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第四十一話『統治者』

 弛緩していた頭を引き締める。今俺にあるものを、しっかりと認識していく。


 全身を流れる血もなければ、肉体を構成する鉄分、筋肉、脂肪さえもない。詰まり俺を俺たらしめてくれているのは、今やこの思考だけだ。


 考えなくなれば、ただ一冊の本が残るだけ。そんな無様な結末は流石に避けたい。


 何しろ、俺のご主人様が動き出してしまった。なら俺一人だけが安穏としているわけにはいくまい。


「入らせて貰うぞ、姫君」


 ヘルミナ達と別れた後、俺が向かったのはアーリシア=リ=ヘクティアルの私室。


 本来ならば当主が居座るはずの場所に、彼女は居を置いていた。メイドの案内を受け、室内へと入り込む。


 内部は、当主の私室というにはやや質素だ。壁と言う壁に本棚が置かれ、贅沢品の類は殆どない。とはいえ、無造作に転がっている万年筆一つを取っても、庶民が一か月くらせる程度の金額はするのだろうが。


「お待ちしていましたよ。どうぞ、ご遠慮なく」


 ここまで俺を案内してきたメイドを目線一つで下がらせて、アーリシアは執務机に向かったまま俺を迎え入れる。


 そこに座り、次から次へと執務をこなす姿が余りに様になっていて、本当に元からここの住人だったんじゃあないかという気になってくる。


「無理を言って悪かったな」


「いいえ、構いませんよ。それで、どうしました。わたくしの配下になる用意が出来まして?」


 アーリシアは一瞬俺に目配せをして、微笑を浮かべて言った。


 彼女なりの冗談だろう。お堅い人間に見えるが、ユーモアを楽しむのも上流階級の条件だ。


「残念ながら、そんな話じゃあない。ヴァレットの事だ」


「……ええ。そうだと思っていましたわ」


 緩んでいたアーリシアの表情が、即座に鉄の仮面に置き換わる。


 公私を混同せず、冷徹な決断をこそ是とする領主の仮面だった。これを相手に交渉をするのは、骨が折れそうだ。


 彼女は殆ど間髪を入れず、言葉を続ける。


「彼女は多くの領主を無暗に焚きつけ、ヘクティアル領全土に混乱をもたらしました。王から領地を預かるものとして、到底許容できるものではありません」


 余りにも軽やかに、余りにも明解にアーリシアが告げた。


「リ=ヘクティアル家の当主として、わたくしが彼女を裁きます。これは貴方やヘルミナが何を言おうと、不変の決定事項です」


 すっくと執務机から立ち上がりながら、アーリシアはそう宣言した。まるで裁判官が、判決を告げるような振る舞い。


 いいやまさしく、彼女の本質はそれなのだ。


 法と規律の番人であり、定めに従って人々を睥睨する。彼女の世界において、過ちは決して許されない。


「君がそうするだろう、というのは分かっている。俺が話したいのは全く別の結末だ」


「別の結末?」


 その場の椅子に腰かけながら、アーリシアの瞳を見る。


 彼女の顔は何処か苛立たし気で、しかし寂しげだった。


「――ヴァレット=ヘクティアルは、事を荒立てて満足するような奴じゃあない。目的を完遂するまで、血を流しても止まらないさ。あいつはここまで来るよ、必ずな」


 アーリシアの世界であれば、先ほどの宣言で話は終わる。


 しかし、この世はそう単純じゃあない。ヴァレットはアーリシアの世界をそう簡単に受け入れない。むしろ先々で踏みつぶして、必ずここに辿り着く。


 何処か、そんな確信めいた感情があった。


「……よもや、貴方」


 アーリシアの頬がひくついたのが見えた。唇が尖り、目元が痙攣している。


 遠縁とはいえ、血が繋がっているだけの事はある。


 怒ったときの具合がそっくりだ。

 

「わたくしに、降伏でも促しているのですか? 異郷旅団との約定を破ってでも、わたくしの敵に回ると?」


 声色が上ずっている。笑顔を浮かべているが、余りある感情がそこに込められている気がした。


 本当ならばこれ以上何も言いたくはないが、そうもいかない。


 俺にも意地というものがある。自分で決めた事くらいは、やってみせなきゃあ嘘だ。


「君の敵に回りたいわけじゃない。だが」


「だが、なんでしょう――?」


 冷徹な瞳が、俺の言葉に食いついてきた。まるで肉食獣のような獰猛さ。


「――君と取引をしたい。もしヴァレットがここに辿り着いたなら、無駄な抵抗はせず、大人しく降伏してくれ。ここに押し込まれた時点で、君に勝ち目はないだろう」

 

 アーリシアの表情を伺いながら、言葉を選んで言う。


 異郷旅団――ヘルミナ達と俺は、一つだけ取引を交わした。


 内容は明瞭。このヘクティアル東西紛争イベントを、ヴァレット=ヘクティアルの試金石にするというもの。


 本来ならばこの紛争は数年を超えて継続し、数多の死傷者を発生させる。その結末にあるものは、ヴァレットの勝利。即ち、アーリシアの死亡だ。


 だがもしもこの点を動かせるのであれば、他のイベントも、結末だけは好きに変えられるという事になる。


 そうすれば――異郷旅団がヴァレットを必ず殺害しなければならない、という理屈は消える。

 

