第二十一話『灼熱の感情』
バイコーンの嘶きとともに、馬車がヘクティアル本邸に到着する。三頭立てにしたお陰か、行きよりも随分と早く到着出来た。
本邸の様子をちらりと見れば、予想通り庭先に居並ぶリ=ヘクティアル家の紋章がついた馬車の数々。
前領主が没した後は客人が少なくなった事もあって、ここまでの賑わいを見せるのは久しぶりかもしれない。
「むむぅ。遠方にこれほどの馬車を並べて見せるとは。凄まじい権勢だ」
「予想はしていたが、こうも遠慮なしにやるかね」
通常、他家の領地に赴くときは必要最低限の供回りだけをつけるのが礼儀というもの。
しかしアーリシアの場合は違う。軽く十台は超える馬車が庭先に並び、近衛騎士のものと思われる精悍な馬が荒い鼻を鳴らしていた。まるでこちらを威圧しているかのよう。
いいや、まるで、ではないか。彼女の場合はそれを目的としているのだ。
我が権勢を見よ。我が威を見よ。これが私の力なのだ。
児戯のようではあるが、全く分かりやすい。アーリシアという人間が、どういう相手か透けて見えるようだった。俺が設定上で知っている彼女と、そう変わらないようで一安心だ。
「……別に、何があろうと構わないわ。この家の主人は私。それが変わるわけではないもの」
ヴァレットは、表情をこわばらせながら言った。アーリシアの威圧に呑まれんとしているのだろう。だが逆に、それが彼女のしなやかさを失わせてもいる。
「行くわよ、グリフ、アニス」
「うむ、承知した。危機に関しては、万事己に任せるが良い」
ヴァレットが自らに言い聞かせるように口にしてから、一歩前へと踏み出す。俺も魔力の外殻を纏ったまま付いていく。
帰還の鐘が鳴りこそしたが、当然のように出迎える者はいない。
誰もが、態度を決めかねているのだ。
ヴァレットとデジレ、いいやアーリシアを含めた全員を天秤に乗せて、誰に情勢が傾くのかを見極めている。
一体誰が、勝者たりえるのだ。一体誰が、仕えるべき相手なのだ。誰もそれを理解出来ていない。
本邸への扉に手をかける。その先には、彼女がいるはず。
その瞬間だった。唐突に、まるで待ち構えていたかのように扉が開く。
「――お待ちしていましたわ、ヘクティアルの姫君」
「ッ!」
いいや間違いなく、『彼女』は待ち構えていた。
扉の先では、彼女が連れて来たのだろう十数名の従者が並び、彼女の傍らには近衛騎士が侍る。
しかし今この場において、それらの有象無象は全く問題にならなかった。
問題なのは、その中心を占めるただ一人。
「如何されましたの、どうぞお入りください」
――まるでこの邸宅の主人とでもいうように振舞って見せる、分家筆頭アーリシア=リ=ヘクティアル。
くるりと巻いた蒼髪を傾かせながら、獰猛な笑みを見せて来る。紛れもなくそれは挑発であり、隙あらば喉笛に噛みつかんとする獅子の笑みだった。
アーリシアにとって言葉の一つ一つが牙であり、相手の肉を味わう舌なのだ。彼女は、そうあらなければ生きていけない環境で生き延びて来た。
「ヴァレット殿」
「……言われずとも、入るわ。自分の家に招待されてから入る人間はいないでしょう」
アーリシアの熱量に気おされそうになったヴァレットに、アニスが声をかける。しかしアニスもまた平静とはいえない。元より武芸者は闘争本能の塊のようなもの。このような露骨な敵意を浴びせられては、今すぐに飛び掛かってもおかしくはなかった。
そうすると、だ。この中に割って入るのは俺の役目という事になる。
本当に嫌だ。朗らかにとは言わないが、もう少しまともな挨拶くらい出来ないのかこいつら。ゲーム上でもこんな演出を出した覚えはないぞ。
仕方なく、彼女らの前に出る。
「おいおい、仰々しい様子だな。最初から喧嘩腰になる必要はないだろう。犬猫じゃあないんだ」
周囲の連中から痛いほど視線を浴びたが、気にする事じゃあない。どうせ俺の姿が気に入らないんだろう。
「アーリシアの『姫君』。他人の家だぜ、少しお上品にしたらどうだ」
「ぶっ、無礼な! 奇妙な容貌で、リ=ヘクティアル侯爵に向かってなんという口を!」
咄嗟に反応したのは、アーリシアの傍らに控える髭の騎士。当然、他の騎士共からも敵意が強まったのが分かる。
姫君という呼び名は、決して尊称ではない。言わば君主に満たない未熟者という揶揄が込められている。ヴァレットをそう呼んだ分、こちらも仕返しをしてやっただけだ。何が悪い。
それにちょっと隙を見せ過ぎじゃないか、髭の騎士よ。
「さて、躾がなってないな姫君。君の所の騎士は、公爵家の従士を侮蔑するよう教育しているのかい」
「貴、様ッ!」
髭の騎士様が今にも俺に飛び掛からんとしたタイミングだ。
場を推し量っていたのだろう様子で、アーリシアが吐息を漏らした。
