第四十四話『彼女の狂乱』
――我に付き従い、反逆者を討滅せよ。
そんなヴァレットの号令に応じた領主は家格こそ低いが、決して少なくはなかった。
むしろ時とともに、小規模貴族たちはこぞってヴァレットへの支持を表明する。
それはまるで、今までヘクティアルの本家と分家に押し付けられてきた圧力から脱するかのような勢い。
彼らはどういうわけか、分家の統括者たるアーリシアを旧弊の守護者、本家の末裔たるヴァレットを新しき秩序の担い手とみなしている。
本家の一人娘でありながら分家によって追放を受け、しかして自らの窮乏も顧みずロウス子爵領の危機を救った。
その様子が、悪しき旧弊に抵抗する者という印象を与えたのだろう。旧来のヘクティアル家に不満を持った領主たちは、次々にヴァレットの下へと集い始めた。
「さぁて、アニス。お願いね、貴方の好きな戦場よ」
「……ヴァレット殿。己は魔女の力は好まないと、言ったはずだが」
「そうね。でも、力は好むものでも、好まれるものでもない。ただ使うためだけのものでしょう?」
ヴァレットの求心力を最大限に高めたのは、数多の領主の兵を糾合し、戦場へ出陣してからだ。
アーリシアは未だヘクティアルの本邸に君臨している最中。彼女はその地に座するからこそ、ヴァレットの正統性に対抗しうる。
ゆえにヴァレットの前に現れた兵の群れは、リ=ヘクティアル家に付き従う分家。
分家も全体で統制が取れているわけではない。先んじてヴァレットを討ち取る事で、アーリシアへの忠誠を示そうという人間は幾らでもいる。
しかも、彼らは数で圧倒的にヴァレットに勝るのだ。
ヴァレットが諸侯の兵を率い始めた当初、その数は五百をようやく超える頃合い。対して、分家の領主は千程度の兵は軽く操る。
言ってしまえば、ヴァレットの下に集うのは弱者が寄り集まった烏合の兵。長きに渡り訓練を続けて来た分家ら兵とは渡り合えるはずもない。
だが。
「私は手段のために死ぬよりも、目的のために手段を選ばない方を選ぶわ。――『異貌の外衣』。さぁ、兵の姿を眩ませ、変じなさい」
――それは、真向からの勝負であった場合だ。
ヴァレットの兵と相対した部隊は、悉くが奇襲によって打ち破られた。幾ら警戒していても、幾ら見張りを立てていても役に立たない。
異貌の外衣に包まれた数多の兵が部隊へと浸透し、内部から切り崩してしまう。兵というものは、一度混乱すれば二度と立ち直れないもの。
それに、ヴァレットの手元には、そんな部隊に放つ決定打があった。
「気に食わん、気に入らん。万全に戦えず、無念だろう戦士たちよ――」
数多の兵を凌駕し、正面からでも叩き潰してしまう怪物が。
「――だが、このアニス=アールビアノは正面から戦ってやる! さぁ、剣をあげるが良い!」
腕に覚えのある者は、名の通った戦士は、彼女の刃にうち伏せられていく。
ただそれだけでヴァレットの兵は凶悪だった。ただそれだけでヴァレットは脅威だった。
統率の取れない分家を打ち破る内、彼女の下には更に兵が集まってくる。そうしてまた次の戦場へ。
周囲からは不可思議としか思えない光景も、起きてしまえば現実である。
進撃を続けるヴァレットはロウス子爵領の兵を中心に五千の兵を揃え、再び多数の敵と対峙していた。
数は敵も同数か、少し上だろう。ヴァレットにせよリ=ヘクティアルにせよ、ここからは一度の敗戦がヘクティアル家全体の将来に関わりかねない。お互い川越しに陣を築きながらも、数日の様子見を続けていた。
「オジョーサマ、考え事ですか?」
木々で簡易に構築した兵舎の中、リザは変わらずヴァレットの身の回りの支度をしながら言った。
戦地とはいえ、温かいご飯が食べられ、ある程度清潔な衣服が着れる。ヴァレットが人間らしい暮らしを出来るのは間違いなくリザのお陰だった。
「ええ」
ヴァレットはリザが差し出してくれた軽食に口をつけながら言った。硬めのパンが歯に当たる。
「――アーリシア本人が、まだ出て来ていないようじゃない。とすると、グリフもまだあそこにはいない」
冷静なようでいて、その胸中では感情が渦巻いているに違いない。リザはそう推し量って、静かに頷いた。
事実、ヴァレットはまったく冷静ではない。兵をあげて一か月ほどの間に表情を固定するのに慣れただけで、今すぐにこの場で地団駄を踏みかねないほど苛立っている。
何故、アーリシアは出てこない。
