第四十八話『狂乱せよ』
――鐘が鳴る。鐘が鳴る。
本邸の鐘が、反逆者の侵入を、主人の帰還を告げている。
ヴァレット=ヘクティアルは、ようやくたどり着いた裏門の前でそれを聞いていた。
「――さぁ、もう隠れる必要はないわ。全員で私の家に帰りましょうか」
本軍と遊軍。両者を陽動とし、本命は少数での本邸に対する奇襲。
五十数名程度の数ならば、敵の哨戒に見つからず到着する事は可能。街道を外れ、森林の合間を縫うような進軍は苦痛の極みだったが、ヴァレットの選抜歩兵はそれを見事に成し遂げた。
鳴り響き続ける鐘の音を聞きながら、アニス=アールビアノは思う。
確かにヴァレットは、五十の歩兵を本邸へと帰還させた。最も早く、最も効率的な決着を望む電撃的な奇襲。
それを提案したのも、こうして実現してみせたのも驚嘆の一言。
だが、とはいえだ。数の上ではまだ劣勢。アニスが本邸へと視線を向けると、すでに簡易な防衛陣地を築いている。
数で劣る攻め手と、準備を備えた防ぎ手。どちらが優位かなど、子供でも分かる理屈。
幾ら本邸そのものが防御に向いた建物ではないとはいえ、百もの兵や騎士に固められればそう簡単には落とせない。
ただでさえ山道を進軍してきたヴァレットの兵は疲弊しているのだ。時間が経つほどに、優勢は明確になるだろう。
苦戦する。アニスはそう確信さえしていた。
「ヴァレット殿。己が前に出よう。敵側も準備はしているらしい。まずは、軽く挨拶をしてやらねばな」
「ええ。お願いするわアニス。グリフが余計な事でも言ったのかしら、随分と準備万端じゃない」
ヴァレットらが辿り着いた本邸へと続く裏門には、十数の兵が張り付いていた。
アニスはすぐさま脳内で計算を弾く。
対応の早さから見るに、本邸内に兵の小部隊を分散して配備。鐘の合図によって兵を集中運用出来るように考えられている。ここで時間をかければ、すぐさま全兵力がここに集結してくるだろう。
だが、だ。
アニスは思わず眦をつり上げる。一つ、予想外な点があった。
第一に駆け付けると思われた騎士どもが出てこない。
アレこそがアーリシア側の主軸であったはず。本邸への奇襲は、騎士を如何に捌くかで成否が変わる予定だった。
彼らが揃いも揃って姿を見せないというのは――。
「――兵を吐いたか」
ならば、取るべき手段は明確。
アニスは即座に判断し、兵へと声を響かせた。
「全兵ッ! 即座に裏門を強襲する! 脚を止めるな、遅れればそのまま死ぬと思えッ!」
「――ハッ!」
言って、アニスは刀を抜いて最前線を駆けた。
まるで存在そのものが弾丸の如く。兵が脱落しかけるのも構わずに、ただ一人で駆けた。
決して無謀ではない。アニスは常日頃は楽観的で、智恵を深く走らせないように見えるが、それは全くの誤解だった。
彼女はその全身全霊を、戦いに捧げているだけだ。使わない機能がどんどんと削り落とされ、必要となる機能が先鋭化するのと同じ。
ただ戦い、ただ勝利する。彼女の生涯は、ただそのためだけに在った。
だから彼女は走った。勝利するために。
「一兵たりとも敷地内に入れるな! すぐに応援が来る! 耐え凌げ!」
小部隊の長らしき兵が、アニスを睨みつけながら言った。
本邸は、どう足掻いても要塞ではない。ただの貴族の邸宅だ。
周囲を囲む壁は精々が大人二人分程度の高さ。門もぶ厚いものではなく、ただ内と外の領域を隔てるだけのもの。
元からして、そう長く保持出来るようには作られていない。護衛の兵も、異郷者やバグリッシが到着するまでの繋ぎでしかないのだろう。
アニスの表情が唇を跳ねさせた。
「アビリティ発令――」
つまり全ての備えは、通常の兵を防ぐためだけの代物。
であるならば。
「――『金色一閃』」
アニス=アールビアノを防げる道理がない。
アラクネの女王さえも屠った金色が、煌々たる輝きを伴って振り下ろされる。極端に命中性能の低いアビリティではあるが、それでも必ず活用できる場面というものがあった。
即ち、対象が決して回避もしなければ、抵抗もしない建造物である場合。それに『外れる』という概念そのものが存在しない場合。
アニスの一閃は、一切の抵抗を拒絶してただそこに振り下ろされる。
――門扉が、金色に両断される。巻き添えになった敵兵があげた血飛沫が、視界の端に見えていた。
「敵は少数! 一息に踏みつぶせ!」