「よしなさいバグリッシ。わたくしに恥をかかせる気ですか」
「し、しかし――」
バグリッシ。そう呼ばれた髭の騎士が、感情を抑えきれずに口を開いた。
随分な忠誠心。忠犬という言葉がよく似合う。彼はゲーム上のアテルドミナにも存在するキャラクターで、アーリシアの忠実な部下だ。レベルは二十を少し超える程度だが、その忠誠心ゆえにゲーム上ではアーリシアの盾となって死亡するルートが多い。
「――しかし、何かしら」
「ッ……! いえ、申し訳ございません」
だが姫君は、言う事を聞かない忠犬を望まなかった。鉄のように重い言葉でバグリッシの言葉を断ち切り、蒼い瞳がぎょろりと俺を見る。
美しい。紛れもなく美しいはずの瞳は、恐ろしいほどの感情を湛えてこちらを見つめている。双眸に込められた幾万の情動が、こちらの指先さえも絡めとらんとしているかのよう。
「配下が失礼しました。公女は良い家臣をお持ちのようですわね、羨ましい事です。紹介をして貰ってもよろしくて?」
しかし次の瞬間には、アーリシアは意図的に緊張を緩めた。彼女は感情に振り回されるのではなく、自ら表出する感情を選び取っている。
「……こちらがグリフ。もう一人がアニス=アールビアノよ。覚えなくても構わないわ」
「いえ。興味深い方ですもの。しっかりと覚えさせて頂きましょう」
言って、アーリシアはじぃと俺の顔を見た。こちらの顔がよほど珍しいらしい。彼女の表情は、何処までも余裕に満ちている。
反面、ヴァレットは溢れ出しそうな感情に唇を歪めていた。
仕方がない。ヴァレットにとって、アーリシアが無断で本邸に踏み入っている事自体が屈辱なのだ。
この邸宅は、当然に当主たるヴァレットの本領である。親族であろうが、分家であろうが、本来ならばヴァレットの許可なくしての入場など許されない。
それをアーリシアは当然のように行った。
自分の領域への無断侵入。そうして、周囲のものもそれを咎めない。
ヘクティアル家の当主として自覚を覚え始めたヴァレットにとって、それがどれほど口惜しいか。誰もが自分を甘く見ていると宣言されたに等しい。尊厳は踏みにじられ、胸には灼熱が沸き立っているはず。
「それで、どういった用件かしらアーリシア。私は貴方を招待したつもりはないけれど」
口を開けば今にも業火を吐き出さんばかりの言葉。敵意を隠す素振りさえない。
だが、俺は彼女の態度を否定する気にはならなかった。
感情とは、制御出来ないからこそ感情と呼ぶ。感情に突き動かされない人生など灰色。制御出来る情動しか抱けない人間は、真に人生を生きていないのだ。
そういった意味で、ヴァレットは真摯すぎるほどの生き様でここに立っていた。
「ヘクティアル本家の新たな当主が生まれると聞いては、わたくしが参らないわけにはいかないでしょう。お忘れではありませんか、公女。ヘクティアルの当主たる者は、分家を統括してこそ。まさか仮初の当主になられる気はないのでしょう」
一定の敬意を見せた言葉遣い。だがそれはヴァレットの首元に突きつけられた刃そのものだった。
言外にアーリシアは、まだお前は当主に認められてはいない、とそう宣告しているのだ。宣戦布告にもなりかねない言葉。
咄嗟に二人の間に入る。
「……やめて欲しいもんだな。この場で掴みあいをするわけでもないだろう」
「――グリフ、と言いましたね」
アーリシアは視線をずらして、俺に向き直った。ヴァレットの敵意を躱したのか、それとも歯牙にもかけていないのか。
「一応、そういう名前を名乗っているが」
「家名は何と? 出身は何処です? その顔は生まれつきのもので?」
ぐいと身を乗り出しながら、気味の悪さを覚える振る舞いでアーリシアは立て続けに口を開く。
家名や出身を聞いて、後で呪いでもかけるつもりだろうか。アーリシアはゲーム上でも謀略の名手。下手に答えるのは悪手だが、嘘をつくのも不味い。アビリティで察知している奴がいるかもしれない。
一瞬考えてから、言う。
「家名は無い、出身は忘れた。顔を弄った覚えはないな。良い顔つきだろ」
嘘は何一つ言ってない。大魔導書グリフに家名などなく、出所は不明であり、この外殻は一度も弄っちゃいない。
「家名さえないとは、何と下賤な!」
アーリシアの騎士、バグリッシとその周囲が吐き捨てる様子で言った。
アテルドミナにおいて、家名を持たないのは貴族は勿論、平民でさえない。
即ち、流民だ。帰る場所も行く場所も持たない。犯罪者崩れと唾棄される存在。
そんな輩を従士にしているヴァレットを、嘲笑するつもりだったのだろう。
だが、アーリシアは俺の顔をじぃと見ながら呟いた。
「そう。では、グリフ――わたくしの従士になりません事? 決して退屈はさせませんわ」




