第二十九話『廃村にて』
ロウス子爵領を更に南下し、東部の森や坑道を避けた場所にその村はある。
本来ならば木こりや坑夫たちにより賑わい、時には都市以上の人通りを見せたはずの大きな村は、今では完全に息の根を止められていた。
ゴブリンを始めとした魔性に完膚なきまでに叩き壊された家々。火が回ったのか、所々に黒焦げた材木も見える。
人の姿はなく、瓦礫を片付けようとする者もない。ただ魔性の影がうろつくのみ。
軽く外から見ただけでも分かる。間違いなく、この村は死んでいた。
「確かに貴方の言った通り、魔性はここに随分集まってるみたいね。どうやって調べたわけ? エッカー子爵でさえ、魔性は森を拠点にしていると言ってたのに」
「ヒヒヒンッ」
ヴァレットは自らバイコーンの手綱を引く。そのまま振り向かず、鋭い視線を廃村に向けたまま言った。
傍らでは馬を御したアニスと、彼女の後ろに乗ったリザもこちらを見ていた。
流石に魔性討伐にまで馬車で向かうわけにはいかなかった。目立つし、何より気軽に動けない。あれは長距離を旅する時のものだ。
そこでバイコーンと馬一頭を馬車から外し、二人ずつが乗りながら敢えてこの廃村まで向かってきたわけだ。怪しく思える深い森や坑道を無視してまでである。
理由はただ一つ。
「――俺にも色々と情報網があるのさ。そうじゃなきゃ、三日で討伐してみせるなんて大口を君に叩かないだろ。女王はまず間違いなくここにいる」
当然、嘘である。
ただ知っていただけだ。ゲームの製作者が自分で設定したクエストの位置を間違うものか。
本来ならば森や坑道にプレイヤーを誘導し、経験を十分に積ませ、アラクネへの対策を理解させた上で女王へと挑める構造になっている。
ゲームならばその通りに進めるのが最も楽な道筋だが、現実はそうはいかない。
こちらにはリミットがあり、また体力や魔力の限界もある。
それに、もう一つ心配事があった。
――アラクネが何処にいるか知っているのは、俺一人ではないという事だ。
異郷者達も、当然にこの場所を理解しているはず。
デジレや天霊教のみならず、ヘルミナを始めとした異郷者もアーリシアの側についた。彼女らはヴァレットの危険性を現地人よりも遥かに深く理解しているはず。
それならば、最も暗殺しやすいこの機会に襲撃をかけてくる可能性は高い。むしろ無事に子爵領まで辿り着けた方が驚きだった。
何にせよ、三日とは言わず早々に女王を片付けてしまうべきだ。
「それで、異形殿。ここからどうする。魔性を斬り伏せて進めというのなら、己が先頭に立って見せよう!」
「えっ。その、馬から降ろして頂いても?」
「案ずるなリザ殿。己は一人くらい乗せていても構わん!」
「リザが構うんです!」
アニスもリザも、お互い余り空気が読めない所が噛み合うのだろうか。ぎゃあぎゃあと騒いではいるが、案外相性は良さそうだ。
二人の様子に思わず苦笑しながら、バイコーンから降りる。
「残念だが、それはやめとこう。五体や十体なら良いが、数え切れないほどの魔性がいるはずだからな」
廃村全体で見れば、百体以上の魔性が蠢いているはず。そいつら全員を正面から相手にしていれば、いずれ援軍もやってきて、幾ら時間があっても足りなくなる。
「途中でこいつを取りに寄ったのはこの時のためだよ」
言って、バイコーンに取り付けていた鞄から『異貌の外衣』を取り出す。
未だアニスたちは、これを見ると息を呑んだ。
魔女の遺産。人類の天敵たる者の残した霊性。これそのものが、現地人の彼女らにとっては伝説に近いのかもしれない。良い意味でも、悪い意味でもだが。
「その霊性でこの場を潜り抜ける、とは聞いているけれど。具体的にどうするかは聞いてないわよグリフ。前から言ってるけど、貴方説明が足りないのよ。ちゃんとこの場で説明なさい」
「まぁ、見ていてくれれば分かる」
「駄目」
ヴァレットもまたバイコーンから降り、軽く手綱を引いたまま言う。
「良い、グリフ。結果的に正しいから、正解だから、なんてのは説明しない理由になってないのよ。私達、これから命を預け合うのよ。ろくに会話もしてくれない相手にそんな事出来ないでしょう」
「――」
思わず目を見張った。まさか彼女に諭されるとは思っていなかった。
反射的に数秒、言葉が止まってしまう。その間じぃっとヴァレットは俺の瞳を見据えていた。あの時、死を待って震えるだけだったはずの彼女がだ。
吐息を漏らしながら、口を開く。
「いや、その通りだ。……君に説教されるとはな」
「私は何度もしてきた気がするけれど?」
ふふん、と得意げな顔つきでヴァレットが胸を張る。
間違いなく彼女が正しいので、言い返せないのが悔しい。
俺は異郷者で、彼女らは現地人。両者の間には圧倒的な情報格差がある。