「突撃! 突撃ぃ!」
敵に要たる騎士も異郷者もいないのならば、後は兵士の勢いと数がものを言う。
得てして守る側というものは、心の拠り所を失えば一気に崩れるものだった。門扉が崩れ去った時点で、敵兵の士気は崩れている。
――何より、ヴァレットの兵の士気は異様だった。
瞬きの間に敵兵は打ち倒され、運が良かった数名が逃げ延び、他は全て死体となってその場に転がる。
裏門は制圧したと言って良い。
「ヴァレット殿、ご無事か」
緒戦は文句のつけようがない勝利。
アニスが背後を振り返れば、目を輝かせた兵士と、その間を縫って前へと出て来るヴァレットの姿が見えた。
「ええ、怪我一つないわ。ありがとう皆」
兵らの士気が高い要因の一つは、間違いなくヴァレットがここにいる事だ。
兵というものは常に自分の戦いに物語を求めるもの。
公爵家の令嬢。言うならば姫君とも言うべき存在が、自分達とともに肩を並べて戦っている。
兵の身分で、これ以上の栄誉はない。死んだとしても、それは名誉の戦死だ。
それに。
「だけど、止まっている暇はないわ。すぐに他の部隊がここに集まって来る。それまでに本邸を制圧し、アーリシアを討ちます」
こういう所だ。アニスは感心するように思った。
疲れた表情一つ見せず、兵士の顔一つ一つを見渡すようにしながら言う仕草。その時の優雅な笑み。
たとえ土に汚れていても、その高貴さは失われない。戦場において尚、笑みを浮かべる豪胆さ。
――いいや、狂気。
「行きましょう。本邸に踏み入ってしまえば、全部の兵がこぞって集まって来る。そうなれば兵の数なんて何の意味もない! 私達はもうすでに勝利している!」
アニスは思わず眩暈を起こしそうになった。
ヴァレットの引き起こす熱量に、彼女が呼び起こす感情に。くそう、と愚痴さえ吐きたくなった。
これだ。アニスが手を貸すと決め、貨幣で雇われたはずのリザが手の平を返した最大の原因。
実際は、まだ異郷者がいるのだ。騎士だって少数残っているかもしれない。考えれば考えるほど、悪態をつきたくなるほど劣勢。理不尽とも思いたくなるほどの状況だろうに。
だというのに、ヴァレット=ヘクティアルは決して頭を下げない。
不敵に笑みを浮かべ、泥に塗れながら自分達の勝利を謳って見せる。
「――総員、武器を構え直せ! 己が先陣を切るッ! 一歩たりとも遅れるなッ!」
「オオッ!」
きっと誰も彼もが、そこに魅入られてしまったのだ。
彼女は、出会う者全てを狂わせてしまう。
傍から見れば愚かな行いのはずが、彼女の声を聞けばそれは命を賭けるに足ると確信させる。
アニスは思わず胸中で思った。
グリフめ。貴殿が悪い。貴殿が、ヴァレット=ヘクティアルをここまでにしてしまった。
その責任は、貴殿が取るべきだ。もう、己では手に負えない。
何故ならば、もはやアニスさえもヴァレットに魅入られた側だからだ。
「本邸へ突入後、直ちに敵勢力を排除する! 総員、突撃――ッ!」
アニスの声が、轟音となって響き渡る。もはやそれこそが、ヴァレットの帰還を告げる鐘の音そのもの。
いいや本来からして、領主の帰還を告げるものは歓声であるべきなのだ。
誰もが歓呼を打ち鳴らし、ただその者の帰還を待ちわびる。
であるからこそ領主は領主足りえ、貴族は貴族足りえる。
望まれず、歓声をあげられない者は領主でも貴族でもない。
その一面を切り取るならば、ヴァレットはこの日初めてヘクティアル家の領主となった。公爵家の貴族となった。
彼女にないものはもう、ただ一つだけ。
――自身の片割れとも言える大魔導書だけだ。
「やっぱりこうなるのね、アーリシア」
ヴァレットは兵とともにありながら、自分にだけ聞こえる声で言った。その視線の先にあるものは、未だ本邸に座するであろうアーリシア。
他の誰も、ヴァレットの瞳には映っていない。
「結局、私達は破滅させるか、破滅させられるかしかないのよ」
まるですぐそこに彼女がいるかのように、そう言った。
言葉はすぐに、兵士たちの喧噪に呑み込まれていった。
何時も拙作をお読み頂きありがとうございます。
皆さまにお読み頂け、ご感想など頂けます事が日々の活力になっております。
私事で恐縮ですが、九月度は他原稿などの兼ね合いから、更新が隔日となりそうです。
可能な限り毎日更新とさせて頂く予定ですが、何卒よろしくお願いします。




