第四十三話『彼女の裁定』
「どうか――覚悟をお決めになってください。ヘクティアルの正妻に相応しい覚悟を」
アーリシアの全身を、魔力が最高速度で駆けていく。細剣は踊りでもするかのようにくるりと回り、デジレの目の前に突きつけられた。
これこそが最後通牒であり、最終ライン。これ以上後ろに引く事はあり得ないと告げている。魔の匂いが、アーリシアから沸き立っていた。
アテルドミナにおいては、万人がジョブを持ち、アビリティを保有しうる。
才能という名でレベルの上限こそ定められてはいるが、誰もが戦士と成り、魔法使いに成りえる世界だ。
無論、庶民の大部分はそこまで至らない。彼らはそんなものに心血を注ぎこまない。真に才能ある者以外は、日々の食事を作る事に精一杯だ。
現実においても、万人が英雄になったわけではないように。アテルドミナもまた、万人が成功できる世界ではない。あるのはただ、その下地だけ。
では、アーリシア=リ=ヘクティアルはどうだろうか。
連合王国が枢軸たるヘクティアルの分家。他家の足元に組み敷かれながら、連綿と受け継がれてきた不屈の精髄。屈辱を腹に貯め、反骨を背骨に生き抜いてきた埋伏者の血統。
――彼女の設定上限レベルは五十。そうして、リ=ヘクティアル家が受け継ぐジョブは『裁定者』。
ヴァレットと対立し、初期に死亡する存在という背景ゆえの高レベル設定。まさか彼女を敵に回す展開があるとは、製作途中は想像もしていなかった。
その彼女が、デジレに向けた細剣を軽く揺らす。切っ先は今にもデジレの白い首を貫きそうだった。
「ふざ、ふざけるな。ふざけるな、ふざけるな!? あた、あたしが、こんな所で終われるか!?」
だがデジレは、どうしようもなく現実を拒絶する。
いいやもはや、彼女は現実の住人ではないのかもしれなかった。
「あ、ああ、アーリシア。お前はおかしいと思わないのか! ヴァレットが、あの愚にもつかない女が兵を集めている! 兵を集めて戦おうとしているんだ!」
細剣を前にふらついた目つきで、デジレは口を開く。まるでそれは、自分が本気で殺される事はないと、そう思い込んでいるかのよう。
「あいつが、あの愚図の役立たずが! あたしの人生を台無しにしている! あいつさえ、あいつさえ、生まれて来なければ……!」
「そうですか」
アーリシアの集中が、極限にまで高まっていく。全身を駆け巡っていた魔力が、その瞳に集中していった。裁判官のように厳粛であった表情が、いっそ感情を投げ捨てたかのようにより固く、より冷たくなっていく。
「そう、そうだアーリシア! あんな奴が、まともに兵を率いれるはずがない! あたしが一声かければ諸侯はあんな奴見限って――」
「――彼女を。血を振り絞りながらわたくしの前に立ってみせたあの子を。その程度にしか評価できないのであれば、もはや言葉を重ねる必要はありません」
「な、ぁ……!?」
それは覚悟を決めた顔だった。それは諦めを孕んだ表情だった。
人を殺すと決めた人間は、声をあげなくなる。罵倒しようと、口論をしようと、そんなものは無意味だからだ。何故なら相手は死ぬのだから。
彼女の唇が、アビリティの宣告を捧げようとした。そんな瞬間だった。その表情が、ぴくりと動いた。
「――なんのつもりです? この女は、貴方の主人を侮辱したはずですが」
「憎ければ殺す。物事はそんな簡単に割り切るもんじゃないだろ」
アーリシアの細剣を、魔力の外殻が絡み取っていた。所詮は魔力で操っているだけの代物。やろうと思えば、人間形態から変じてみせるくらい簡単だ。
「あ……ぇ、あ……?」
「勘違いしないでくれよ、デジレ=ヘクティアル。別に俺は君を許したわけじゃあない。許すも許さないも、俺は決められる立場にない」
そもそも、俺にとって彼女はヴァレットの母親という立ち位置でしかない。恨み一つ抱くのだって筋違いだ。
デジレとの関係に決着をつけるのは、ヴァレットが自身の手で行う。そうでなくてはならない。
「アーリシア。悪いが、ここで君に彼女を殺して貰うわけにはいかない。手を引いて貰おう」
