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第四十五話『東西紛争』

「ヴァレットはまだ動きませんか。案外、冷静なようですね」


 ヘクティアル本邸の議場で、アーリシア=リ=ヘクティアルが語る。


 俺がその横顔を見る限り、表情に焦りは無かった。むしろ瞳には熱が宿っている。


 ヴァレットの蜂起と進軍。小規模領主たちの反旗。


 ここ一か月ほどで事態は急転しているというのに、むしろこの状況を楽しんでいる風さえある。


 思った以上に、アーリシアの器は大きいらしい。魔力の外殻が痙攣したように軽く震えた。


「は、はい。間違いございません。メイドに渡した波紋石の反応からして、川向うに留まっている模様です」


 声を上ずらせ、顔を青くしたルージャン司教とはものが違った。


 ここ最近はアーリシアへの支持を明確にするために本邸に通い詰めているが、内心は戦々恐々としているのだろう。


 今までルージャンはヴァレットを追放し、アーリシアとデジレとを天秤にかけたつもりだった。


 彼にとってみれば、どちらが勝利しても構わない。どちらにせよ、利益は自分に入り込む。ヘクティアル領内における地位は盤石だ。だからこそ両者の争いには強く関与しなかった。


 だが、ヴァレットがアーリシアの対抗馬として名乗りをあげた今は違う。


 ヴァレットの勝利は、そのままルージャンの破滅だ。ヘクティアル領からは追い出され、下手をすれば司教の身分さえも失う。


 欲深い人間こそ、財産を失う事を人一倍恐れるもの。ルージャンは言葉を続けた。


「……如何でしょう。メイドは反逆者ヴァレットの近くにいるはず。居場所は正確に分かります。異郷旅団の手で、始末を付けて頂くというのは」


「え~。私達がですかぁ?」


 ルージャンの言葉に、ヘルミナが反応する。表情は明らかに不服そうで、眠たげな眼が細まっている。


 それも当然だった。詰まりルージャンは、異郷者による暗殺を提言している。小心者な彼が言いそうな案だった。


 自分の手を汚す必要もなく、他人の力によって邪魔者を排除する。天霊教は常にそうやって肥大化してきた。ルージャンのスタンスは、そのまま天霊教のスタンスなのだろう。

 

「俺はおすすめしないな。それで得をするのは貴方だけだろう、司教」


「な、何を……! 何をいう!」


 まさかアーリシアが頷くとは思っていなかったが、念のため口を出しておく。


「幾らヴァレットが勢いを保っているとはいえ、勢力として優勢なのはアーリシア側。だというのに暗殺紛いな真似をすれば、アーリシアの名前に傷がつく」


 そう言ってから、ヘルミナやズシャータ、メロンらの顔を見た。


「異郷旅団も同じさ。連合王国全土がこの紛争に注目してる。そんな中で暗殺に手を染めれば、今後は暗殺集団とみなされるだろう。それは君らも望む所じゃないはずだが」


「……ま。違いねぇな」


 ズシャータが、言葉を噛みしめるようにして言う。


 暫く思案したようだが、反論すべき材料は見当たらなかったらしい。


「な、ならば痕跡を残さなければ良い! それならば誰も……!」


「それ以上はやめなさいルージャン。グリフの言う通りです」


 アーリシアの一言で、ルージャンの顔色が青から白に変わっていく。血の気が引き、恐怖に身を竦めているようだった。


「証拠や痕跡がなくとも、このような時にヴァレットが死んでしまえば、我々が疑われるのは明白です。もはやヴァレットは個人ではない。勢力と心得なさい」


 個人を殺したいのならば、幾らでも手段はある。暗殺でも、処刑でもなんでも良い。


 だが勢力は違う。勢力というものは個でありながら群なのだ。たとえ一人を暗殺したとしても、継承するものが現われてしまう。


 戦火は燻り続け、ヘクティアル領は内乱の嵐に見舞われるだろう。


 勢力を打ち滅ぼしたいのならば、手段は一つ。


「――正面から迎え撃つしかありません。それをもってヴァレットを打倒し、わたくしこそが正統と証明します」


 アーリシアは堂々たる振る舞いで言った。


 明白な決戦で、兵を瓦解させ勝利する。それこそが勢力を衰退させる何よりの手。

 

