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第四十話『歴史の転換点』

 ヘクティアルが本邸の廊下。


 剣闘士ヘルミナに抱えられながら、与えられた情報に困惑する。肉体はないはずなのに、脳を走る血流が早まった気配があった。


「流石に……ヴァレットが、そこまで動くとは思ってなかったな」


 率直に、彼女を甘く見てたツケを支払わされた気分だった。


 リザやアニスが彼女を抑え込んでくれる事も期待したのだが。実際は彼女の下で意気揚々と働いているらしい。


「ん~。大人しく出来ない性格なんでしょうねぇ。流石は絶対悪ノクターナ、という所ですかぁ」


「ふんむ。まさか、大魔導書を失ってもヘクティアル全土をかき回すとは思いもしなかったね」


 ヘルミナの言葉に重ねるように、戦場看護師マサカリ・メロンが言った。


 彼女ら二人は相当のプレイ時間を重ねたプレイヤーだと聞いている。双方の予想を覆す辺り、ヴァレットはやはりよほどの規格外だ。


「……いや、だがまぁ。よく考えれば当然だったな。色々と間違えた」


「当然? ってぇと、どういう意味だよ大魔導書様」


 廊下の窓際にすっかり身体を預けた匪賊ズシャータが気怠そうに言った。


 彼はヴァレットの情報を受け取ってから、異郷旅団の支部とこちらとを飛び回っていたらしい。全身から疲れようが伝わってくる。


 本来ならばこのような話は廊下ですべきではないが、ヴァレットによって今や本邸全体が蜂の巣を突いたような大騒ぎだ。


 余所者の俺達としては、こんな場所で話をするしかない。


「俺がいずとも、彼女はヴァレット=ヘクティアル本人って事だよ」


「? そりゃ、そうだろうが……」


 首をかしげて見せるズシャータに、言葉を重ねた。


「行動指針はその性質に依る。別にヴァレットは魔導の力があったから、ゲーム上で覇道を邁進したんじゃあない。元からそういう性格と才覚の持ち主だったってだけだ」


 俺は馬鹿だ。この五年間何を見ていた?


 確かにゲーム上の情報だけを見れば、ヴァレット=ヘクティアルというキャラクターは大魔導書グリフによって狂わされ、道を誤ったように見える。その強大な力がゆえに、人の領域を超えてしまったとも思える。


 だが、俺自身が彼女を鑑定したじゃないか。


 ――君は狂乱属性だ。存分にやってくれ。


 ――敵を翻弄し、味方を鼓舞し、悉くを自分の世界へ巻き込んでしまう狂乱の魔。


 彼女は何一つ手に入れる前から、そうだったんだ。


 この世界は彼女の庭。彼女は生きている限り、悉くを自分の世界へと招き続ける。それこそが狂乱の魔性。


 未だに俺も、ゲーム上のキャラクターを通してヴァレットを認識していた。


 だが。


「あいつは今ここで生きている人間だ。俺がいなくなったから諦めるなんざあり得なかった」


 彼女の命を助けるためとはいえ、勝手に離れて全てが丸く収まると思っていた俺の馬鹿さ加減に嫌気がさす。


 いや真面目に、あいつキレ散らかしてるだろうな。


 別れた当時の台詞を思い出し、思考が冷え切っていく。もしかすれば薪替わりに燃やされるかもしれん。


「うぅん。勢力としてはアーリシア側が優位ですがぁ。歴史通りヘクティアルの東西紛争が起こっちゃった形ですねぇ」


「それはそれで困っちまうよね。あたい達としては、ヘクティアルに弱られて良い事は別にないしさ」


 ヘクティアルの東西紛争は、本家を継承したヴァレットと、アーリシアの兵力が正面から衝突した歴史イベントだ。これにより、ヘクティアルは長きに渡る混乱に陥り、連合王国内での影響力を弱めてしまう。