兵を集め、戦火を広げるヴァレットの行いは、ヘクティアル領の統治者を気取ろうとしているアーリシアにとって耐えがたい事態であるはずだった。
穏便に権力を握りしめ、陰謀をもって敵を排除しようとしていた彼女。こうも事態が拡大してしまった以上、必ず自らの手で始末をつけにくるはず。
少なくとも、自分ならばそうする確信がヴァレットにはあった。
しかし、アーリシアは一向に出陣してこない。まるで堅牢に守りを固めるように、ヘクティアルの本邸から動こうとしなかった。
もしヴァレットがこの地で勝利を治めれば、間もなく湖畔都市レーベックに辿り着く。レーベックはアーリシア派なだけあって抵抗を見せるだろうが、防衛に向いた都市ではない。アーリシアがヴァレットと相対するならば、この地が最適であるはずだ。
なのに、何故。
「――リ=ヘクティアル本領の兵を待っているのではないのか。奴の拠り所はそこだろう」
簡易兵舎に踏み込んできたアニスが、不満をぶちまけるように口にする。
この所、戦場におけるアニスの声望は高まるばかりだ。武芸者としては好ましい事だろうに、彼女は日に日に表情を険しくしていく。
――魔女の力を使った不意打ち、いわば卑劣な策によって勝利を重ね名を高めても、何ら嬉しくないという事らしい。
如何にもアニスらしい贅沢だった。自身の信念に従うものだけが許される、華美なる精神。
凡人にとっては、彼女は眩し過ぎる。
「とは言っても、リ=ヘクティアル本領からはまだ半月以上もかかるでありましょう」
現在ヴァレットが対峙している兵は、正式にはリ=ヘクティアル家の兵ではない。
アーリシアに忠誠を誓う諸侯がようやく結束し、連携を重ねて出来上がったもの。
だがアーリシアが頼りにするのは、こんな脆弱な連携ではなかった。
遥か西方に存在する、リ=ヘクティアル本家の精鋭たち。一万に近い彼らの力をもってさえすれば、ヴァレットを踏みつぶすなど造作もない。
よってその為の時間を稼ぐのが、対峙している部隊の仕事だ。彼らは守りを固め、攻撃を仕掛けて来る様子さえ見せない。
アーリシアが時間稼ぎのために本邸に閉じこもっているのなら、話は分かりやすいが。
「……いいえ、違うわね」
だがヴァレットは、アニスの言葉をあっさり否定した。口元に手をやって、大胆にパンを引きちぎる。
「何故分かる」
「分かるからよ」
ヴァレットは答えにならない言葉を漏らして、喉を鳴らす。
「アーリシアは、常に陰謀とともに生きて来た。それがただ待つだけの戦場なんて耐えられるはずがないじゃない。私が彼女なら何か手を打つし、実際彼女もそうするでしょう」
それは想像というよりも、確信に近い考えだった。
ヴァレットはアーリシアを憎悪すると同時に、その才覚を誰よりも信じていた。
アレは私の敵だ。敵なのだ。
それが惰弱であるはずがない。失策を打つはずがない。
同じ本邸にいた時よりも、遥か離れた今の方がよほどアーリシアの事を理解していた。
「とすると、ここからどうやってグリフを取り戻そうかしら」
「……貴殿な」
アニスが辟易したように呼び掛けたが、ヴァレットは意にも介していない。
彼女は本気で言っていた。ヴァレットの本心は常にそこにある。
ロウス子爵領で兵を集ったのも。
諸侯を焚きつけてヘクティアル領に戦火を広げたのも。
自ら兵を率いて戦場を造り上げてみせたのも。
全ては、一つの目的のため。
――自身の愛する魔導書を取り戻すためだ。
恐ろしかった。彼女は決して目的を取り違えない。
どれほど偉大な大義も、どれほど美しい名分も、彼女の心を掴まなかった。
彼女はただただ、自身の所有物を取り戻す為だけに全人類を破滅に叩き落とせる。
それこそが、彼女の狂乱。その意図知れぬ熱量は、何時しか人を惑わせ惹きつけてしまう。
「……オジョーサマ。それで、あれば。リザに、考えがございますです」
「考え?」
リザはアニスの分の軽食も用意し終えると、数秒考えてから言った。
彼女が戦場や政治について口出しするのは珍しい。
ヴァレットだけでなく、アニスも彼女へと視線を向けた。
リザはゆっくりと自らの懐から――小さな『波紋石』のネックレスと、布袋を取り出す。
彼女の表情が硬くなり、しかし覚悟を決めたように瞳を開く。
その瞳には、主人に忠誠を誓った者にのみ浮かび上がる色があった。
「こちらを使えば、あちらの出方を伺えるかもしれませんであります」
小さな唇が、囁くようにそう言った。




