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第三十一話『期待の名の下に』

 果たしてこれが、本当に人の手から放たれる代物だろうか。


 右から振り下ろされた刃が、次には左から飛び上がる。そうしてまた右。並々ならぬ魔力が込められた一撃が、刀を通してアラクネの巨大な前脚を撃ち落とし続けていた。


 人間と巨獣アラクネ。そこにあるのは圧倒的な質量と体格の差。本来ならば一息で踏みつぶされてしまうほどの生物としての格の違い。


 しかしアニスはただ自身の技量だけを持って、その差を埋めて見せる。


「ハハ、どうした女王。これが貴殿の限界か!」


 アニスはまた一歩、前へと出ながら巨体の懐へと潜り込む。真向から挑発してみせるが、その声には硬さが滲んでいた。


 化物と一歩も引かずに渡り合いながらも、アニスは焦っていた。


 女王はヴァレットの生み出した泥の嵐によって、三本の脚を失っている。身体のバランスが崩れ、速度が落ちて当然だ。


 しかしそれでも、アニスは明確な勝機を見いだせなかった。当然だ。女王の勝利条件はアニスを殺す事ではない。配下の魔性たちが集まるまでの時間を稼ぐ事だ。


 先ほどの咆哮からもう十数秒。最も近い連中が間もなく到達する頃だろう。


 ならばどうするか。どうすべきか。


 アニスの決断は率直であった。武芸者たる彼女は、多数の選択肢を好まない。選択肢はただ一つあれば良い。即ち。


 ――己が女王の首を斬り取れば良い。


 魔性は強固な上下関係を築き部族を維持する。


 特にこの五部族連合による侵攻は、女王の出現により始まったと言って良い。首魁たる存在が失われれば、間違いなく瓦解する。


 それは真理であり、正しくもあった。問題なのは、それが極めて困難である事。


「オァァァアア゛!」


「ガァッ!」


 すでに、ゴブリンやコボルドが迫って来る姿が見えた。


 リザが火を付けた木材をばらまいているが、さほど時間は稼げないだろう。


 ヴァレットやグリフが、次の魔を放つのにどれほど時間がかかるかも分からない。

 

 ならば。


「……女王よ、貴様の不幸を嘆いてやろう」


 鋭い前脚の猛撃をはじくと同時、アニスは完全に間合いに入った。呼吸を整え、心臓が唸りをあげそうになるのを必死に抑えつける。


 放つは自身の必殺の一撃。鍛錬を重ね、磨き上げ、ただ全霊と全魔力を叩き込む。


 嫌な想像が頭を過ぎる。


 ――どうせ当たりはしない。


 ――また無様に外し、味方を危険にさらすだけ。


 ――自身の武威など、所詮その程度の価値しかない。


 ――半端者の武芸者。


 胸中に沸き起こる感情を締め上げながら、アニスは両手で柄を強く握り込んだ。


 条件反射のようなものだ。長年の鍛錬によって、こうする事で全神経がアビリティの発令にのみ集中するように出来ている。


 滑らかに骨と筋肉が連動し、意識しないままに刃を振り上げていた。先ほどまでの感情は吹き飛んでいる。


「嘆くのは、その墓前でだがな! ――アビリティ発令『金色一閃』ッ!」


 金色が圧倒的な熱量と魔力を伴って放たれる。


 アビリティの発令とは、それまで積み上げて来た熱量を瞬きの間に蒸発させるもの。


 習得が困難であればあるほど、それは冒険者たちにとって人生と同価値になっていく。


 武芸者たるアニスにとっても、それは同じだ。


 これは今まで積み上げ続けて来たものの結実。人生そのものを吐き出す行為と言っても良い。


 ならば。


「――ッ、ァ」


「ミジュクナ、コノテイドカ」


 遥か彼方に打ち出された金色の一閃は、アニスの人生とそう呼べるのだろうか。

 

「ココデ、クチハテルガヨイ」


 強力なアビリティの空振り。命を賭けた斬り合いの中、これほど明確な隙もない。


 間合いに入ったアニスに向けて、軽く起き上がった女王の身体が落ちて来る。影がアニスの紫の頭髪を覆い尽くしていた。


 質量差を使った押し潰し。魔性が用いる攻撃手段の中で、これほど確実なものも少ない。


 如何に武芸を修めようと、如何に技術に優れようと。


 人間は大きなものに押し潰されれば死ぬのだ。

 

「――やはり、駄目か」


 走馬灯の一瞬。アニスは零すように呟いた。


 それは確信であり、諦めでもあった。


 『金色一閃』。アニスが修めたアビリティの中で突出した性能を持ち、一撃で敵を屠り去る武芸者の神髄。


 かつて存在した魔女を狩る英雄達は、想いのままにこのアビリティを使いこなしたと語られる。


 アニスがこのアビリティを習得した時、祖国の誰もが祝福し、彼女を讃えた。

 

