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第三十四話『瞬きの安堵』

 ――勝った。


 崩れ行く女王の亡骸を視界に捉えながら、安堵を飲み干す。


 アニスが織りなす黄金の一撃は、女王の本体を完全に貫いた。


 もはや彼女は話す事もなければ、五種族の侵攻を率いる事もない。

 

「……これで、もう全部終わった、わけ?」


 ヴァレットがその場でへたり込んで言う。吐息は掠れており、声もか細い。明らかな魔力欠乏症状だった。


 魔導はかつて魔女たちが起こした奇跡を現世に顕現させる行い。如何にヴァレットといえど、無傷で扱えるわけではない。


「ああ、終わりだ。アニスとあの呪文がこうも相性が良いとは思わなかった」


 アニスへと捧げた魔導――『狂乱の騎士』。


 本来は魔女がプレイヤーキャラクターのコントロールを奪い取るための呪文だ。


 コントロールを奪取された後は完全に魔女の支配下に置かれ、呪文が途切れるまでその手足となって戦い続ける。それこそ目も耳も塞ぎ、味方の存在など忘れたかのように。


 そうして何より特徴的なのは――狂乱中の騎士は、あらゆる性能低下を受け入れなくなる点だ。


 『金色一閃』の低命中率はゲーム上、一時的な性能低下として処理されている。


 本来ならばあり得ない魔導とアニスの協同。上手くやれば彼女の欠点を埋めてやれると思ったが、こうも上手く事が運ぶとは。


「フフ――」


 アニスは身体にかかった白の粘糸をはぎ取りながら、頬に笑みを浮かべていた。


 彼女にとってみれば、完璧な形での勝利。


 そりゃあ、少しは余韻に浸りたくもなるだろう。


「――ハハハハハハッ! 見たか! やはり己こそは偉大なる英雄の子孫! 魔女殺しの末裔! この程度の困難、何て事はない!」


 余韻に浸るどころではなかった。首まで浸って溺れそうになっている。


「あの……もう、大丈夫なのでしょう、か。まだ魔性は、残っているようでありますが」


 余りに狂喜するアニスの勢いに気おされたのか、魔性たちを陽動していたリザがおずおずと戻って来る。


 彼女の言う通り、ヴァレットの狂乱魔導に侵された数多の魔性達は茫然と立ち尽くしたままだ。未だその支配は解かれておらず、何時目が覚めるかも分からない。


 この間に彼らの首を刈り取っておくのも手ではあるが。


「放っておいて良いだろう。アラクネとその女王に操られてた連中だ。支配が完全に抜ければ山に帰るさ」


 相手は魔性。だが、ここで殺し尽くした所で得られるものは薄い。何より疲れるし、汚れる。こちらにそんな元気はもうなかった。


「そうね。相手が誰であろうと、無駄な殺しをしたいとは思わないわ。アニス、リザ。捨て置きなさい」


 ヴァレットが同意しながら、ふらつく足取りで身体を起き上がらせる。


 もはや体力魔力ともに限界に達し、身体に刻まれた紋章は痛みを訴えているだろう。大した精神力だ。


 自分こそ限界の淵にあるはずなのに、その言葉には何処か他人を思いやる心が潜んでいる。


 ――本当に彼女が、絶対悪たるヴァレット=ヘクティアルであるのか。疑いたくなるほどだった。


 何にしろ、ヴァレットはこれで分家筆頭たるアーリシア=リ=ヘクティアルの無理難題を解決した。兵も連れず、たった四名で。


 これは当主たるに相応しい功績だった。誰が文句をつけられる。つけさせてやるものか。


 僅かな希望が、目の前に見えていた。


 もしかすれば、もしかしたならば。このままヴァレットを一領主として落ち着かせてやる事が出来るかもしれない。絶対悪などではない、平凡な領主として生涯を終えさせてやる事が出来るかもしれない。


 そんな淡い希望。


 けれど、その夢想は無機質な機械音に打ち崩された。


 ――他の異郷者プレイヤーと接触しました。


 眼前にて、血飛沫が舞い踊る。


 先頭の踊り手は両手のレイピアを流れるように操り、その場の魔性共の首を刈り取った。


 まるで曲芸でもするように。まるで舞踏でも披露するかのように、魔性どもを踏みつぶす三つの影。


 闘争代理人ヘルミナ、影亡きズシャータ、戦場看護師マサカリ=メロン。


 異郷者にして、俺の同郷者達。


「ヘルミナ。無駄に血を振りまかないでよ、汚れたら洗うのはあたいだよ」


 具足を嵌めた両拳をがしゃがしゃと鳴らしながら、メロンが場にそぐわない呑気な口調で言った。


「ごめんなさぁい。でも、放っておくわけにはいかないでしょぉ?」


 眠たげな眼のまま、凄まじい勢いでヘルミナはその場の魔性達の首を落とす。彼女の片手が生み出す一閃は、まるでそれ一つが兵器のように見えた。


 それもそのはずだ。


 ヘルミナの力量は七十二レベル。今相対したばかりの女王は、彼女の半分にも満たない実力しかない。


 彼女が先の戦場にいたならば、片手を振り下ろすだけで女王を殺害しただろう。


「……嘘つけ。てめぇらの後始末するのは何時も俺だろうが」


 彼女らの後ろについたズシャータが、不快げに言葉を散らす。獣の皮を使った衣服が、この廃村によく映えていた。

 

