めきれなくなるが、膠着状態ならば悪い選択ではない。


 無為に『金色一閃』を使用して、隙を作ってくれるならそれはそれで有難かった。


 しかし。


「良いのかな、異郷者殿。如何に守りの名手といえ、離れるは逃亡と同じではないのか」


「別に。戦術でしょ。前に出るばっかりで負けた連中は幾らでもいるじゃん。知らないけど」


「然り。されど、覚えておくが良い」


 アニスが両手で柄を握り、まるで肩に担ぐように刀を構えた。訝し気にメロンの十字瞳が明滅する。


 二人の距離は十歩ほどもある。アニスと言えど一息とは言えない距離だ。メロンだってこれだけの間合いがあれば、十分すぎる程の余裕をもって撃墜してみせる。


 誘っているのだろうか。メロンのそんな疑惑を吹き飛ばすように、アニスは口を開いた。


「たとえ奈落の底であったとして、勝機とは常に前方に輝くのだ。――アビリティ発令」


「は!?」

 

 瞠目する。正気を疑った。この距離で一体何をする気だ。


 だが確かに、紫色の頭髪が魔力によって光を帯び、刀に力が再び集約されていくのが見えた。


 虚仮おどしではない。真実、アニスはアビリティを行使しようとしている。


 何のアビリティを。どうしてこの間合いで。


 自問する暇さえなかった。ただそれは、当然のように始まったのだ。


「ォ、ォォォオオ゛――ッ!」


 アニスが一歩を踏み出しながら、刀を大きく振り上げる。雄たけびは、まるで稲妻を告げるが如く空間を貫いた。


 だが未だ間合いは遠い。メロンは迎撃態勢を取ったまま、その場で足を止めた。


 頭の中で、アニスが保有するスキルを羅列する。膨大なデータが、これだけの距離があれば対応は可能と告げている。


 だからこそ、守りの構えで待ち受ける。待ち受けてしまった。


 ゲーム上のアニス対策なら、完璧だった。


「――『金色一閃』ッ!」


 アニスの咆哮が稲妻を告げる音ならば、その金色は、まさしく稲妻そのものであった。


 視界に映る悉くを容赦せず焼き尽くし、貫き崩す天の頂き。


 人を穿てば人を、木々を穿てば木々を――そうして家屋を穿てば家屋を破砕するのだ。

 

「し、ま……!?」


 アニスが穿ったのは、メロン本人ではなかった。足場であった階段そのものだ。


 メロン相手に放てば話にならないほどの低確率の一撃。しかして相手が動かぬ障害物であるならば。一撃は間違いなく対象へと突き刺さる。


 一瞬の自由落下の瞬間に、メロンは顔をひきつらせていた。


 おかしい。どう考えてもおかしい。こんな行動は、アニスの行動パターンに記録されていないはず。


 障害物相手ならば、攻撃は必中。ノンプレイヤーキャラクターに過ぎないアニスが、そんな仕様を理解して戦術を組んでくるわけもなかった。


 ならば偶然か。違う。明らかに今、彼女は全て理解した上で、アビリティを放ったのだ。


「ぐ、く……っ! 何処、に!?」


 階段が完全に打ち砕かれ、メロンは一階部分へと着地する。予期していなかった出来事だけに受け身をとれず、床に一瞬だけ膝をついた。


 だがその一瞬は、武芸者にとっては悠長すぎたのかもしれない。


「――言ったであろう。受け身となれば、相手の呼吸で戦う事になる。呼吸を受け止めきれなくなった時、それは即ち敗北だ」


 メロンの首筋に、刃が突きつけられていた。


 ここからどう反撃に動こうと、アニスが首を刈り取る方が早い。如何に武芸に精通していないとはいえ、それくらいの事はメロンにも予測がついた。

 

「はぁー……」


 メロンはその場でごろんと横たわる。両手足を伸ばし、声をあげる。


「降参だよ、降参! やんなっちゃうなぁ。この世界であたいが読み負けるなんてさぁ」


「賢明な判断だ。全てを読み切れる人間なぞおらんよ、異郷者殿」


 刃を仕舞う素振りさえみせず、アニスは言った。メロンが降参の様子を見せても、一切油断する気はないらしい。胸中で舌打ちをしながら、メロンは続けた。


「まぁ良いさ。階段がなくなっちゃったら、そう簡単には上に行けないでしょ。それよりも、一つだけ聞いて良いかな」


「? 己にか」


 小首を傾げるアニスに頷きながら、唇を動かす。


 メロンには不思議だった。どうして、現地人であるアニスが先ほどのような――プログラムされていない行動を取れたのか。


 本来であるならば、順当にメロンが勝利するはずだった。アテルドミナ世界のおおよそを、メロンは攻略しきっている。知らない事の方が少ないはずだ。


 それが何故。そんな思いで、言葉を紡いでいた。


「そもそもさ、あんたはどうして公爵側についてるわけ。勝ち目は薄いし、実利は勿論、あんたが重んじる名誉のためにも正しい選択じゃないじゃん」


 思えば、アニスの行動思考を鑑みると、ヴァレット側に加担する事自体がややズレた行いだった。


 本来ならばより名誉ある戦いを、自分の名を大陸全土に響かせるような活躍をこそ彼女は望む。


 公爵令嬢とはいえ、落ち目のヴァレットよりはアーリシアに与する方がまだ納得が出来た。


 その方が、より大きな戦争に参加できるからだ。


「ハハハ、何を言い出すかと思えば。簡単な事だ、当然の事だ」


 アニスは頬から一滴の血を滴らせながら言った。


「本来は利得も名誉も、副次的なものに過ぎない。必要ではあるが、行動の目的とすべきものではない。己は、そんな小さなもののために動きたくない」


 アニスはまるで歌うように語った。それはどう考えても、メロンが知るアニスとは違う。


 彼女は大きく何かを踏み外していた。


 何かが音を立てて崩れ、道理が狂い始めている。


 そんな音を、メロンは聞いていた。それは、メロンが望んでいたものであるのか。まだ分からない。


「――真に満足する生き方とは、後悔しない生き方という事だ。己は、今そのために動いている」

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