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第五十三話『メイドの本懐』

 ヘクティアル本邸が近郊。その河川沿いの戦場に、兵士の声が響き渡っていた。


 この季節、河川は深度こそ膝に水がかかる程度だが、幅が長く渡り切るには時間がかかる。流れ自体は緩く、河川はそのまま湖畔都市レーベックの湖へと流れ込む作りになっていた。


 言わばこの河川は、レーベックと合わせてヘクティアル家を包み込む広大な堀と言えるだろう。


 今のような内乱ではなく、本当の戦時ならば河川を利用した見事な防衛陣地が築かれていたはずだ。


 ナビア商人たるリザ=ベルエストは二角獣バイコーンに跨りながら、興味深げにその地形を見つめていた。


 彼女の特徴的な白髪は、今では『異貌の外衣(アルタ・フェイス)』に覆われ見事な茶へと変色していた。紅蓮の瞳は、主人たるヴァレットのものとしか思えない。


 流石に雰囲気までトレースは出来ていないが、遠目から見ればまず見破れないだろう。


「凄いでありますね。公爵家とは、地形さえも手中にするのですか」


 リザがぽつりと呟いた。言葉には感嘆が滲んでいる。


 本邸の位置取り。膝元である湖畔都市レーベック。そうしてこの河川。全てが計算の内であるのは間違いなかった。自然にこうなった、というよりは人の意図が加えられた地形だ。


 恐らくはヘクティアルに都合の良いように、地形改造を施した歴史があるはずだった。


 商人には到底思い浮かばない発想。商人の思考は、今あるものを如何にして活用するか、という一点に特化している。

 