「まぁ、そう言う時もあるさ。何時かはちゃんと自分に良い番が回って来るもんだよズ・シャータ。知らないけどさ」


「その口癖はやめろって言ってんだろうが!」


 目の前で無邪気にはしゃいでいる彼女ら。


 しかし、こちらは全くそんな気分じゃあない。最悪だ。


 分かっていただろうに。アーリシアはヴァレットを殺害するのに、どんな手段をも厭わない。


 偉大なる目的は、常に全ての手段を肯定する。目的を達成出来た手段は最良で、未達となった手段は常に無様だ。


「……俺達を歓迎しにきてくれた、って様子じゃあないな」


 魔導書の姿のまま声を響かせる。ヴァレットやアニス、リザ達に視線を配るが。全員が全員この状況に対応できていない。いいやそもそも、対応できる状況にないのだ。


 彼女らはすでに大きな戦場を超えたばかり。満身創痍の身体は動かす事さえ億劫だろう。


 とすれば、こいつらの相手をするのは俺しかいない。


「……やっぱり慣れませんねぇ。大魔導書グリフが口を利くのって」


「そうかい? ゲームじゃあよくある話だろ。知らないけどさ」


 三人を代表してか、ヘルミナが前へ歩み出る。その視界の先にあるのはヴァレットではなく俺だ。


「勿論、歓迎しにきたわけじゃありませんねぇ。アーリシアさんは、ヴァレット=ヘクティアルの公爵位を望んでいませんし~。私達、異郷旅団も同様です」


「だから、弱ったところを狙い打ちか。陰謀が好きな彼女らしいな。とにかく、何かを企んでなきゃいられない」


「……まるでよく知ってる相手みたいに話すんですねぇ」


「よく知ってるさ」


 作り手側だからな。


 そうとは言わなかったが、ヘルミナの眼が軽くつりあがったのが分かった。


 唇が尖り、拗ねたように目線が強くなる。


「――だから、ここで私を殺したいというわけ。卑劣ね。でも、否定はしないでいてあげる」


 ヴァレットは俺を抱えながら、気丈にヘルミナを睨みつけた。それは強敵を見る目ではなかった。まるで敵の家臣か何かを見るような視線だった。


 同格とさえ思っていない。実力ではともかく、決して心構えで相対する者に負けはしないという信念。それこそが、ヴァレットの気位の高さを示していた。

 

「……アニス=アールビアノを仲間にしたのはともかく、他に頼みはねぇんだろう。大人しく従ってくれるってなら、他に手がないわけでもねぇが」


 匪賊らしからぬ理性でズシャータが言った。


 彼は最も蛮性を愛するようでいて、それを固い理性で覆っている。実際の所、この場の異郷者三人を指して語るなら、最も話が通じるのは彼だろう。


 しかし。


「答えて差し上げましょう。お断りよ」


「……話を聞く気はなしってか」


「当然でしょう。アーリシアが求めるのは、私の死か、もしくは私が自ら廃嫡を申し出る事」


 廃嫡。つまりは家督相続人としての権利を喪失する事。確かに、アーリシアとしてはヴァレットがそれを公に申し出るだけでも目的は果たせる。


 ヴァレットを殺してしまうより、そちらの方が正当性も得られるだろう。


 だが、ヴァレットがそんな真似をするはずがない。その気があるのなら、わざわざ南方にまで魔性討伐に来るものか。


 たとえこの場で全員が殺害されるかもしれずとも、彼女の心が折れるはずがない。


 とすれば、戦うしかなかった。たとえ絶望的な戦力差があったとして、少なくとも命を拾う手段は考えなくてはならない。


「ズシャータさん駄目ですよ」


 そんな折、ヘルミナがズシャータを軽く抑えて言う。今にも脚刃が飛び出しそうだった彼を前に、眠たげな眼が言葉を続ける。


「交渉をするのならぁ、彼女ではありません」


 ヘルミナの蒼瞳が再び俺を見た。まるで刺し貫くような、それでいて羨望するような瞳。


「大魔導書グリフ。いいえグリフさん、どうですかねぇ?」


 淡々と、殆ど感情がないような声。しかしはっきりとそこには、濃密なほどの意図と情動が詰め込まれている。


「――貴方が私達に協力してくれるのならぁ、他の方々は生かせるかもしれませんよ?」


 不意に思った。そうか。こいつ案外、嫌な奴だな。

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