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第三十二話『信ずる所』

「己のアビリティをもう一度使う――?」


 怪訝そうにするアニスに、頷きながら伝える。

 もう時間はない。丁寧な説明よりも、行動すべき場面だった。


「そうだ。『金色一閃』を頼む。それで今度こそ女王の首を落とす」


「意味が分からん。数少ない可能性に、この場の全員の命を賭けると?」


「いいや、そんな真似はしない。確実に奴を殺す手筈さ」


「――不可能だ。己はもう奴に近づく事さえ出来ん」


 どういうわけか、アニスの表情は頑なだ。怯えているような、怒っているような瞳。


 今の会話だけでは納得出来ない、そんな所だろう。俺の信用の問題だ。こればかりは反省だな。


 しかし、それでも尚行動して貰わなくてはならない。


「君が俺を信用できないのは良く分かる。だから、先に俺が君とリザを信用しよう。ヴァレット、説明は後で君から頼む」


「グリフ?」


 得体の知れない異形の存在。幾らヴァレットが傍らに置いていようと、そんな奴の言葉を簡単に呑み込めるはずがない。


 正直、別にそれで構わないと思っていた。ヴァレットが信用されればそれで良く。俺は正しい方向に彼女らを誘導出来れば、何ら問題はないのだと。


 だが、ここはゲーム上ではない。コマンドを入力しても人は動かない。ヴァレットに諭されたばかりではないか。正しいからと、何も語らない事は罪だ。


 俺だってそんな奴には付いていきたくなくなる。


 だから――腹を括ろう。彼女らを信用しよう。


 俺はその場で、魔力の外殻を解除した。


 黒い魔力が霧散していく。俺の身体が失われ、ただの魔導書となってヴァレットの手元へと帰った。清々しい気分だ。ようやく、正常な形に戻れた。


「……な、ぁ……ッ!?」


 アニスが言葉を失う。リザも同様のようだった。人の形をしたものが、ただ一冊の本になったのだ。その驚愕の度合いは計り知れない。


 しかし俺が彼女らに信用を示すには、この方法しかなかった。


「見ての通り、俺はただの魔導書だ。だが本だけあって、知識だけなら君らよりある。この場だけは俺の言葉を聞いて欲しい」


 俺に言えるのはこれが全てだった。ヴァレットも俺の言葉に頷き、アニスとリザを見返す。


 どうすべきか、はもう分かっている。後は、アニスが上手く動いてくれるかどうかだ。


 紫の頭髪が、ゆっくりと動いていった。


「……己には納得も、理解も出来ん」


 アニスは両手で刀を持ちながら、ふらつく様子で言った。


 怪訝の色が消えたわけではない。全てを呑み込めたわけではない。


「だが、貴殿らは己の姿を見ても、失望しなかった。その事実だけは理解する。異形殿――いいやグリフ殿、己はどう動けば良い」


 彼女は、頬に笑みを浮かべながらそう言った。不敵な、それでいて美しい笑みだ。


 アニス=アールビアノもまた、ゲームのキャラクターではなくこの現実を生きる人間なのだ。そう実感させてくれる。


「も、勿論。リザも協力いたします、です!」


 未だ動揺が隠し切れないリザも同調した。脚ががくがくと震えているが、バイコーンに寄りかかって何とか自分を支えていた。


 よろしい。これで十分だ。


 敵は百体を超える魔性と、アラクネの女王。


 こちらは四名とバイコーン一頭。実質的な戦闘員は二名だ。


 馬鹿げているが、これが現実だった。これで俺達は、勝利を掴み取らねばならない。

 

「ヴァレット。君が主軸だ、上手くやってくれよ」


 改めてヴァレットに言った。彼女は魔力を一度放出し、その気力や体力も薄れているはず。


 けれど、当然のように背筋を伸ばして口を開く。


「任せておきなさい。私を誰だと思っているわけ」


「ああ、任せるとも。我が主人」


 ◇◆◇◆


 次々と集まって来る魔性ども。だがその構成は、ゴブリンやコボルド、ワーウルフ、ナイトビーが大多数を占めている。女王の手足たるアラクネは少数だ。


 それもそのはずで、種としての繁殖力は圧倒的にゴブリンやコボルド達の方が強い。だからこそ、アラクネは他種族を操作する力に特化し、それらを統制する側に回ったのだ。


「では、行きますです」


 では果たして、アラクネは他種族を完璧に統制出来ているだろうか。自分らを超える数の生物を、指一本に至るまで完璧に?