片や、この世界のほぼ全てを網羅している者。
片や、日々を懸命に生き、手探りに智恵を掴む者。
俺から彼女たちに全てを話す事は出来ない。そんな真似をすれば、これからの歴史がどう歪んでしまうか予想さえ出来なくなる。
だからこそ、敢えて情報を出さないようにしていた節はあるが。
「ヴァレットの言う通り、俺が不誠実だった。一つずつ説明しよう。『異貌の外衣』は、魔女パル・ヒュームが愛用した霊性の一つ。性能は――纏った者の属性を好きに塗り替える事」
ゲーム上では、少し便利なアイテムでしかない。しかし現実でとなれば、これ以上ないほどに有用だ。
『異貌の外衣』を軽く広げ、俺自身が纏って見せる。外衣はすぐに全身に絡みつき、そうして外見を望んだ属性を塗り替えていってくれる。
即ち、あの廃村へもぐりこむための理想の姿。
――ゴブリンの容貌へと。
◇◆◇◆
「異形殿。本当にこれで、他の魔性どもからはゴブリンに見えているのか」
「勿論。ほら、あのゴブリンの部隊からも相手にされないだろ」
廃村をゆっくりと歩いていく。怪しまれないよう、決して気取られないように四人集まって。バイコーンはそのままの姿で連れていく。
魔性ゆえに、怪しまれる心配もないはずだ。『異貌の外衣』は人間の臭いも消し去ってくれる。
「……変化の術式は、高位アビリティのはずであります。それも何日も用意にかかるとか」
「うむ。それをこうも容易くとは。やはり魔女の力は脅威だ。本来なら手を出すべきではない」
アニスが先頭を進みながらも、まだ愚痴を続けている。一応外からは適当な唸り声をあげているように聞こえているはずだが、念のためボリュームを落として欲しい所だ。
『異貌の外衣』は一人だけでなく、複数人を対象として姿を変える事も出来る。但し、その場合はお互いは元の姿を認識したまま。騙せるのはそれ以外の連中の視線だけだ。
便利は便利だが、一度使ってしまうと解除するまでは人間からも魔性に見えてしまう。万が一このまま都市にでも入ったら、その場で袋叩きにあうだろう。
消費魔力も決して少なくない。今は全員分の魔力を俺が代替しているが、そう長くはもちそうになかった。
とはいえ、この手の潜入クエストには最高の性能だ。
「ヴァレット」
前を行くアニスやリズに視線を向けたまま、いつの間にか一番背後に回っていたヴァレットに声をかける。
「? どうしたのよ」
彼女はさほど驚きも緊張もない様子だった。今まさに敵の巣に潜り込んでいるというのに、そんな素振りは微塵も見られない。
自分の命に危険が及んでも、敢えてそれから目を逸らす。そんな技術を身に着けているかのよう。
「説明はあれくらいで良かったかな、一応君の要望通りにしたつもりだが」
前を向いたまま言う。ヴァレットは暫く黙り込んだまま、吹き出すように言った。
「あはは。何よ、貴方もしかして気にしてたわけ? 案外、可愛い所があるみたいじゃない。大魔導書のくせに」
「……大魔導書だから人付き合いが苦手なんだよ。痛い事を言われたしな」
実際の所、説明不足は俺の欠点でもある。
お前は説明が足りない。正しさは説明をしない根拠にならない。仲間にもそう言われた事があった。あの時は分からない奴が悪いと思っていたが、今では彼女の気持ちがよく分かる。
ヴァレットはけらけらと笑みを浮かべたまま、目元を拭って言った。
「ええ、よろしくってよ。これからも、あれくらい丁寧に説明してもわらなきゃ」
「気を付けますともお嬢様。――じゃあ、もう一点説明しようか。アニス、リザッ」
前に前にと進もうとしていた二人を止める。ヴァレットやバイコーンも軽くこちらへ寄せてから、声を潜めて言った。
「あの角を曲がると、村の中心部に入る。そこに、標的がいるはずだ。良いか、それを見たらもう大きな声は出すな。女王は同じ魔性でも容赦はしない」
全員が頷いたのを見てから、前へと出る。全員の呼吸が聞こえて来そうなほどだった。
なるべく緊張しすぎないようにしていたが、ここは敵の中心地。気を抜けばすぐさま絶命する死の境地。
一歩、また一歩と慎重に距離を詰め。そうして、視界にようやく廃村の中心地が見えた。
――一目で、この村を殺したのが彼女だと理解出来る。
真っ白な糸を数多の家々や樹木に伸ばし、自らの領土を形作る巨大な蜘蛛。見事な六本の後脚と、鋭い刃のような二本の前脚。
そうして何より特徴的なのは、その胴体の先からは、まるで人の上半身と見紛う肉が生えていた。
黒い頭髪を纏い、人を魅了する美女の姿を保つそれ。
彼女こそはこの村を殺害し、子爵領全体を失陥させんと企む魔の者。
――アラクネの偉大なる女王。
これから俺達が討伐する標的だった。




