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第三十五話『決断』

「つまり何だ。取引を持ち掛けられているのか俺は?」


「ええ~。そう思って頂いて構いませんよぉ」


 魔性の死骸が散らばる廃村の中。異郷者たるヘルミナは堂々たる口ぶりで続けた。


 後ろめたい事など全く感じていないとでも言うようだった。


「私達が何を止めたいと思っているかぁ、ご存じでしょう。貴方がこちらに協力頂けるなら、強硬手段に出る必要もないかとぉ」


 眠そうな瞳をしながら、嫌な所を突いて来やがる。


 異郷旅団が絶対に阻止したいのは、ヴァレットがその瞳を開き絶対悪として君臨する事。プレイヤー達の前に立ちはだかる最大の障壁を造り上げない事だ。


 ――そうしてゲーム上の歴史において、ヴァレット=ヘクティアルは『俺』を持ち続ける事で、その魔力に侵されて魔女の化身へとなり果てる。


 確かに俺が異郷旅団に協力するなら、それだけで彼女らの目的は達成される。


 下手にヴァレットの首に刃をかけて、覚醒する切っ掛けを作るよりずっと安全な方法だ。


 だからこそヘルミナ達はこの場において、戦闘ではなく交渉という形を維持しているのだろう。


 嫌になるほどお利口な事で。その所為でこっちが頭を悩ませる羽目になる。


「グリフ。こんなふざけた提案に付き合う必要はないわよ。貴方の主人が信じられないとでも?」


 ヴァレットは苛立ったように声を荒げながら、俺を強く握りしめる。


 彼女の事は信じている。そうして理解もしている。


 ――ヴァレットはこの場で決して屈しない。魔力が尽き果てるか、その首を失うまで立ち向かい続ける。


 それこそがヴァレット=ヘクティアルの気高さであり、矜持であるから。


 ヘルミナ達はすでに最大限の譲渡を見せている。彼女らもこれ以上引く真似はしない。本格的な衝突となれば、彼我の戦力差は絶望的だ。


 戦えばアニスやリザは見逃されるかもしれないが、ヴァレットは確実に死ぬだろう。


 どうすべきか、思考する。


 一分が気が狂いそうになるほど長く感じられた。


「……ヴァレット、俺は君を信じているが。それ以上に君の幸福を願っている」


 そうして、決断した。


 一応悩んでみたものの、最初から道は一つしかなかった。


「幸福なんてのは、生き延びなければ感じられないんだ。なら、考慮する必要さえない」


「ッ!?」


 魔力の外殻を纏う。人の形を纏いながら、ヴァレットの手元から離れる。


 彼女の指先は懸命に力を込めようとしたが、もはや身体は限界を迎えている。抵抗さえもままならない。


「グリフッ! 誰に逆らっているか分かっているのでしょうね――ッ!」


 ヴァレットは恐ろしいほどの熱を込めた咆哮を放つが、それも長くはもたない。完全に膝を崩し、その場に座り込んでしまった。


 リザとアニスがその傍に駆け寄る。


「その、これは……あの、どうして」


「……ご心配なく。貴方のことは、ちゃんと伝えておきますからぁ」


 ヘルミナがリザに目配りをしながら言った。


 それがどういう意味か、俺には読み取れない。しかしリザの顔が一瞬で青ざめた所を見るに、裏で話でもしていたのだろうか。


 だが、それさえも今はどうでも良かった。


「約束は守ってもらうぞ、ヘルミナ」


 ヘルミナ、ズシャータ、メロン。三名の近くに寄ってから言う。言葉に自然と険が籠ったのは仕方があるまい。


「はいっ。勿論、グリフさんにご協力頂けている限りは、裏切る必要がありませんしぃ」


 相変わらずな眠気眼。しかしどこか光の灯った蒼を輝かせながらヘルミナは続ける。


「お二人も、異論はないでしょう?」


 メロンが躊躇なく頷き、ズシャータが続いた。


「まぁ、大魔導書グリフさえ存在しなければ、ご令嬢はさほど脅威じゃないさ。アーリシアも認めるんじゃないかな。知らないけど」


「いいや、認めさせてもらう。それが君らの仕事だろう、メロン」


「ありゃ、手厳しい。はいはい、分かりましたよ」


 手の具足をがちゃりと鳴らしつつ、メロンは返す。


「ま。あたいらも好きこのんで人殺しなんかしたくないさね。ちゃんと請け負うさ、旦那」


 一番信用のおけるズシャータが胃の痛そうな表情をしていたのはやや心配だが、彼女たちの言っている事は概ね事実だ。


 ヴァレットがこれまで生き延びられたのは、魔導の力を手にしたから。


 アーリシアとて、異郷旅団から事の概要は伝えられているはず。ならば、魔導の力を失ったヴァレットに関心を注ぐとは考えづらい。少なくとも、異郷旅団を敵に回してまで無理やり命を取る真似はしないはずだ。