 出来るわけがない。


 彼女らがしている操作とは、糸を通して簡単な指令を与える程度のもの。


 彼らが今与えられている指令はシンプルだ。――人類を排除せよ。誰も逃がすな。


 だからこそワーウルフは唸りをあげてこちらへと接近し、ナイトビーたちも羽を鳴らして棘を突き出す。

 

「良いわよ、リザ! ちゃんと帰って来なさい!」


「はいっ!」


「ヒヒィンッ!」


 瞬間、バイコーンに跨ったリザが手綱を引いた。バイコーンは風のような速度で廃村を疾駆し、この現場から離れる。


 女王でさえ到達し得ない速度。常識で考えれば、低レベルの魔性達が追いつけるはずがない。


 だが。


「グアッ、ガァ!」


 群れの一部が、逃走したリザとバイコーンに向け動き始めた。今の彼らに常識的な判断など不可能だ。


 誰も逃がさず、人類全員を殺すとそう命令されている。ならば、たとえ追いつけなくても勝手に動き始める。


 即座にアラクネ達は命令の修正を図るだろうが、その間には確実に混乱が生まれる。

 

「アニス、頼むぞ。ほどほどで良い」


「承知した、お任せあれ」


 こちらが戦力を叩き込むのは、混乱した指揮系統の最中だ。


 数秒動きが止まった魔性ども。それは武芸者たるアニスの前では致命と言って良い時間だ。


 鉄が円を描いて空中を走る。その度にゴブリンの首が飛び、ワーウルフの胴が両断された。俊敏に宙を飛ぶナイトビーですら、彼女の切っ先からは逃れられない。


 力量レベルも、技量もまるで違う。それこそ無人の野を駆けるが如し。


 とはいえ、それも今だけだ。流石のアニスも、物量を押し付けられればいずれは止まってしまう。


 それを食い止めるのが、俺達の仕事だった。


「ヴァレット。一度目は、誰を対象かなんて考えなくて良い。必要なのはこの場全体をコントロールする気概だ。出来るか?」


「だからグリフ、誰にものを言っていると思っているのよ」


 俺の注文に、ヴァレットは不服そうに頬を軽く歪めた。


 身体には疲れも出ているだろうに、自信を込めた声で言う。


「私はヘクティアル領全てを任された、公爵の末裔。百程度の相手を指揮出来ないなんて、末代までの恥じゃない」


「それなら結構。なら行くか。――行こう」


 俺の言葉に、ヴァレットが頷く。


 この場全てを捉えるような視線で、彼女は詠唱を開始した。バイコーンと対峙した夜、語った旋律を。


「『不吉な鳴き声』『影に籠った夜の挨拶』『万人が恐怖に飲まれる』」


 先ほど女王に向けた狂乱魔導が上手く展開しなかった原因。


 それはほぼ間違いなく、対象の取り方に誤りがあったからだろう。


 ヴァレットは魔導の展開先を、上半身にある美麗な人体に向けた。泥の嵐は忠実にその命令を守り、上半身を吹き飛ばさん勢いで狂乱の魔を展開した。


 だが、実際の所アラクネの本体は上半身の人体ではない。彼女らの脳は――下半身の蜘蛛の部分にあるのだ。


 ヴァレットの意識が上半身へ注がれた事で、下半身の脳にまで魔導が及ばなかったのだろう。


 だが、もう同じ過ちは繰り返さない。それに、女王は俺達以上のミスを犯している。


 ここに、他の魔性共を何ら対策なく呼び込んだ事だ。


「――魔導展開『狂乱の夜』」


 ヴァレットの魔力が周囲を埋め尽くす。狂乱の魔が、悍ましくもこの大地に浸透していく。


 本来は小動物や虫などを狂乱させ、徐々にその展開先を広げていく魔導。魔性の群れに即座に影響があるものではない。


 しかし、この場だけは別だ。


「ッ! ソウカ――マジョノ、ヒオウカ」

 

 女王が傷ついた身体でぽつりと呟く。敵の中でも、彼女だけは何が起こったか明確に理解しているらしい。


 アラクネらに操られていた四種族。この場での大部分を占めていたゴブリンたちが――完全に動きを停止していた。


 四種族どもはアラクネの糸によって操られ、ただ命令を受ける機械となっていた。そこに意思はなく、ただ単純な思考回路があるだけ。


 それは――小動物たちの思考回路とそう変わらない。狂乱が入り込むには最高の下地だ。


 アラクネとヴァレット。両方からの命令を与えられた四種族の魔性どもは、混乱の極致に至り動きを停止する。


 女王の付近に残るのは、側近のアラクネ達のみ。しかし、そいつらも。


「戦場で動揺するなど、未熟の至りよ」


 次々と、刀によって首を落とされていく。


 元よりアニスは武芸者としても特筆すべき実力者だ。アラクネ、それも混乱状態に陥った彼女らに劣るはずがない。


 アニスだけでは届かないのは、ただ一体。


「――マジョト、シトドモメ」


 三本の脚を失い、それでもなお威光を失わない彼女らの女王のみ。

 

「ヴァレット。次の対象は分かってるな」


 確認するように、ヴァレットに言う。彼女はゆっくりと頷いた。紅蓮の瞳が女王、そうしてその前に立ちはだかるアニスを見つめる。


 魔力残量から考えても、魔導は後一回が限界。失敗は出来ない。それも泥の嵐のような大規模なのは不可能だ。


 ヴァレットの唇が動いた。


「アニス――貴方に託すわ。私の命も、全てね」

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