「リ……いえ、公爵閣下。余り声を出されてはなりません。せめて、口調は直されますよう」


 リザの傍らを抑えるように、エッカー子爵が馬を近づけて来る。


 声は小さく、二人以外の誰にも聞こえないようにしていた。


「大丈夫。誰も聞いていないでありますよ」


 リザはヴァレットの姿のまま、訛りを隠そうともせず言った。


 当然だ。今ここは戦場なのだ。ただの話し声に耳を傾ける人間はいない。


 兵士たちは次々と河に飛び込み、敵の本陣に向け駆けていく。


 雨のような矢が降ったかと思えば、河川に血が流れる。


 誰もが絶叫をあげ、誰もが当然に死んでいく。


 正しく、ここは戦場であった。


「いいえ。少しの不安でも取り除いておくべきかと。戦況は芳しくありません。皆、公爵閣下の姿を支えに身体を奮い立たせているのです」


 エッカーは鉄筋入りの真面目人間だった。一から十まで、道理を尽くさねば気が済まない。


 そんな人間がヴァレットの下にいるのを、リザはおかしく思った。


 何せヴァレットは一から百まで、無茶苦茶な人間だ。特にグリフと噛み合った時は最悪だった。後者に至っては、自分がまともだと思っている節があるのだからたちが悪い。


 むしろヴァレットがああも本性を剥きだしにしているのは、彼が原因だろうに。


 やはり、魔女の遺産などというのはろくでもない。


「承知しましたです。ただ、リザ――私達も、ここで手をこまねいているべきではないでしょう」


 兵数はお互い五千程度。だが河を渡らねばならない者と、岸辺を守れば良い者では、優劣がありすぎる。


 更に言うならば、リザ達は部隊の二千を切り出して遊撃に回しているのだ。実質的に正面の渡河部隊は三千に過ぎない。


 これではいずれ摩耗し押し潰されるのが道理だ。未だ彼らが意気軒高なのは、まさしく象徴たるヴァレットの姿がここにあるからこそ。


 無論、それも時間の問題だった。意志というものは、いずれ現実に敗北する。


「しかし、我らは時間を稼ぐのが役目。これ以上動く真似は出来ますまい」


 エッカーは、生真面目な顔を余計に固くして言う。


 現実でものを語るなら、彼の言う通りだった。


 ――ここにいる反乱兵達は、言うならば全てが陽動。正面部隊も遊撃部隊も、ヴァレットを本邸に突入させる駒に過ぎない。


 最も上手なやり方は、兵の被害を最低限に抑え、こちらが攻めあぐねていると思わせる事だ。


 そうすれば敵は得意になって、ますます守りを固くするに違いない。敵を誤らせないのなら、誤った成功体験を与えるべきなのだ。


 けれども。


「ですが、オジョーサマならばそうしないでしょう」


「は――?」


「オジョーサマなら、ただ膠着を見守る真似はしないと言っているのです。エッカー子爵」


 多少発音に違和感を残しつつリザが言う。


 手にはじんわりと汗が滲んでいる。自分でも何を口走っているのだろう、と思っていた。


「きっと、もっと無茶苦茶をしてみせるし。その上で、兵を見殺しにするような事はなさいません」


「それは」


 口ごもるエッカーに、リザは表情を作っていった。


「それとも、大事のために小事を見過ごすのですか?」


 それこそ、アーリシアがエッカーの領地を政争の道具としたように。


 エッカーの顔がみるみる内に渋くなっていく。意地悪な言い方だとリザも理解していた。


 しかし思ってしまったのだから仕方がない。


 今、ここで戦っている兵達は本気で河を渡る気なのだ。何故なら彼らは作戦の全てを知らない。彼らにまで真相を伝えてしまえば、敵を騙す事さえ出来なくなる。敵を騙すにはまず味方から。


 だから――彼らには嘘をついたまま、使い潰すのか。必要な犠牲として?


 いいや、それはヴァレットやグリフらしくないだろう。


 ふと、リザは自分自身の違和感に気づいた。


 自分は、こうも思想で物事を考える人間だっただろうか。


 本来は、利害で物事を推し量るナビア商人のはずだ。利害で考えるならば、この場ではじっとしておくのが正しいはずなのに。


 知らず知らずの内に、リザは笑みを見せていた。ヴァレット本人と思ってしまうかのような、獰猛な笑みだった。


「エッカー子爵。こちらの強みは軒昂な士気。そうですね?」


「え、ええ。我らは兵数、装備の質ともに劣ります。まだ勢いがあるのは、兵の士気ゆえでしょう」


 足は河の流れに取られ、地の利さえもない。唯一の望みは、遊撃が上手くいけば望みがある、という事くらい。エッカーは淡々とした分析で、自軍の不利な要素を暴き立てていく。


 リザはそれを愉快な気持ちで聞いていた。エッカーの声にはそれでも、色彩が伴っていたからだ。


「ですが、そう、ですな」


 一拍を置いてから、エッカーは堂々と胸を張って言った。


「それは、最初から変わりません。我らは最初から劣勢でした。ですが進み続けて、ここにいます。公爵閣下。何か、お考えでも?」


 何だ。彼も気づいているのではないか。リザはそう思った。

 

「はい。商売と同じです。商人は劣った面ではなく、強みを前面に押し出して物を売り捌く」

 

 リザは軽く手綱を捌き、バイコーンを前に出す。ゆっくりと、視界が動き出していた。

 

「彼らの強みが士気であるならば、全力でそれに投資しましょう」


「ヒヒィンッ!」


 言って、リザはバイコーンの速度を速める。速度という一点を見るならば、バイコーンは魔性でも上位に入る。河川の流れなどものともしない。


「公爵閣下ッ!」


 エッカーと、周囲の護衛部隊たちもそれに続いた。すぐにバイコーンは河へと脚を踏み入れるが、それでも勢いは止まらない。


 リザは思う。


 こんな事、過去の自分ならば絶対にあり得ない行為だ。こうして前線に自ら突撃するのは勿論、そもそもヴァレットに命を預ける事さえしなかったはず。


 何と愚かしく、馬鹿らしい。そう嘲笑してしかるべきだ。


 だというのに何故、自分はこんな羽目になっているのか。


 決まっている。


「ふふ――」


 ――こちらの方がよほど胸が躍るからだ。


 自分を捧げ費やすべき相手を、自分で決められる至福。


 利害ばかりを追い求める人間に、この喜びがわかるものか。世間が謳う利益に、人生の本懐を決められてたまるか。


 狂気と呼ぶならば呼ぶが良い。そんなものは、理解出来ないものを気楽に評する安い言葉ではないか。


 人間の感情が如何に複雑で、如何に繊細で、如何に大胆かを知らない人間の言葉だ。


 リザは頬に獰猛な笑みを浮かべ、バイコーンの手綱を必死に握りながら叫ぶ。


「さぁ立ち上がりなさいツワモノたちよ! 常識を転倒させ、勝利を掴み取るのです!」


 戦場において、自ら前線へと進み出る領主などいない。あってはならない。


 しかしその効果を、リザは知っていた。それに、思っていたのだ。


 ――きっと、ヴァレット=ヘクティアルはこうするのだと。


 ならば、仮初でも彼女を演じる以上、自分はこうせねばならない。


 そこに商人の利害など、もはやなかった。ただリザ=ベルエストという人間がいるだけだった。

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― 新着の感想 ―
伝染する狂乱♪
とうとうリザも覚醒しちゃいましたねぇ! ようこそこちら側へ!!!
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