「グリフ殿! 本当に、行かれるつもりか――?」


 アニスが震えるような声を叩きつけて来る。


 そこにあるのは憤怒ゆえの震えか、それとも全く別種の感情か。


「勿論。悪いが、ヴァレットを頼んだ。エッカー子爵なら、暫くの飯と宿くらい融通してくれるだろ」


 ヴァレットが『ヘクティアルの魔境』を解決させたのは紛れもない事実。


 情に厚いエッカーなら、たとえヴァレットが力を失っても見捨てたりはしまい。公爵家からすれば物足りないかもしれないが、最低限の寝食はなんとかなる。


「気持ちは分かるが、そんな、勝手な言い方が……!」


「グリフ」


 アニスの怒気をちぎりとるように、ヴァレットが唇を開いた。


 その頭髪が風に揺蕩い、紅蓮の瞳が俺を見据える。


「貴方にも考えがあり、想いがあり、願いがあるのでしょう」


 恋歌でも奏でるような軽やかな声が、宙を流れる。ヴァレットは軽やかに言葉を継ぐ。


「ええ、構いません。けれど、どんな事情であれ私の手元を離れるなら、覚悟をなさい――」


 綺麗だった。間違いなく、この時の彼女は怖気がするほど美しかった。


 身体に力が籠らないだろうに、瞳からは輝きが失われず、穏やかな笑みをすら浮かんでいる。


 彼女は言った。


「――この世全てを呪うくらい、後悔をさせてあげる」


「――君の幸福を願ってるよヴァレット。それじゃあな」


 それ以上に言葉を重ねるべきではなかった。


 どうしてもあの夜の事を思い出してしまう。ヴァレットがアーリシアと出会い、灼熱の呼気を吐き出したあの夜をだ。

 

 ――私だけでなく、他の全てがどうなっても構わないと、そう思うわ。何もかも滅茶苦茶になって、誰も何も残らなくても構わない。そんな気分よ。


 だが、彼女にもうそんな力はない。彼女は魔導を失い、公爵家の地位も間もなく喪失するだろう。


 とはいえ、命を繋げたのならそれで十分だとも。


 アーリシアや天霊教、異郷旅団に狙われ続けながらも、生存ルートにこぎつけられたのなら、これ以上何がある?


「愛されてますねぇ」


 ヘルミナが傍らに立ちながら呟いた。それはからかっている様子ではなく、単なる感想を言ったような素振りだった。


 こいつ、普段からこの調子なのか。きっと周囲の連中は苦労しているに違いない。相手の胸中を慮るという配慮が、ヘルミナからは抜け落ちていた。

 

「余計な話をするなよ。二度目だが、約束は守れよ。君らが彼女の命を軽んじるなら、俺も協力はしない」


「疑い深いですねぇ。これでも約束は守るほうですなんですが~」


 ヘルミナはどう考えても嘘を吐ける性格じゃあない。事実なのだろう。どうにも、緩い言葉遣いが不安ではあるが。少なくとも一定の誠実さはあるはずだ。


「さて、じゃあちょっと失礼しますねぇ」


「は?」


 ヘルミナの腕が、魔力の外殻を貫いて俺の本体に触れた。


 咄嗟に外殻を解除して、魔導書の姿に戻る。


「おい、ちょっと待て。一体これは何の――」

 

「では、ヴァレットさん、アニスさん、リザさん。追ってこられても困りますので、ここまでという事で~。もうお会いしない事を祈ってますからねぇ」


 俺の言葉など意に介さず、ヘルミナはぺこりとその場で頭を下げた。俺は魔導書の姿のまま、彼女の懐にしまわれる。


 そうして次の瞬間――ヘルミナは廃村を囲んでいた森を貫くかのような勢いで跳んでいた。


 ズシャータもメロンも、難なくそれについてきていた。


 これが、異郷者のスペック。現地人とは明らかに異なる超人的なそれ。


 改めて思う。流石にあの場でこいつらを敵に回していたら、守れるものも守り切れなかった。


 俺の決断は、決して間違いではないはずだ。そう信じる。


「さて、グリフさん。色々とお伺いしたい事があるんですよねぇ」


 ヘルミナは豪速で森を駆け抜けながらも、懐の俺に向けて淡々と言葉を重ねて来る。


 何だろう。案外こいつお喋り好きなんだろうか。俺は意外とそういうの苦手だぞ。


「貴方も異郷者なんですよねぇ。でも、グリフなんてプレイヤーネーム聞いた事もなくて」


 ヘルミナは表情を殆ど変えないまま、言葉を続けた。


「――貴方、何者なんですかぁ。協力者なら、お互い情報を出し合いましょう?」

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― 新着の感想 ―
その選択は絶対に不味いぞグリフ
まさしく狂乱の物語だが、読者を選ぶなぁ・・・・
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