 異郷旅団の目的がヘクティアル家との関係強化であるなら、確かにこのイベント発生は不都合だ。


 ズシャータが、軽く身を乗り出して言う。


「ヘルミナ。良いか?」


 彼の視線はもの言いたげだ。個別に伝えたい事がある、そういう意図に見えた。


 しかし。


「ここで構いませんよぉ。何か不都合でもぉ?」


「……あったから言ってんだろうがよ!?」


 ズシャータが眩暈でもしたかのように頭を抑えた。


 ここ暫くの交流で彼らの関係性は良く見えた。ズシャータが苦労人だという事も含めて。


「……まぁ良い。面倒だがグリフ、あんたにも聞いといてもらった方が良いかもしれねぇ」


「ならやっぱり私の言う通りじゃないですかぁ」


 ヘルミナが胸を張って言ったが、ズシャータは完璧に無視した。


 美しいほどに洗練されたコミュニケーションだ。


「以前にも言ったろ。異郷旅団が知る限り、完全に避けられた歴史イベントは存在しねぇ。今回みたいに少し流れがや形が変わったり、ってのはあるがな」


 ズシャータが、深夜にヴァレットを襲撃してきた時を思い出す。確かにあの夜、そんな話をしていたな。


 ――歴史イベントはほぼ間違いなく再現される。例外は一つだけ。ゲームと同様に、発動条件が満たされなかった時だけだ。起こす人間が、すでに死んでるとかな。


 ズシャータはこちらの反応を伺いながら、言葉を続けた。


「東西紛争について、異郷旅団はもう条件を満たさねぇと判断していた。ヴァレット=ヘクティアルが大魔導書グリフを持たず、ヘクティアル本家を正式に継承してねぇ。東西紛争は起こり得ないはずだった」


 だが、現実に歴史イベントは発生してしまった。


 大幅にシナリオは書き換えられ、その形勢さえも変化しているが。ヴァレットとアーリシア、二人が対立した紛争は間違いなく起きている。


「あ~……」


 ヘルミナが、ズシャータの言わんとする所を察しとったのだろう。


 眠気眼をやや歪めながら言葉を継いだ。


「つまりぃ、イベント発生に個々人の状態は関係なく、その人が生きてる限りは起きるかも、って事ですか~?」


「さほどおかしな話じゃねぇだろ。……それで、そうなるとグリフ、あんたとの約束も変わって来る」


 誠実な奴だな、と不意に思ってしまった。深夜に暗殺までしようとした癖に、一度した契約や約束を易々と破るのを良しとしない。


 匪賊に必要な義侠精神を彼も持ち合わせている、という事だろう。


 彼の思惑をくみ取り、一つずつ整理して言葉にする。


「つまりヴァレットが死なない限り、数々の破滅イベントは回避できない。だから、彼女は殺さなければならない、か?」


「ま。言うまでもねぇわな」


 言わなくても良い事を告げ、それを誰かに任せるでもなく自分でやってみせる。


 下手に卑劣じゃない分、やり辛い奴だな。


「はっきりと結論が出たわけじゃないけど、異郷旅団の本部はそう判断を下すかもね。知らないけどさ」


「ん~……」


 メロンが言うと、ヘルミナは考え込みながら唸りをあげた。


 実際、異郷旅団がどのような決定機構を持っているは分からないが、彼女らの言い分は妥当ではある。


 破滅イベントとさえ呼ばれる『ギア・ロード事件』や『血塗れの革命』。ヴァレットの状態に関係なく、全てのイベントが彼女の生存する限り発生するのであれば。


 ――異郷者は再びヴァレットの命を狙う。狙わざるを得ない。


 俺が逆の立場だったならそうするさ。


「それはまぁ、そうなんですがぁ」


 ヘルミナは俺を抱えたまま口ごもる。人の目線を気にせず、自分の意見を主張する彼女には珍しい様子だった。


 ただ、俺の考えはもう決まっている。丁度一つ、思い当たる事があった。


「状況は理解した。だが君ら、その点でもう一つ俺と取引をしないか」


「取引、ですかぁ?」


 眠目眼を瞬かせるヘルミナに向かって言う。


「ああ。君らの言う通り、ゲーム上とは全く違うこの状況でも、ヘクティアル東西紛争は起きた。歴史イベントが回避できないのは事実だろう」


 その点を否定する気はない。ヴァレット=ヘクティアルという人間が生きている限り、姿かたちを変えても必ずイベントは起きる。その点はもう確定事項と見ていいだろう。


 だから、取引すべきは発生の側ではない。


「だが、歴史イベントが必ずゲーム通りに終わるわけじゃあないだろう。そこの所はどうなんだ?」


「イベントの結末か。そりゃ確かに、改変が起こってる以上、その通りに終わるとは限らねぇわな」


 詰まり。そう言葉を継いで言った。


 魔力の外殻を展開し、一時的にヘルミナの手元から離れる。


「詰まり、イベントの結末が変わるなら、破滅イベントの結末だって変わるはずだ。そうなれば全ての破滅イベントは、ただの歴史の転換点に置き換わる」


 ヴァレットが生きている限りイベントを避けられないのならば。その結末を全く別の所に置き換えてやれば良い。馬鹿げた話ではないはずだ。


「頷ける話ではあるが。あたい達との取引ってのはなんなんだい、旦那」


 メロンがのめり込むように聞いて来る。どうやら、イベントの変化という部分が彼女の琴線に引っかかったらしい。


 じっくりと三者の視線を引き受けながら、言う。


「今のままじゃあまだ仮説さ。そこを検証したい――この東西紛争でな。そこで、君らの力を貸して貰いたい」


 全く悪い話じゃあないはずだが、どうかな。


 そう、言葉を続けた。

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