 彼女を救える。


 だからこそ、色々と材料を差し出して、この東西紛争の結末までは見届けてくれるよう彼女らに頼んだ。


 約定がどこまで異郷旅団を縛り付けてくれるかは分からないが、一定の足止めにはなるだろう。


 後はアーリシアとヴァレットが死なないように事を運べば俺の思惑通りだが――。


「――領主たる者に、降伏を勧めますか。それでいて、敵対する気はないと。なるほど」


 淡々と、笑みを浮かべたままアーリシアが言う。表情とは裏腹に、どんどんと声に込められる感情が強まっていく。彼女の瞳の中に、俺一人が浮かんでいた。


 ぐいと、彼女が俺の手を取って引き寄せる。


「貴方、わたくしを侮っていますわね? よぉく分かりましてよ。わたくしが、彼女に敗北すると暗に思っているのでしょう」


「……逆に君が彼女を追い詰めたなら、降伏するよう説得するさ。出来る限り血を見ない方が良い。違うか?」


「ふふふ。やはり、侮っておられますのね、グリフ」


 アーリシアの瞳が炯々と光ながら、一切の動揺なく俺を正面から見据える。まるで相手の呼気が伝わってきそうなほどの距離。


 瞳は猛禽のそれであり、吐き出す言葉は猛獣の如く。


 鉄の規律によって抑え込んだ彼女の本性とは、即ちこれであるのかもしれない。


「――わたくしが敗北するはずがない。わたくしが追い詰められる事などあり得ない。ですから、そんな取引には意味がありません」


 理解する。やはりこの女は、ヴァレットと同じ血脈に連なる者だ。


 アーリシアは、利害によって人を統治する。


 ヴァレットは、感情によって人の上に君臨する。


 違うようでいて、だがその根幹にあるものは同じだ。


 透明にも思える、純然たる傲慢。


 彼女らはきっと死ぬその時まで、自らの敗北を認めない。いいや死ぬ間際まで、勝利を夢見ている。


「グリフ。丁度良い。わたくしに付き従いなさい。下級貴族が群れとなって起こした反乱など、一息で沈めて御覧にいれますわ。それを見れば、貴方も理解するでしょう」


 アーリシアは、まじまじと俺の顔を見るようにしながら言った。


「わたくしと彼女。どちらが貴方の主人に相応しいか。それとも、この場で誓ってみせますか?」


「何を誓わせる気だよ。君の従士になる気はないと言ったはずだが」


 苦し紛れのように、声を出した。アーリシアはくすりと微笑むように頬をつりあげて言う。


 それは何処か、人間らしさを失った笑みだった。統治者たるアーリシアの魔性がにじみ出た表情であった。


「ええ。ですが、あの子の命は助けたい。そんな我儘は通したいのでしょう。何かを得たいのなら、対価を差し出すべきです」


 猛禽が獲物を捕らえたような瞳で言う。


 彼女の両手が俺の肩を掴み込み、魔力の外殻そのものを拉げかねさせない勢いだった。


「あの子の命は助けたいのなら――貴方はわたくしに服従を誓いなさい。取引とはそういうものです」


「……君がお姫様じゃあない事は、よく分かった」


 俺は馬鹿だった。


 少し前に、ヴァレットを甘く見過ぎていたと後悔したばかりじゃあないか。


 ならば、どうして。アーリシアを甘く見積もっているのではないか、と考え付かなかったのだ。


 アテルドミナにおいて、アーリシアは歴史イベントでヴァレットに敗北する運命だ。ゲーム上で大きな役割を果たす事はなく。ある意味、彼女の死を合図に大陸は動乱に包まれていく。


 だが、同時に。


 ――絶対悪たるヴァレット=ヘクティアルと対等に渡り合ったのは、アーリシア一人だけなのだ。


 彼女もまた、ヴァレットと相対するに相応しい器の持ち主に違いない。


「……アーリシア様、よろしいでしょうか」


「ええ。その場から報告なさい」


 扉の外から、静かな声が聞こえて来る。アーリシアの従者たるナトゥスのものだった。


 アーリシアが無感情な声で続きを促すと、彼は扉の外から答えた。


「ヴァレット=ヘクティアル対処の前に、片づけておくべき懸念が発生いたしました」


 アーリシアは一瞬唇を噤んだが、すぐにため息を漏らし、ぶちまけるよう言った。


「よもや、またですか――叔母様」


 その唇が告げたのは、ただ一人。


 彼女の叔母にして、ヴァレットの実母。デジレ=ヘクティアルその人であった。

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― 新着の感想 ―
こんなにも面白い作品なのに、何故こんなに評価が少ないのか… 露出足りてないんとちゃいます?
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