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第三十七話『魔導書問答』

 ヘクティアル家の本邸。


 離れていた時間は一か月に満たないというのに、随分と久しぶりにその門を潜った感触があった。


 まさか、ヴァレットではなくヘルミナ達とともに戻って来る羽目になるとは思いもしなかったが。


 心無しか、本邸の様子は以前より騒がしく感じられた。


 アーリシアがその本領を発揮し、邸宅内で差配を始めているからだろう。


 ヴァレットが君主たる証を示すために南方へ遠征した事も、デジレという仮の君主がいる事も。誰もが忘れ去ったかのような振る舞い。


 アーリシアとしては、ここで諸侯に意を示す気なのだ。


 自分こそが、本家を排斥してヘクティアルの頂点に立つに相応しい。名はなけれども、実権を握っているのは自分なのだと。


 そんな本邸において、実に間延びした声が響く。


「――では第三十二問。北方ガリディス地方のクエスト『道なき墓場』の裏側で反乱を起こした人物は~?」


 本邸内の緊迫した状況にも関わらず、ヘルミナは眠気眼を珍しく開いて声を出す。帰ってきてからずっとこの調子だ。


 いや本当に、何をやってるんだこいつは。


 ヘクティアル家の食堂――以前にヴァレットやアーリシアが会議を開いて見せた部屋。その広さにも関わらず、今はしんと静まり返り、メイド一人も入ってこない。


 ヘルミナが人払いをしているのだろう。先ほどズシャータが一度入って来たが、凄く嫌そうな顔をしてすぐに出ていった。何て野郎だ。


「……白雪公ロリエベリーだ。百騎の家臣を連れて、がら空きになった城を乗っ取った。もういいか?」


「ふむぅ。いえ、もう一問だけ」


「何度目だそれ」


 おかしな事が起こっていた。


 ヘルミナ達との契約に基づき、ヘクティアルの本邸に帰還したまでは良い。てっきり地下書庫にでも封印されるのかと思えば、先ほどからわけのわからない問答に付き合わされている。


 彼女の問いに、適当に答えてしまったのが悪かったのだろうか。


 ――貴方、何者なんですかぁ。協力者なら、お互い情報を出し合いましょう?


 ――別に。ただのプレイヤーだよ。君が余り詳しくないだけじゃないのか?


 その言葉は、ヘルミナの逆鱗に触れてしまったらしい。


 先ほどからアテルドミナに関する質問をされ続け、知識を問われている。もう少し真面目に答えてやるべきだったか。


 だがまさか、ヘルミナ達に俺が製作者の一人だと明かすわけにもいかないではないか。


 彼女らにしても、俺と同じく唐突にアテルドミナへ落とし込まれた身。


 どうして自分達がこの世界に来てしまったのか。日夜そんな問いを重ねているに違いない。


 俺が製作者だと告げたのなら、きっと彼女らはその答えを求める。一瞬でも答えを得られる希望を抱くだろう。


 だが俺は、この世界に呼ばれた原因は勿論、世界の正体さえも理解していないのだ。何一つ答えを持っていない状態で彼女らに告白をしても、何ら良い結果は得られない。


 とすれば取れる選択肢は黙秘だけ。


 結果、この無限問答に引きずり込まれてしまったわけだが。


「待て待て。待ってくれヘルミナ。ここまで君の話を聞いてやったんだ。次は俺からの質問に答えてくれ。取引なら平等にすべきだろう?」


 流石に耐えかねて声をあげると、ヘルミナは一瞬きょとんとした顔をしたが、すぐに頷いた。


「ええ~。構いませんよ。聞かれて困るような話もありませんしぃ」


 本当に素直な性格らしい。だからこそ、直情的な剣闘士というジョブに選ばれたのだろう。


 しかしこういうタイプは、一度暴走すると手がつけられなくなるのが常だ。


 可能な限り言葉を選んで、刺激しないように声を出す。


「まず第一に、俺がこの世界に来たのは五年ほど前。君らはどうだ。同じ日時にここに来たのか?」


「いいえ。バラバラと聞いてますよぉ。私は三年ほど前ですし、十年前に来られた方もいるとか。異郷旅団の情報では、ですけどぉ」

 

「十年前。そりゃ大変だな」


 てっきり、同じ時間に全員がこちらへ飛ばされたのかと思ったが。予想が外れた。この点から俺達がこの世界に来た原因は探れなそうだ。


「まぁ。皆なんだかんだで順応してますけどねぇ。良くも悪くも、ですけど。ほら、この世界では私達に力がありますから~」


 言ってヘルミナは素早く腰元のレイピアを引き抜き、窓際に飾られた花瓶に向ける。


 レイピアの銀が、僅かに瞬く。俺にはそうとしか見えなかった。


 しかしレイピアが動きを止めると、その切っ先は花びらを一枚だけ貫いている。


 元の世界でこれをやろうと思えば、何年もの修練が必要になるだろう技術。


「ズシャータさんみたいに、帰ろうと色々探ってる人たちも多いですがぁ。私やメロンさんみたいに、それほど熱心じゃない人もいますしぃ。こう思うと異郷者もバラバラですねぇ。グリフさんは、帰りたいと思います?」


 ヘルミナはまるで雑談でもするかのようにそう言う。実に気の抜けた声だった。


「どうかね。帰るにしても、やる事はやってから帰りたいとは思うが。しかし、君はどうして帰る気がないんだ?」


「へ?」

 