「約定が破断となっても構わないと?」
「構わない」
それとこれとは全く別次元の話だった。
アーリシアと結ぼうとしている約定は俺の都合。デジレを生かすのはヴァレットに関する都合だ。どちらを優先すべきかは赤子にだって分かる。
アーリシアの背後で、バグリッシが大剣を振り上げている。騒がずには動けない輩と思っていたが、実際はそうでもないようだ。
精密に、そうして静かに。主人に敵対しかねない相手を一振りで殺さんと狙っている。
単なる忠犬ではない。牙持つ猛獣であった。
一室が、奇妙な緊張感によって極限にまで張り詰める。
「……それが、貴方の忠誠心というわけですか」
だがその緊張は、アーリシアのため息によって破られた。彼女は手元から力を抜き、細剣の切っ先を下げる。同時に、バグリッシも大剣の構えを解いた。
こちらも魔力の外殻を再び手の形に戻し、細剣から手を離す。
「忠誠と言われるとどうかな。俺が勝手にやってるだけだ。ヴァレットには迷惑かもしれん」
「常に主人の思惑通りに動ける家臣などおりません。ですが、主人を思って動くことは出来る。忠誠とはそれでしょう」
まるで、酷く羨ましいものを見るようにアーリシアは俺を見た。
バグリッシが一瞬口を開こうとしたが、彼はすぐに閉じてしまう。まるで主人の為には、こうしているのが一番だと言わんばかり。
「よろしい。この女の命は貴方に預けましょう。鉄の裁きを与えるのがわたくしの役目ですが、一時の猶予を与えます」
「っ、ぁ……ぅ」
極限の緊張と殺意を浴びた混乱からだろうか。デジレはまともに発声さえ出来ないまま、アーリシアの声を受け止めていた。死ぬにせよ生きるにせよ、現実を受け止めきれていないのだ。
アーリシアにしては、安穏な終わり方にしてくれた。
「但し――」
「ッ! おい!」
そう油断したのは、少し早かった。
アーリシアの手元が鋭く跳ねあがる。連動した細剣の切っ先が、銀の閃光を伴って下から上に空を両断した。
「ァ――ァァアアア゛ッ!? ァ、ァアア!?」
銀の閃光は、デジレの顔を左右に両断する大きな傷を造り上げていた。次から次へと吹き出す血飛沫にベッドの色が赤く染まり、苦悶に喚くデジレの絶叫が響き渡った。
浅くはないが、絶命には決して至らないだろうだけの傷。
けれどデジレは、その美貌を見初められてヘクティアルの正妻についた女だ。
誇りであっただろう顔に、アビリティの治療でも消えないだろう傷を付けられる。それは彼女にとって、死にも等しい裁きかもしれなかった。
「――わたくしを陥れようとした罪を裁く権利は、わたくしにあります。よろしいわね、グリフ」
アーリシアは何処か得意げに、出し抜いてやったぞとでも言わんばかりの様子で俺を見た。
血塗れの現場で、そんな表情が出来るとは。こいつも十分な悪女じゃないか。
「……すぐに治療してやれ。苦しめるのが本意じゃないだろう」
「お優しい事。バグリッシ、使用人に手配させなさい」
「はっ」
アーリシアの指示に応じて、バグリッシが手の者に合図を出す。
デジレは治療こそ許されているが、会話を聞くにこれから彼女には一層の不自由しか与えられないだろう。常に護衛と見張りを兼ねた兵士がつき、外出は勿論会話さえも制限されるようになる。
それが彼女に対する正当な裁きなのか、俺には分かりかねる。
「グリフ、今回の出過ぎた真似は許しましょう」
分かるのは、たった一つだけ。
「ですが、考えておきなさい。ヴァレットの命乞いをする時には、どんな風にわたくしに願い出るのか。無礼な真似をすれば、その場で彼女の首を刎ねます」
軽く手元についた血を拭いながら、アーリシアが言う。淡々と、やはり鉄の裁きを告げる裁判官のような声色だった。
間違いない。
――ヴァレット=ヘクティアルの敵となるのは、やはり彼女しかいないのだ。
体内の魔力が脈動する。それはどんどんと速くなっていく。
まるで、主人の接近を告げるかのようだった。
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