「でもさぁ。リ=ヘクティアルの兵がこっちに来れば勝ちなんだし。ご令嬢がゆっくりしてくれてるのは良い事なんじゃないの。知らないけど」


「そ、その通りです。物資ならば天霊教が支援いたします。暗殺が不可能なのであれば、このまま現状を維持し、リ=ヘクティアル家の兵を待たれるのが最善かと」


 メロンの言葉に、ルージャンが息を吹き返したかのように言う。


 実際、リ=ヘクティアル家の精鋭を使えば、ヴァレットが集めた烏合の衆を叩くのは簡単だろう。戦略としては至極真っ当な話だった。


 アーリシアはその意見を受け取って、ちらりと俺を見る。含む所がある視線だった。


「グリフ。貴方はどう思います。率直に答えなさい」


「……俺は君の参謀じゃないし、厳密に言えば味方かも怪しいんだが」


「ええ。その立場から意見を言いなさいと言っているのです。それと、生意気な口がきけるのは今の内です。いずれ、わたくしに服従する事になるのですから」


 一言も二言も多い奴だった。


 ルージャンは勿論、ヘルミナたちの視線もこちらに集まる。まるで茨の椅子に座ってるような、最悪の気分だ。


 ゲーム上の知識も合わせて、頭の中で思案しながら言う。


「……リ=ヘクティアルの兵を使うのは最後の手段だな。俺なら使いたくない」


「どうしてですかぁ、こちらの最大戦力ですのにぃ」


 ヘルミナが眠気眼を大きくして言う。まるで食らいついてくるみたいな言葉だった。こいつ本当に俺に質問するの好きだな。


 俺は外殻の指先で、長机の上に広げられた地図を指さす。ヘクティアル領の全土が描かれた地図だ。


 大きく分けると東部がヘクティアル本家の支配領域。西方がリ=ヘクティアル家と他の分家連中の支配領域だ。その支配領域の中に、中小諸侯が連なっている。


「今ヴァレットに呼応している領主は、多くが東方の諸侯だ。ヴァレットが蜂起したのが南東部だからってのが大きな理由だが。……実際の所、西側にも中小貴族は多い。ヴァレットに共感している連中も少なくないだろう」

 

 今の所、ヘクティアル家の紛争は東部にのみその被害を集中させている。


 その理由は明快だった。


「西側諸侯が大人しいのは、リ=ヘクティアルの兵力が怖いからだよ。万が一西方で蜂起すれば、即座に叩き潰されるからな。だが、もしその兵力がヴァレット討伐のために東方に移動してくればどうなる」


 指先をすぅと西から東へ移動させる。そうなれば、西方の抑えはがら空きだ。


「間違いなく、西側諸侯からも蜂起する奴が出て来る。そうなれば紛争はヘクティアル領全土に広がっちまう。余計に厄介な真似になる。余計に面倒な仕事になる」


 それこそ、歴史イベントの通り。ヘクティアル全土を巻き込む東西紛争が文字通り現われる。


 アーリシアとして、これ以上に厄介な事は存在しない。


「――その通りです。わたくしの兵は西方における重要な抑え。これ以上ヘクティアル領が揺れれば、王家に介入される切っ掛けになりかねません」


 アーリシアが満足したように頷いた。何だそのどや顔は。


 しかし、彼女の言葉は事実だ。連合王国の王家にとって、ヘクティアル家ほど疎ましい存在はない。


 莫大な財力と権勢を有し、王国における発言は時に王家よりも重くなる。この紛争劇は、彼らにとっては最良の機会。


 もし紛争が長期に及び、王家からの調停を受けるような始末になってしまえば、ヘクティアル家はこれから王家の風下に立たされる。多くの利益が流出する事だろう。


「よってルージャン。貴方の言葉は取り入れられません。わたくし達は手元の兵力でもってヴァレットを討ち果たします。その為に、手を打っているのですから」


 他の分家兵力を使用してヴァレットを誘引。胸元深くまでおびき寄せてから一撃で叩き伏せる。これこそがアーリシアの思惑。


 ヴァレットに複数回の敗北を喫したのは事実だが、彼女を誘引するという目的は果たしている。川沿いに展開している兵も、防御を固めつつ切っ掛けがあれば後退する手はずになっているとか。


 アーリシアにしろ、ヴァレットにしろ。恐ろしい女だった。この二人が殺し合いにならないように留めるのが俺の役目だが。果たして俺に何処まで介入できるものか。


 ヴァレットがここまで到達し、アーリシアが屈しなかった場合。俺はどうする。


 俺はヴァレットの魔導書だ。ヴァレットが望むのなら、そのために魔導を展開しなければならない。


 とすれば、どんな状況が最善だ。そこに誘導するための道筋は、まだ見えていない。


 会議が熱を持ちながら進む中、言葉を失っていたルージャンが再び声をあげた。


「お、お待ちください!」


 その声は鬼気迫っていた。アーリシアさえも、ルージャンへと視線を向ける。


 彼は手元の大きな波紋石を見ていた。


「波紋石の反応が、大きく移動しております! 反逆者ヴァレットが動き出しました!」

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