 俺の問いかけに、ヘルミナはぽかんと口を開いて暫し時を止めた。


 まるで、何故そんな事を聞くのか分からない。そんな様子。


 小首を傾げながら、ヘルミナがゆっくりと言う。


「それは勿論、この世界が好きだからですよ。グリフさんは、違うんですかぁ?」


 ヘルミナの眠気眼がぐいと上がり、頬は緩みながらそう口にする。


 まるで鮮烈な告白をするかのような口ぶりで、彼女は続けた。


「勿論、アテルドミナは良い事ばかりが起きるわけじゃありません。悪逆の輩はいますし、救いようのないイベントだってある。理不尽も、そうでない事も。ですが、そういう所も含めて好きですのでぇ~」


 初めて、魔導書の身体で良かったと心から思った。製作者としては少々面映ゆい感想だ。


 特に俺みたいなひねくれものにとっては、劇薬とも言える言葉だった。


「……それなら是非、ヴァレットも含めて愛してやってほしかったがね」


「……嫌いとは言ってませんよ~。ただ、障害になると分かっているものを、取り除こうとするのは当然じゃないですか。グリフさんだって分かっているでしょ~?」


 ヘルミナは淡々と、殆ど抑揚を付けずに言った。


「愛しているからこそぉ、世界が荒廃しないルートを選んでいるんですよ」


 それは淡泊なようでいて、彼女の信念が刻まれた言葉だったように思う。


 アテルドミナの保全と存続のために何が重要であり、何を選ぶべきか。どのルートを選択すべきか。


 それを検討した上で、彼女は断じたのだろう。ヴァレット=ヘクティアルは、盤上から排除すべきだと。


「で。問題の続きをしましょうかぁ。燃えて来ましたよぉ。ここまで答えられる人は今までいませんでしたから」


「本気で勘弁してくれ……」


 良い感じで話題を逸らせたと思っていたのに、ヘルミナはあっさりと最初の問答に立ち返ってみせる。


 辟易した言葉を漏らしたと、ほぼ同時だった。


 今まで静かさを極めていた扉が、がちゃりと音を立てて開く。慌ただしいでもない、しかし控えめでもない。自分の存在を主張するような音。


 そこにいるのはただ一人。くるりと巻いた頭髪を揺蕩わせ、気品に満ちた所作で彼女は食堂を入り込んできた。


「失礼しますよ。こちらにいると伺ったものですから」


「おや、アーリシア様でしたかぁ」


 アーリシア=リ=ヘクティアル。


 公爵家の簒奪を目指し、今それを成し遂げようとしているもの。牙持つ挑戦者。


 彼女を目にして、咄嗟に口を閉じる。しかし彼女の視線は、はっきりと俺を見据えていた。


「ふふ。口を開いて構いませんよ――大魔導書グリフ。貴方の事は、わたくしも耳にしています」


 ヘルミナか、それとも他の連中か。


 人の秘密をよくも簡単に話してくれるな。喋る本として見世物小屋に売られたらどうしてくれる。


「それとも、わたくしとは話す気にはならないとでも? 貴方は、ヴァレットに肩入れされていたようですからね」


 じぃ、と軽く細まった瞳が鋭利に俺を貫いた。


 視線そのものに熱量を感じる。驚いた事に、ただそれだけで空気の重圧が変化したように思われた。


「……俺はヘクティアル家当主と契約してるんでね。君は君でご立派な家臣がいる。それで十分だろう」


 耐えかねて口を開くと、アーリシアの頬が緩くつりあがっていく。


「いえ。従僕というものは、利を求めて主君に仕えるもの。わたくしを求めているわけではありません。貴方のように、真摯に主に仕えようとする者は珍しい。彼女は良い従僕を持ちました」


 食堂の一角に腰を下ろし、アーリシアは改めて俺とヘルミナに向き合った。


「しかし、貴方がヘクティアル当主に従うものであるなら、都合が良い。もしわたくしがその座につけば、貴方も契約を更新できるという事でしょう?」


「さぁ、どうかね。魔導書は魔導書なりに、感情ってものがある」


 前の持ち主を排斥した人間に、そう簡単に従えるかと言われればそうじゃあない。


 特に俺とヴァレットの関係は、一朝一夕のものではないのだ。彼女の多くの面を、俺はすでに知ってしまっている。


 言うと、アーリシアは苦笑して受け止める。


「……やはり、羨ましい忠誠心です。ええ、決めました」


 アーリシアは、呼気を打ち鳴らすようにして口を開く。


「ヘルミナ。全て事が上手くいったのなら、大魔導書グリフをわたくしに譲りなさい」


「え~」


 まるですでに決定事項であるかのように彼女は言う。


 いいや、実際にアーリシアはもう決定したのだ。そうして、それが実現できると確信している。


 そうやって、彼女は生きてきた。


「グリフ。貴方が拒否しようと関係はありません。わたくしは、相手が誰であれ必ず屈服させてきた。昔も、今も。それは変わりません」


 今度のそれは、ヴァレットに対してではない。俺への宣戦布告であった。


 ヘクティアル本家の座は、自分こそが奪い取ってみせる。そうしてその果てには、俺さえも従わせて見せる。


 その宣言。誰にも自身の道を歪ませる事はないという大胆不敵な咆哮。


 声を固くしながら、何とか絞り出す。

 

「――じゃあ初めて失敗するかもな。精々、上手くやってみせてくれ」


「――万事抜かりなく。わたくしの好みとは、そういうものです」

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