 ――英雄を継ぐ者が現われた。


 莫大なる期待がアニスへ寄せられ、彼女はその期待に応じて愚直に努力を重ね続けた。


 彼女は実直の人だ。素直の人だ。自分に与えられた期待に応えたいと思う。自分の手で家を復興させ、両親を喜ばせたいと思う。


 言うならば、それだけの少女だった。本来は英雄でも自信家でもない。ただ周囲に祀り上げられた不幸な人間でしかなかった。


 だが元来、期待とは無責任と無思慮の賜物である。


 自分ではない誰かに身勝手に夢と希望を託し、それが叶えられる事を願う。自分自身が支払うものは、一時の感情だけ。


 だからこそ、裏返るのもすぐの事だ。


 アニスがどれほどに鍛錬を重ねても、年月が過ぎても、『金色一閃』を自在に操る事は叶わない。いいやそも、このアビリティ自体が常人に操れるものではないのだ。


 ――自らの希望が叶わないと知った時、人々の期待は容易に呪いへと反転する。


 アニスには賞賛ではなく、罵倒が吐きかけられるようになった。


 どれほど懸命に鍛錬を重ね、優秀な姿を見せても、期待外れと馬鹿にされる。


 彼女の両親でさえ、アニスを庇おうとしなかった。忌々しいものを見る視線で彼女を見ていた。


 そこから逃げるように飛び出て来た旅先でも、人というものは同じだった。


 『金色一閃』の一振りを見て、人々は目を輝かせる。しかしアニスがそれを扱い切れないのを見て、すぐに目の色を変えるのだ。


 期待外れ。


 言外にそう言われているのが、アニスには理解出来た。だから彼女は、次から次へと居場所を変える。


 誰からも期待されないように。誰からも期待外れと罵られないように。


 ――君は士官先を探してるのか? それなら、色々と手助けして欲しい事もあるんだが。


 だが、グリフと名乗る男と、ヴァレットは違った。


 期待外れでしかない自分の力を貸してほしいと、そう言ってくれた。それがヴァレットの不利な状況によるものだとしても、アニスは思ったのだ。


 人に信じられるとは、これほどに嬉しいものだったか。


 それだけで十分だった。


 だから、この旅路にも同行すると決めた。最後まで勇猛な武芸者たろうと決めた。


 だが今、その旅路も終わりと告げようとしている。


「――無念だ」


 瞳に一粒の涙が浮かんでいた。何に対する無念か、アニス自身も理解出来ていない。ただ自然と言葉が溢れて来ていた。


 女王の巨体がアニスを押しつぶそうとした、その瞬間だ。


 嘶きが、聞こえた。


「ヒヒヒィンッ!」


 ぶるん、と見事な二本角を震わしながら、バイコーンが駆けていた。疾風の如く駆けるバイコーンは、速度だけで言うなら数多の魔性を凌駕する。


 巨体の影を縫ってアニスの首元を咥えこむと、そのまま滑り込むような様子で死地から離脱する。


 アニスが立ち尽くしていた地点が半壊したのは、瞬きほどの直後の事だ。


「馬鹿なの貴方!? 突っ立っててどうするわけ!?」


「そうですよ! 馬鹿なんですか!?」


 バイコーンをけしかけたのは、どうやらヴァレットとリザであるらしかった。


 馬鹿、馬鹿と連呼する様子は戦闘中とは思えない。良く言えば楽観的、悪く言えば能天気。


「ば、馬鹿とはなんだ!? 逆に、貴殿らにはこの状況を覆せるとでも!?」


 バイコーンに引っ張られるようにして彼女らの下に戻されるが、状況は改善したわけではない。


 むしろ次々と魔性は集い、女王の足元に群がりはじめた。こうなっては接敵さえ困難だ。奇襲の効果は失われ、完全に戦場の主導権は敵側に移った。


「……それ、は。その」


 ヴァレットが途端に言葉を失う。百を数えそうなほどの魔性。未だ健在な女王。通じなかったヴァレットの魔。


 勝機は、余りに乏しい。


「いいや、問題ない。おおよそは理解した」


 しかし異形――グリフは気安くそう言った。彼は女王に視線をやり、表情の読めない顔でこくりと頷く。


「あいつに狂乱が上手く効かなかった理由は分かった。ここから切り返す方法もある」


 淡々と口にする様子が、アニスにはやや腹立たしかった。


 相も変わらず、説明が足りない。自分だけが知ったような顔で、物事を前に進めたがる。


 だから意地を悪くしながら、唇を尖らせる。

 

「ほう。では異形殿、ここからどう盤面をひっくり返すのだ。奇跡のような方法があると?」


「ああ」


 ますますアニスの感情が苛立つ。グリフはそんな彼女の様子に気づかないまま言った。


「アニス――君の『金色一閃』の力を借りたい。もう一度、あれを使えるか?」


 アニスの胸中に土足で踏み込んでくるような、そんな声色だった。

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― 新着の感想 ―
そ言えば、「金色一閃」を私は「こんじきいっせん」と読んでいるのですが、別の読み方をするのでしょうか?
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